- 古ぼけて、あかく焼けてしまったフィルムのような空の色
なつかしい夕焼けの空の色
なつかしい夕暮れの町
遠くで自転車のベルの音
遠くでお豆腐屋さんのラッパの音
季節はずれの風鈴がなった ちりん
- 僕
- サーカスが来る。だけど夜にやって来たサーカスだけは見に行っちゃいけないよ。それは朝になったら跡形もなくなってるから。見に行ったら最後、一緒に連れて帰らされるよ。それに昼間のサーカスとは違って、いつだって彼らは歓迎されないんだから。
- 団長
- 誰がそんなこと言うてんねん?
- 僕
- みんな。
- 団長
- みんなて誰やー?言うてんねん。
- 僕
- みんなはみんなだよ。みんながあんたなわけないじゃない。
- 団長
- ナイッス!はい、はよ生きやー。忙しいねん。テントたたまなあかんねん。はい、はよ生きやー。洪水が来るんやで。はい、みんな急いでなぁ。時間来てるー。そろそろやで。
- 僕
- 跡形も消えてなくなる準備?
- 団長
- それ、案外イリュージョンやね。
- 僕
- やっぱり一瞬のうちに連れて行く?
- 団長
- 拉致かと思われるやろ。
- 僕
- 昼間のサーカスとそんなに違う?
- 団長
- だから何やねん!?何回も言うてるけど、こっちは忙しいねん。帰らなあかんねん。
- 僕
- 団長!
- 団長
- 何で知ってるの?
- 僕
- 名札。
- 団長
- ほんまや!
- 僕
- 一緒に連れて帰って。
- 団長
- は?
- 僕
- 何だってする。
- 団長
- ふうん。
- 団長、まじまじと観察
- 団長
- 何が出来んの?人間まんじゅう?蜘蛛歩き?顔面裏返し?炎、食うか?眼球取り出し?四つ腕でキャッチボールか?鮫肌でワサビを擂る?とんがった耳は悪魔の印。でお前は何が出来るねん?
- 僕
- ううーんと…
- 団長
- 何でもするんちゃうんか?うーわ。今頃悩んでるん?時間きてるやん。もうどっち?帰るんか、はよ生きるんか、はい、どっち?
- 僕
- でも、だから、その、“はよ生きー…”て、いいのかな。誰か悲しんだりしないかな?いいの?生き、てもいいのかな。
- 団長
- …聞こえたら、はよ生き。
- 僕
- え?
- 団長
- 「ようこそ」
- 僕
- ようこそ?
- 団長
- 「ようこそ、この世界へ」って聞こえたら、多勢じゃなくても、たった一人でも。それが聞こえたら、生かなあかんねん、きっと。
- 僕
- きっと…団長は?
- 団長
- 聞こえてたら、みんな、こんなとこにはおらん。
- 僕
- え?
- 団長
- あ、水門が開く。はよ生き。
- 水門が開く
それは裂ける音か
どどっと、溜まっていた水は外へと流れ出す
僕は水にさらわれ、がぼがぼと声を震わしながら流れ始める
がぼがぼと、もがいてもがいて
やっと
僕は外気と触れる
やっと
僕は鼻から酸素を吸った
やっと
はぁと息を吐き出した
やっと
はっきりと聞こえた
誰かが言ってる
「ようこそ、こちらの世界へ」
- おしまい