俺の親父は、おんぼろアパートを一軒残し、この世を去った。会社にも女にも見放され、腐りきっていた俺は、オヤジの死を悼むより、むしろ喜んだ。これからは、寝て暮らしてたって家賃の金が入ってくる。左団扇の大家暮らしを始めるべく、アパートへ住まいを移した。・・・が、事態はそう甘くはなかった。
ノックの音
初めは遠慮がちだったが、三日も過ぎた頃から、アパート同様すすけた住人共が、ひっきりなしにやってくるようになった。自転車を修理しろだの、ヒマだから将棋の相手をしろだの、ビンの蓋を開けろだの、煮しめた得体の知れないもんを食えだの。お陰でおちおち横になってることもままならない。
少女
「ねえ、居ないの、ねえ、ねえってば」
しつこいガキめ。
扉を開ける男
「うっせーんだよ」
少女
「あのね、」
「自転車のパンクなんか、修理できねえって言ったろ」
少女
「今度は、自転車じゃなくて、」
「自分でなんとかしろ」
少女
「なんともなんないんだってば」
「知らねえって」
少女
「なんで、どうして?橋本のおじちゃんは、いつでも話、聞いてくれたよ。
相談に乗ってくれたよ」
「俺は、俺。親父は親父だ。」
少女
「大家さんでしょ。」
「大家は、お前の使用人じゃねえんだよ。」
少女
「橋本のおじちゃん、いつも言ってた。「働く」ってのは、ハタをラクにすることだって。周りの人を助けて、楽にしてあげる、それが働くってことなんだって。」
「はいはい、ありがたいオコトバですこと。」
少女
「ちゃんと働きなよ」
「俺は、俺がラクならそれでいいんだよ。」
少女
「サイテー。」
「なんだよ。」
少女
「私の父さんも、自分がラクならそれでイイ人だった。母さんや私が辛そうにしてたってお構いなしだった・・・私は、ずえっったいにそんなオトナにならない!アンタなんか、だいだいだいっキライッ!」
少女は、部屋の扉を思い切り閉める。バタンッ!!
でかかった言葉が、行き場を無くして俺の中をかけめぐる。親父は、ここじゃいい奴ぶってたみたいだが、かつては俺よりサイテーな男だったんだぞ、とか。俺だって、絶対そんなオトナになるまいと思って頑張ってみたんだぞ、とか。そうだよ、俺だって、家族を養い、愛し愛されて、まっとうな人生を送りたかったんだ、畜生。・・・俺は、扉を開き、外へ出た。クソガキは、部屋の前で途方にくれていた。
少女
「今日、母さんの誕生日なんだ、だから晩御飯作って待ってるって約束してたんだ。けど、鍵、忘れちゃって。」
「そこで待ってな。」
少女
「うそ、マジ、開けてくれんの?・・・ありがと!!」
俺は、人生を取り戻せるだろうか。今からでも。
終わってまた始まる