「あれ」。初めて彼女の部屋に誘われた私は部屋の片隅に置かれているそれをみた。高枝切ばさみ?彼女は二十台前半のOL一人暮らし、もちろんマンション。手入れをする木なんてどこにもないはず。・・・聞いてもいいものか、悪いものか。とりあえず判断がつかない。その時紅茶を入れていた彼女が帰ってきた。
「あれ」。初めて彼氏を部屋に呼んで紅茶を入れて帰ってきたとき、私はそれを見た。高枝切ばさみ。もちろんそれは私のものじゃなくて、だとすると彼が持ってきたものになる。なんで?なんでそんなもんもってくるの?・・・、聞いていいものか、悪いものか。とりあえず判断がつかなくて、ここはきずかないふり。
あんたが帰るまで付き合う。紅茶を持ってきた彼女は一瞬目の端に高枝切ばさみを捕らえたような気がしたが、その後何もなかったようにいつもにまして甘えた声。ネコ型ロボット。だがそれがまたかわいい。しかしよく聞くと声が少し上ずっている。きっと僕があの高枝切ばさみを発見したことに彼女はきずいているのだろう。そしてそんな風に切り出そうか、タイミングを計っているに違いない。よほどの事情があるのだろう。そう思いながら、ムッチリした大人のキス。
キスをしながらうっすら目を開けたのはどうしてもあの高枝切ばさみがきになるから。部屋にきたときにはあんなのもってなかった気もするし、持ってたような気もするし、どちらにしろここは受身になったほうがよさそうだ。それにしても何をするつもりなのかしら、あの人のうちはたしかマンションのはずだし、だいたいそんなもの人の部屋にもってくる理由なんて、・・・なんか怖い。
急に彼女の体に力が入る。意外と純情なんだ。けっこうあしらいの上手い小娘って印象だったからこれは意外。それにしても彼女、さっきからちらちらと高枝切ばさみを見てる。どことなくおびえたしぐさ。もしかして、そういうこと?いまさら、そういうこと?それはないんじゃないの?ここまで来て痴漢扱いですか?
途端に彼に落ち着きがなくなる。きっと私がチラチラ高枝切ばさみを見たから。やさしい人と思ってたのに。まさかそんな人とは思わなかった。
「あ、じゃ、そろそろ帰るわ」
「あ、うん。ごめんね。なんのおかまいもできなくて」
「いえいえ。とんでもにゃーです」
軽くて古い名古屋弁を残し、彼は去っていった。少し安心し部屋に戻って、まだそこに高枝切ばさみがあるのを発見したとき。電話がなった。
「はいもしもし」
(酔っ払って)「伸子か?」
「お父ちゃん?」
「お父ちゃん、デビューするから!お父ちゃん、お母ちゃんモデルにしてな。歌つくった!」
父は恐ろしく酔っていた。電話の後ろで母のけたたましい笑い声がしていた。その後、父の作ったJポップとやらをたっぷり聞かされた。その間、私はじっと高枝切ばさみを見ていた。何があっても驚かないぞ。そう心に決めてはじめた一人暮らし、最初の割り切れない夜だった。