- 男
- チョコは苦くなる。子どもが好きなチョコレートはやたら甘くて、大人の食べるチョコレートはやたら苦い。それがルールらしい。「ルール」?この言い方はおかしいな。流れ、まだ流れと言ったほうがいい。甘いのから苦いのへ。うん。だんだん苦いのが好きになる。
- 女
- 「で、あなたはどんな女の人が好みなの?」
- 男
- 結婚して五年目に妻が聞いてきた。ソファにもたれ、天井をみて、僕は思い出す。今まで好きになった女性のこと。でも、
- 女
- 「どんなタイプ?」
- 男
- 「タイプ」
- 女
- 「スポーツが得意とか、妹みたいとか」
- 男
- 「・・・バラバラ」
- 女
- 「なんかあるでしょ?話を聞いてくれるとか、甘えるのが上手とか」
- 男
- 「バラバラだよ」
- 女
- 「ほんと?」
- 男
- 「うん」
- 女
- 「顔は?」
- 男
- 「顔は・・・」
びっくりした。誰の顔も思い出せない。あんなに好きだったのに、何年も付き合ったのに、顔が思い出せない。着ていたTシャツのデザインや、はいていた靴のことは思い出せるのに、顔は、・・・頭の中に思考が線を引く、昔好きだった女の子たちの輪郭線を描こうとする。でも駄目だった。
- 女
- 「思い出せないんでしょ」
- 男
- 「そんなことないよ」
- 女
- 「うそ」
- 男
- 「うそじゃないって」
- 女
- 「そうして私のことも忘れてしまうのよ」
- 男
- 「え?」
- 女
- 「そうして私のことも忘れてしまうの。あなたは」
- 男
- 「忘れないよ」
- 女
- 「じゃ、目を閉じて。そして私の顔を頭の中にしっかり描いて」
- 男
- 「・・・」
- 女
- 「目を閉じて」
- 僕は目を閉じた。すぐ近くに妻を感じる。
- 女
- 「憶えてる?私の顔」
- 男
- 憶えていなかった。すまん。僕の頭に浮かんだのは醜い粗悪品のような彼女の顔。
- 女
- 「描けないでしょ。私の顔」
- 男
- 「そんなことないよ」
- 女
- 「うそ」
- 男
- 「うそじゃないって」
- 女
- 「お疲れ様」
- 男
- 「うそじゃないよ」
- 女
- 「はいはい」
- 男
- そう言ってキスをした。苦い、苦いキスだった。
- おわり