- 女
- ねえ、美月、涙を残しておこうって思ったこと、ある?
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- 男
- 半年前、僕はバー・グリのママであるしょうこさんに拾われてバーテンになった。
年はいくつ?と聞かれたけど答えられなかった。未成年ではないなというのが、グリの常連客の一致した意見だ。僕としょうこさんは墓地で出会った。
- 女
- 酔っ払って、墓地を散歩していたの。とても小さなお墓があった。草ぼうぼうで荒れ果てていた。この分じゃもう百年はたっているんじゃないかって、思ったわ。
可哀想に無縁仏だねえって。私も夫に捨てられてひとりぼっちだったから、親しみがわいてしまったの。お墓に向かってしゃべっていたら気持ちが安らいだわ。勢いで、ちょっとそこから出てこないって誘ってみたら、本当に出てきちゃった。
- 男
- それが僕だった。しょうこさんは僕をみつきと呼ぶ。僕がお墓から出てきたのが月の美しい夜だったからだ。
- 女
- いやあねえ、若いツバメなんかじゃないわよ。美月はゆうれいなの。
- 男
- 客に聞かれるたびに、しょうこさんはそう言う。僕はゆうれいだ。僕には記憶というものがない。考えると、悲しい気持ちになってくる。
- 女
- 深く考えないことよ。今は二人で仲良く暮らしている。人間だとかゆうれいだとかよりも、そのほうが大切。
- 男
- バー・グリのお酒は、ビールとウイスキーとブランデーだけだ。つまみも、手の込んだものは置いていない。僕は、しょうこさんに教えてもらいながら、いろんなものを作ってみた。
- 女
- おいしい!美月って料理の才能があるんだ。
- 男
- 本当?じゃ、これもメニューに加えてみる?
- 女
- そうね、そうしよう。
- 男
- しょうこさんは楽しそうだ。僕は、しょうこさんの役に立つことが、ただうれしい。
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- ●
- 男
- 今日はしょうこさんの誕生日だ。僕は、市場の駄菓子屋で、きれいなお菓子を見つけた。店の人がジェリービーンズだと教えてくれた。指で押さえると、ひび割れてもろく崩れる。口に含むと甘くてやさしい。とびきりきれいなマーブル模様のジェリービーンズを針金に通して、僕は指輪を作ってみた。
- 女
- とっても、きれい。
- 男
- あげるよ、それ。
- 女
- ありがとう。一生のたからものにするわね。
- 男
- しょうこさんの目が少し光っている。僕は持っていたハンカチでしょうこさんの涙をふいた。しょうこさんは、そのハンカチを、エプロンのポケットにそっとしまった。
- 女
- ねえ、美月、涙を残しておこうって思ったこと、ある?
- END