- その男はいつだって冷静なのが取り得なのであるのだが…
- 男
- ある朝、目が覚めると尻尾が生えていました。
- 蛇口から水の音、顔を洗った男はタオルで顔を拭いながら
- 男
- さて困った。
- なんて言いながら新聞を広げてみる
- 男
- 何か特別な病気なのか。
- なんて言いながらコーヒーを飲んでみる
- 男
- さて困った。穴の開いたズボンなんて持っていないし、とりあえず今日は様子を見るために会社を休まなければ。
- 携帯を手に取って
- 男
- さて困った。電話したのはいいものの、尻尾が生えたとは言えず、
「いやぁ風邪をひいてしまいましてゴホゴホ」
と上手い具合に嘘をひとつ。その瞬間に、
- 尻尾
- ビクン。
- 男
- と尻尾が動きました。長い長い尻尾はまるで猫かサルのようです。
自分の意志とは関係なくニョロニョロと動きます。
「尻尾が生えたくらいで大騒ぎしてもしょうがない」
と、自分に言いかせると
- 尻尾
- 何強がってんだよ?
- 男
- 「別に強がってなんか」
- 尻尾
- またまた。大騒ぎすりゃいいのに。
- 男
- 「騒いだところで事態は変わらな…え?」
- 尻尾
- 何だよ。
- 男
- 「尻尾が…」
- 尻尾
- 尻尾だけどそれがどうしたよ?
- 男
- 尻尾が、喋ってやがる。僕の尻から生えた尻尾が、僕とは関係なく動いて僕とは関係なく喋るのだ。もしかして僕の家系はある年令になると尻尾が生える家系なのかもしれないと思い、実家に電話してみるが、そんな事実があるわけもなく僕は適当にごまかした。あんた会社は?こんな時間に大丈夫?今大事な時期なのに会社休んだりしていいの?なんて、しつこく聞くうるさい母親に僕は
「ちょっと風邪」
とまた嘘をひとつ。ついでに
「会社は順調」
とまた嘘をひとつ。その瞬間に、尻尾が口を挟む。
- 尻尾
- ジュンチョー?ホントに?マージ?この前もヘマやらかしたところなのに?ま、でもいいか?どうせお前の代わりはいくらでもいるんだから。
- 男
- 「うるさいな!」
と、尻尾に言ったつもりだったのに、電話の向こうでは母親が驚いていた。
「いや、違うんだ。今のは、尻尾がうるさくて、」
- 尻尾
- ワォ。尻尾のせいにするつもり?
- 男
- 「尻尾が、いや違う、ごめん。うまく言えないけど」
- 尻尾
- 尻尾ならうまく言えるのに。
- 男
- 「尻尾が…」
- 尻尾
- 尻尾、ウソつかない。
- 男
- 僕は首をねじって尻尾を見ると、シュンとうな垂れた尻尾。闘争心をなくした犬のような、まるで元気のない尻尾。急に、言葉を忘れたように、僕は口を閉ざしてしまった。
いつから、人には尻尾がなくなってしまったんだっけ?
- 尻尾
- 尻尾、ウソつかない。
- 男は大きく溜め息をつくと
- 男
- 「もしもし。本当はさ、少し、少しだけ、休みたいんだ」
本音がこぼれて力が抜けた。きっとこれから取る長い長い休暇が終わる頃には、多分、僕の尻尾は跡形もなく消えているだろう。
- おしまい