男
寂しさには、名前がない。懐かしいフレーズが頭をよぎった。・・・名前がないと
歌われたある種の寂しさは、いつも突然ヒタリ、とボクの背中に張り付く。そして
追い払おうとすればするほど、ヒタリヒタリとボクは侵食されていく。このなんと
も言えない寂しさは何処からやってくるのだろう。こんな夜は恋人に電話をかけて
はいけない。もちろん友人にも親にも。名無しに侵食されたボクは迷惑な存在でし
かないからだ。こんな時は酒でも飲んで早々に眠ってしまうに限る。ボクは夜の街
に出かけた。
女
そんなトコに突っ立ってないで、中に入ったら?
男
寒い・・・。
女
だからぁ、扉閉めて、ほら靴脱いで、こっちに上がっておいでよ。
男
ここは、どこだ?
女
なに飲む?ショーチュー?ビール?
(男は部屋に入ろうとするが、床に散乱したゴミに引っかかりよろめく。)
男
随分と散らかってるね。
女
だから、めちゃくちゃ散らかってるよって言ったでしょ。
男
・・・どうしてボクはこんなところに居るんだろう。
女
覚えてないの?
男
キミはええと、ええと・・・バーの店員さん・・・?
女
そ。
男
・・・帰るよ。
女
どうして。
男
どうしてって、キミ独り暮らしだろ・・・マズイだろ。
女
マズイって?
男
なんて言うか、ボクたち初対面だしね・・・。
女
どうしたの?さっきまでのヒロ君と全然違う。
男
どうしてボクの名前を?
女
自分で名乗ったから。
男
ゴメン、かなり酔っ払ってたみたいで・・・。
女
いいよ。
男
いい、って何が。
女
帰っても。
男
ああ。
女
でも道わかんないでしょ。
男
タクシーかなんかつかまえて、
女
多分、お財布ん中空っぽに近いよ。
男
え。
女
だからぁ、私がヒロ君の飲み代、バイト代から天引きしておごってあげたの、そ
いでぇ、帰りたくないって言うから、ここに連れてきてあげたの。
男
迷惑かけちゃったみたいだね。
女
別にいいよ。あと二時間で明るくなる。始発で帰ったら?
男
・・・じゃあお言葉に甘えて、居させてもらおうかな。
女
そうしてよ。私、この時間が一日の中で一番キライなの。
男
どうして。
女
クタクタになって帰ってきたって、誰が待ってるでもなし、テレビもやってない
でしょ、友達も知り合いもみーんなスヤスヤ眠ってる。生き残った最後の人類みたいな気がしちゃう。
男
この世に一人ぼっちか。
女
だからね、一人で居たくないの。
男
だから、ボクを拾った。
女
ま、そういう事かな。あと二時間・・・二人で何するぅ~?
男
ええと・・・。
女
そんな困った顔しないでよ。
男
困ってるよ、実際。
女
困るよね、実際。
男
ごめん。
女
じゃなくって・・・毎日この時間を乗り切れない自分に困ってる。
男
寂しさには名前がない。
女
何それ?
男
昔はやった歌。名前が無いって事は、原因がわからないって意味なのかな。
女
ヒロ君にも、そういう事あるの?
男
キミみたいに頻繁じゃないけどね。
女
今、私が一番欲しいのはね・・・、
男
ん。
女
この時間にやってきて、絵本を読んで私を寝かしつけてくれる恋人。恋人じゃな
くてもいい、ただ、ただ絵本を読んでくれるだけでいい。
男
まるでベビーシッターだ。
女
そ、見守って欲しい、眠るまでの間・・・居るわけないか、自分は自分で守らな
くちゃ・・・わかってる、わかってるんだけど・・・何だか疲れちゃった・・・。
男
眠い?
女
・・・・。
男
スヤスヤと安らかな寝息をたてる彼女を起こさないようソッと部屋を出て、ボク
はなんとか我が家にたどりついた。それから彼女には会っていない。踏み倒した飲
み代を払いにバーを訪れたが、既に彼女は店を辞めていた。・・・ヒタリ、と名無しが
訪れた夜、絵本を開いてみる。彼女の為に、自分の為に、名無しの為に・・・。
終わってまた始まる