チョコは苦くなる。子どもが好きなチョコレートはやたら甘くて、大人の食べるチョコレートはやたら苦い。それがルールらしい。「ルール」?この言い方はおかしいな。流れ、まだ流れと言ったほうがいい。甘いのから苦いのへ。うん。だんだん苦いのが好きになる。
「で、あなたはどんな女の人が好みなの?」
結婚して五年目に妻が聞いてきた。ソファにもたれ、天井をみて、僕は思い出す。今まで好きになった女性のこと。でも、
「どんなタイプ?」
「タイプ」
「スポーツが得意とか、妹みたいとか」
「・・・バラバラ」
「なんかあるでしょ?話を聞いてくれるとか、甘えるのが上手とか」
「バラバラだよ」
「ほんと?」
「うん」
「顔は?」
「顔は・・・」
びっくりした。誰の顔も思い出せない。あんなに好きだったのに、何年も付き合ったのに、顔が思い出せない。着ていたTシャツのデザインや、はいていた靴のことは思い出せるのに、顔は、・・・頭の中に思考が線を引く、昔好きだった女の子たちの輪郭線を描こうとする。でも駄目だった。
「思い出せないんでしょ」
「そんなことないよ」
「うそ」
「うそじゃないって」
「そうして私のことも忘れてしまうのよ」
「え?」
「そうして私のことも忘れてしまうの。あなたは」
「忘れないよ」
「じゃ、目を閉じて。そして私の顔を頭の中にしっかり描いて」
「・・・」
「目を閉じて」
僕は目を閉じた。すぐ近くに妻を感じる。
「憶えてる?私の顔」
憶えていなかった。すまん。僕の頭に浮かんだのは醜い粗悪品のような彼女の顔。
「描けないでしょ。私の顔」
「そんなことないよ」
「うそ」
「うそじゃないって」
「お疲れ様」
「うそじゃないよ」
「はいはい」
そう言ってキスをした。苦い、苦いキスだった。
おわり