「ただいま」
「おかえりなさい」
 
ぴったり七時半、この人は帰ってくる。夕食の準備を終えお風呂を沸かしテーブルにひじをつきぼーっとテレビを五分ほどながめ、七時半。この人は帰ってくる。
「ごはん?お風呂?」
「お風呂」
脱いだ背広をハンガーにかけながら私は思う。
 
…このままでいいんだろうか…
私はサラリーマンが好きだ。実家が農家だったせいかサラリーマンにキュンとくる。私の理想はめがねをかけてちょっと冷たそうな感じで、でも寝る前にココアを飲むような子供っぽいとこがあって、指先がきれいで腰骨がでっぱっててあごの線がすごくきれいで、話始めるときに、「問題点は三つあります」とかいっちゃう様な人だ。だからこの人とはじめてあったとき、
「モゲー!」と、思った。
「まじポン!」と、思った。
「ピッタシカンカン!」と、叫んだ。
なんとか夫婦(めおと)になれないものか。軍鶏にえさをやりながらも、合鴨たちを田んぼに遊ばせながらもそのことばかり考えた。
だから今年の夏、この人と夫婦(めおと)になれたとき、
「ドヒャー!」と、思った。
「まんまみーや!」と、思った。
「ベッカンコー!」と、叫んだ。
結婚式の当日は気絶寸前だった。酒飲んで風邪薬のんだ翌日みたいに頭がぼーっとして顔がこわばっていた。控え室で私の晴れ姿を見て母が言った。
「ひとやまあてたな」
ひとやまあてたよ、お母さん!
ウエディングドレスで、この人と腕を組み、友人達の前に出たとき、宮沢りえみたいに美人じゃなくても宮沢りえより幸せになれるんだと思って涙がでた、そして涙で曇った視界の先に、吉井達子がいた。
吉井達子は幼馴染で組合長の娘である。
「吉井さんとこは牛でも人でも育つのがはえーわ」
と、よく母が言っていたとおり吉井達子はオマセなコだった。
私にいろんなことを教えてくれた。
細く見える座り方のコツとか、細く見える化粧のコツとか、細く見える写真映りのコツとか。とにかくいろんなコツを知っていた。あのころの私は吉井達子の忠実な弟子だった。その弟子がいま師匠を超えていく、私は吉井達子をみて飛び切り微笑んだ。
そのとき!吉井達子が薄い唇をゆがませ不吉に笑った!
そして!私の脳裏にかつて吉井達子から聞かされた「結婚のコツ」が浮かび上がった!
「あんた。結婚は百点満点の人としたらいかんケロ。七五点くらいの人が一番ケロ。百点満点ちゅうのは桜の花みたいなもんであんなもん一年中咲いていたら地に足つかんケロ。お月様だって満月の次はかけていくだけケロよ。ちょっと不満はあるけどこの人でええわちゅうぐらいの人が一番ケロ。かえってながもちするケロ。これ結婚のコツケロ。ケロケロロロロr…。」
「だいぶ寒くなってきたね」
「あ、うん」
「月末に休みがとれそうだし温泉にでもいこうか」
「うん」
 
やさしさに、めまいがする。
幸せすぎて、うそみたいだ。
今の私は、私じゃないみたい。
結婚して三ヶ月。私たちは始めての冬を迎える。
どこかにあるはずだ。この人の欠点。早くそれを見つけて、わたしはあきれて「もう、しょうがない人」と笑うのだ。私はながもちしたいのだ。この人と一緒にいたいのだ。このままじゃちょっとの喧嘩で取り返しがつかないことになってしまいそう。もっと自然に一緒にいたいのだ。どこかにあるはずだ。この人の欠点。駄目なところ。私はそれを見つけて…。
「あ、そうそう今朝寒かったから勝手にかりてったから」
「え、なにを」
「パンスト。すごくあたたかかった」
「…」
「これってどうやって脱ぐの?」
ワイシャツにパンストという姿をみて、「もう、しょうがない人」と笑うことはできなかった。私たちの冬は、まだ始まったばかりだ。
おわり