- 夫
- 家のそばの橋あるだろ。毎朝その橋を渡ってバスに乗り会社にいく。俺はそんな生活をおよそ三十年続けてきた。会社を定年してちょうど半年が過ぎた今日、近所を散歩していた俺は、その橋に名前があることを知ったんだ。
「第四巴橋」。
「巴」。素敵な名前だ。今までどうして気がつかなかったのだろう。俺は苦笑いを浮かべ、川下に向かった。「巴」とはもしかして源平の武将木曽義仲の妻「巴午前」に由来するのかも。
それにしても第四とはどういうことだろう。
2百メートルほど歩いた川下にはもう一つ橋がある。俺は子供のような好奇心でその橋の欄干に書かれた名前をみたんだ。
「第一巴橋」
「アッ」と思った。てっきり第四の川下は第三だと思いこんでいたからだ。さらに川下へ向う。何も川下から順に名前をつけたとは限らない。造られた順に第一、第二と名づけられた可能性だってある。そして三つ目の橋の名前をみた。
「葵橋」
アオイ。徳川家の家紋三つ葉葵と何か関わりがあるのか?
俺が知らないだけでこの町には案外色んな歴史ロマンがうずもれているのかもしれん。
もう四十年近い昔、選んだ学問は日本史だったし、あの学生闘争さえなければ、そのまま大学に残って歴史学者としての道を選んでいたかも知れないのだ。いや、過去に答えを求めるのはよそう。
いったん家に戻り息子のバイクに乗って、この川にかかる橋の名前を片端から調べることにした。
この川には合計十の橋が架かっていた。
「雪見橋」「かもめ橋」「ひよこ橋」「いるか橋」「希望橋」「真心大橋」「トトロ橋」…。
怒りに震えたよ。
なんていい加減な名前の付け方!「いるか橋」だと?海じゃないだろ!「トトロ橋」だと?「ひよこ橋」だと?子供の機嫌ばっかりとってどうするんだばか者!だいたい、「巴」ってなんなんだ?
第二と第三はどこいった! おれはこういう不真面目さが大嫌いだ。
これは歴史とそこに暮らす住人にたいする冒涜だ!
それだけではない!私はーこの醜きネーミングセンスに、現代日本の政治社会の退廃の根源となる精神を見る者であーる。なぜこんな名前がついたのか。納得のいく説明を当局側に求める!
- 夫
- 「と、いうわけでお母さん。明日市役所いくからお弁当つくって」
- 妻
- 「もう、ややこしいから年明けてからにしてください」
- おわり