やあねぇ。
何だ。
そんなに息切らしちゃって。
なんだこの坂は、まったく・・・年寄りの来る場所じゃない。
私は平気よ。だから一緒にウォーキングしましょって言ってるのに。
目的もなくただ歩くなんて、バカのすることだ。
はいはい。
まさかお前、
なんです?
ただ歩かせるために、この坂を登ってるんじゃあるまいな。
違いますよ。
だったら、どこへ行くつもりなんだ。
ふふふ・・・懐かしいわ。昔、この坂を番頭さんに付いて何度も登ったのよ。できたての靴を抱えて。
できたての靴?
私の奉公先、靴屋さんだったの。言ったことなかったかしら。
聞いたかな。
この坂の上に外人さんがたくさん住んでいてね。皆お得意さんだった。今でも、まだいくつかお屋敷が残ってて、見学できたり、レストランになってたりするらしいわ。
異人館とか言うんだろ。
ご存知でしたか。
ワシは興味ないぞ。見たいならお前だけ行ってこい。
あら、もうギブアップですか。
そんな事は、言っとらん。
あともう少しですよ。
だから、目的地はどこだと聞いてるんだ。
ねえ、振り返ってご覧なさいよ。随分登ってきましたよ。ほら、海が、キラキラしてる。
ああ。
私たち今まで、こんな風な苦しい上り坂ばかりでしたねぇ。
お前、ひょっとして・・・。
何です。
り、離婚か?離婚したいのか?
え?
知らないとでも思ってたのか。ワシの居ないところで、こそこそ娘たちと良からぬ相談をしてたろ。
そんな事してませんよ。
しかし、
ある時ね、靴屋で火事が起きたの。焼け出されてしまった私たちに、部屋を貸してくれた方がいたわ。外人さんのおばあちゃま。言葉は通じないんだけれど、まるでお客様のように親切にしていただいた。朝日が差し込む、朝食を食べるだけのための部屋。宝石のようなシャンデリアのあるパーティルーム。あったかい暖炉、お姫様の眠るようなベッド。まるでおとぎ話のような暮らしだった。
すまんと思ってる、これまでなんの贅沢もさせてやれずにいて。
あすこ。
え?
あの山の中に見える緑の屋根のお屋敷。あすこにしばらく居たの。あなたとの縁談が決まって、ちゃんとご挨拶もしないまま・・・あれから、もう六十年、ううん七十年近く・・・。あのお屋敷が、まだ生き残ってたって知った時は驚いたわ。
会社もようやく、いい形でスミエとヒデオ君が引き継いだ。
これからじゃないか、そうお前もとも話をしたろう?
反対ですよ。
何に反対なんだ。
離婚じゃなくて、結婚式。
へ・・・。
まだしてなかったでしょう。娘や孫たちも、あのお屋敷で待ってくれてるの。
結婚式?
私たちのね。
え、何だって?
やあねえ、耳まで遠くなっちゃったの?・・・ほら、あともう少し、頑張って登りますよ。
終わってまた始まる