- ポンポンポン、ポンポンポン、綿で包まれた棒で叩くようにして
今日もアタシは染みを抜く
ガロンガロン、お店の扉が久々に音を立てて
- 染み抜き
- やぁ、なつかしい。
- 男
- 今初めてこの店来たんだけど?
- 染み抜き
- そう、今さっきあったばっかりで、なつかしい。
- 男
- こういう場合は「いらっしゃいませ」って言うもんじゃない?
- 染み抜き
- アタシは「やぁ、なつかしい」ていう挨拶のほうが…
- 男
- いいよ。挨拶は。どうでも。この服の、袖の所の染みを、
- 染み抜き
- やぁ、もうさっき初めて出合ってから1分経ったみたい。
- 男
- は?
- 染み抜き
- なつかしいね。1分前だって懐かしいさ。二度と戻らぬその60秒。惜しい、いと、惜しい、いとおしいと思えるものなら、惜しめる心ってものを持ってるって証拠。後悔はいつでも付きまとうもんだから。惜しい、いとおしいっていつも思っていれば、そうね二度と戻らぬと胸にとどめておけば。無駄に使わないさその
60秒。
- 男
- 60秒昔がなつかしいなんてまったりした時間の使い方してないんで。
- 染み抜き
- もったない。
- 男
- この服の染み。
- 染み抜き
- ああ。はい。
- 男
- きれいにね。時間は?どのくらい?
- 染み抜き
- ほんの5分。
- 男
- 嘘。
- 染み抜き
- 嘘なんて。
- 男
- 他のクリーニングでも無理って言われて、
- 染み抜き
- コツがあるから。
- 男
- 専門店はやっぱり違うんだ。
- 男が渡した服をまじまじと観察してみて
- 男
- 5分なら待ってるよ。
- 染み抜き
- 涙のアト。
- 男
- え?何のアトって?
- 染み抜き
- いえ。
- 男
- 気がついたらそんなにアトが残ってて。
- 染み抜き
- 染みってのは時間が経てば経つほどそのアトが鮮やかに浮かび上がってくるもので。
鮮やかってのはなにも原色の色のことだけじゃない。
時間が経てばなんだって黄ばんでくる。
だからその黄ばみの鮮やかなこと。見事なこと。
- 男
- そんな染み、いつついちゃったのかぁ。
- 染み抜き
- 繊維の問題じゃないんです。染みのそのほとんどが。
- 男
- あそう?
- 染み抜き
- なつかしんでいつまでも残してしまう、思い出残すのと、そう変わりなくって。
- 男
- 思い出なら増えていいけど、染みは増えたら困るよ。白のスーツ染みだらけってカッコ悪いよ。
- 染み抜き
- 他人が見れば、さほど汚れてなかったり。でも気になるんです。本人は。とくに涙のアトは。
- 男
- え?
- 染み抜き
- 涙をぬぐったアト。
- 男
- 何言ってんの?泣かないよ、もういい大人なんだから。そんな染みじゃないって。
- 染み抜き
- せっかくいい染みなのに。なんで皆さんそのままにしておかないんだろう。
- 男
- は? あんただって顔に染み出来たら美白するんだろ?
- 染み抜き
- キレイにするの、なんだかもう疲れちゃって。白くして白くして。上から塗り固めるみたいで。だから、「やぁ、なつかしい」って挨拶に変えたんです。
- 男
- もういいよ。服、返して。他の店行くから。
- 染み抜き
- はい。ジャスト5分。「またどうぞ」
- 男
- なんだよそれ。
- 染み抜き
- その涙のアト、同じ涙、同じ染み、二度と作れませんよ。もったいな。そんな素敵な染みを持ってるのに。
- 男
- なんだよそれ。
- 少し、服の袖の染みを見た男
- 男
- でも、たぶん無駄じゃないな、この5分…
- ガロンガロンガロン、男はこの店を出て行ったけど、
きっと別のお客さんがきても染みは抜かないだろうけど
なつか染み抜き屋には、なんだかんだいってもお客がやってくる