ダダダダダ
それはミシンの音
アアアアアア
それは赤ん坊の泣き声かしら
となりの部屋で泣いている
足踏みミシンの音がふと止むと、今度は地味な手縫いの作業
手を止めることなく、二代目針子が自分の母親とのことを話し出す
針子
僕の母は一代目針子と言いまして、その針さばきは見事だったそうです。その針と糸でつないでいく速さは目にもとまらぬ速さで、なのにその正確さときたら…!規則的な機械で作ったものよりも、母の作り上げた手縫いの品物は、そう、きっと完璧と言っていいほどの出来栄え。母はたくさんの弟子を持っていて、僕の家の一階には、長い長いテーブルが幾つもズラリと並んでいました。飛行場の滑走路のように長い作業場です。そのテーブルに向かって座っているのは長い髪をひっつめて仕事に励むお針子さんたちでいっぱいだった。誰もかれも、二代目針子の名を襲名するために毎日毎日細い針の切っ先と小さな針穴とにらめっこして腕を上げようとしていた。さぁ、母ももういい年だ。襲名は誰が?それでも、母の血を引いている僕には自信があった。
少し若い二代目針子と一代目針子との言い合いの始まりだ
男には向かないさぁねぇ。
針子
差別じゃん!
そう、差別だぁね。
針子
言っちゃ悪いけど他のお弟子さんよりも僕のほうが断然上だって。なんせほら、腕があるから。見て、針と糸でつないだ靴下、背広、スカート、ズボン、産着。
あぁ~、あぁ~、あ~。
針子
何?
分かってないねぇ、あんた。
針子
へ?
だから頭悪いんだから。いいかい、よく考えなぁね。男の本能はなんだ?
針子
なな、何だっつわれても。
カル。
針子
かるぅ?
ばっかねぇ、変換しなさぁね。あんたって昔から国語が苦手ねぇ。狩る、刈る、断ち切っちゃうのが本能だろう。断ち切ってねじ伏せて、しょうがないよ、そういう体のつくりだよ。だから女がつなぐんだよ。狩った獣に小麦粉まぜて卵まぜてつなぐじゃない。刈った稲穂をねばりのあるご飯にするじゃない。だから針子は女って決まってるでしょうが。あんたも、狩る本能があるんだよ。そんなやつがどうやってつぎはぎつなぐ、バラバラつなぐの。仕事なめるんじゃないわよ、あんた。
針子
それ…
何さぁ?
針子
屁理屈じゃんよ。
そう、屁理屈だぁね。
針子
ホントにタダの屁理屈なのか!?
いいじゃないよ、継がなくったって。
針子
今時珍しいよ?
今時世襲制なんて流行らないわぁよぉ。
針子
流行をやりたいわけじゃないって。これが天職ってやつ?これだ!って思ったから。
こっちの布っきれと、この布をつなぐ、と、きっとこんな形になる。次にあっちの布をつなぐともっと素敵になるかしら…なんてことを毎日毎日やるわけよ。
針子
すげぇ仕事じゃんよ。
あんたは、まだ分かんないんだぁね。つないだってねぇ…
針子
うん?
またバラけるだけさぁね。
そんな母の言葉を、二代目針子は思い出しているのだろう
針子
ポツリと言ったあの言葉が、今とても重たい。
またバラけたものを、また想像してつなぐ。
針子
つなぐ。
いつまでも、いつまでも、
針子
つなぐ。
つきない想像の作業なんだわ。なのに、
針子
なのに、
つなげないものが出てくると、とたんに困るんだぁね。
針子
針と糸があれば…
無理なものが増えるとどうなるんだろうね。例えば、
針子
例えば、
あんたとあたしみたいな。
ふと、手縫いの作業をとめる針子
針子
そうだ。あの言葉が今はとても重たい。例えば、引き裂かれた産着やドレスやスカート、穴の開いた靴下、ひざ小僧の飛び出たズボン、破れた背広、そんなものなら確かに容易い。針と糸さえあれば。ああ、でもきっとあなたは別のことを言っていたんですね。
大きく溜息をついた二代目針子
針子
お母さん、針と糸では縫えないものが増えすぎました。
おわり