- 登場人物
- 初老の夫婦
- 旅館の一室。波の音が聞こえる。
夫、窓辺の椅子に座って、外を眺めている。
- 妻
- 眠れませんか?
- 夫
- うん。
- 妻
- あたしもですよ。
- 妻、布団から出る。ため息をつく。
- 妻
- ひどい時間。早起きしてお風呂入るつもりだったんですけど。
- 夫
- うん。
- 妻
- 露天風呂から日の出が見えるんですって。
- 夫
- そう。
- 妻
- 天気のいい日はそりゃきれいだって、仲居さんが。何、見てるんです?
- 夫
- いや。
- 妻
- よいしょ。
- 妻、向かい合って座る。
- 妻
- やっぱり照れますね。
- 夫
- 何が?
- 妻
- 今更、二人で旅行なんて。
- 夫
- だから私はいいって言ったんだよ。
- 妻
- せっかく雅彦と澄江さんがプレゼントしてくれたんですから。
- 夫
- うん。
- 妻
- 明日、駅まで歩いて帰りませんか?
- 夫
- どうして?
- 妻
- 海岸沿い歩いて。せっかくですから。
- 夫
- 結構遠いぞ。
- 妻
- 一時間ぐらい?
- 夫
- うん。
- 妻
- じゃあ歩きましょうよ。
- 間。
- 妻
- これからは好きなときに行けますね。
- 夫
- 何が?
- 妻
- 旅行。
- 夫
- あれ何だか分かるかね?
- 妻
- え?
- 夫
- いや、岬のほう。光ってるのが沢山見えるだろ。
- 妻
- ああ、ほんと。きれいですね。
- 夫
- 何だと思う?
- 妻
- さあ。
- 夫
- ちょっとは考えてみたらどうかね?
- 妻
- はい――家の明かりじゃありませんよね――駅の明かり――お祭りとか――もう。
何です?
- 夫
- 電照菊の明かりだそうだよ。菊だよ。菊の栽培。ああやって、
夜も電球で照らして開花を早めてるんだそうだ。
- 妻
- へえ。
- 夫
- この辺りの風物詩なんだって。案内のパンフレットに書いてあったよ。
- 妻
- 素敵な明かりですね。
- 夫
- そう思うかね?
- 妻
- ええ。
- 夫
- 私には、もっと働け、もっと働けって言ってるように見えるがね。
菊にだって昼、夜の区別ぐらいあるだろうに。健気なもんさ。
- 妻
- ‥‥‥。
- 夫
- まばゆい光にあてられて、それを周りの期待と勘違いして精一杯応えるんだよ。
昼も夜も必死で働くんだよ。
- 妻
- 後悔なさってるんですか、お仕事 辞めたこと?
- 夫
- いいや。
- 間。
- 妻
- あ、メロン。あなた、メロンですよ。
- 夫
- 何が?
- 妻
- この辺りの特産なんですって。澄江さんが言ってたわ。お土産に買って帰りましょう。
- 夫
- お土産に、メロンをか?
- 妻
- 変ですか?
- 夫
- いや。
- 妻
- やっぱり冷えますね。
- 夫
- 喉が渇いて困るからって、暖房切ったのお前だろう。
- 妻
- そうですけど。よいしょ。早く寝て下さいね。
- 夫
- うん。
- 妻、布団に戻る。
- 妻
- あなた、海見てるのかと思ったら、あの明かり見てたんですね。
- 夫
- 海なんか暗くて見えんよ。
- 妻
- そりゃそうですね。
- (終)