夏の深夜だった。私は目を覚ましとなりで眠る妻の寝息を確認してから立ちあがり、台所に向かった。冷蔵庫のドアを開け桃の缶詰を取り出す。電気はつけず、そのまましゃがみこみ、缶詰をあける。大きな桃の果肉をそのままほうばる。…甘い…。
なにしてるの?
いや、べつに…
桃?
私にもちょうだ…
その言葉も終わらないうちに私は桃の果肉を口に入れた。全部食べてしまった。口の端から汁をたらせてカミカミする私をみて妻はいった。
卑しい人
…そう私は卑しい人なのだ。そうおもいつつ残った汁まですする。妻はもう言葉もない。でも言わせて欲しい。私はこの桃の缶詰がどうしても食べたかったのだ。この桃缶は妻の実家から送られてきたものだ。私たちが共働きなのを心配してか妻の母は月に一度、インスタントの味噌汁やらお餅やらふりかけやらを送ってくる。そのなかに今月は桃缶があった。「これは私が食べよう。しかも深夜に、盗人のように食べよう」そう心にきめた。それぐらい食べたかったのだ。
甘いの…好きなの?
妻ははじめてみる私のそんな姿にすこしとまどっている様子だ。私はこたえた。(妻に)別に…。
けれどその返事はもちろん答えにはなっていなく。妻はますます私という人間をいぶかしげにみる。結婚して2年。お互い相手のことはおよそわかっているつもりだった。けれど今の私の言動はただ妻を混乱させるだけなのだろう。私にしたって人から「卑しい人」などと言われるのは生まれてはじめてかもしれない。次の瞬間なぜだろう、ムラムラってきて、私は妻のお尻をさわった。
やめてよ
妻はゾッとしたのだろうまるで痴漢あつかいだ。もういちど触る
やめてって
なんか…したくなってきた
は?
したい
したくない
ちょっとだけ
なによその言い方
わたしだってそんな言い方するのは初めてだ。でも今日はもうひと押し。(妻に)お願い
あさましい人
…そう私はあさましい人なのだ。そこまで言われるとなんかどうでもよくなってきた。でもわかってほしい。私は桃を食べたかっただけなのだ。君が目を覚まし声をかけたからこんなことになったのだ。君にはきっとわからんだろうが。こっそり、全部、孤独に食べたかったんだ。明日にはまた会社でボロカスに言われるであろうこのからだによく冷えた甘い桃を食べさせてやりたかったのだ。しかもこっそりと。でも当然、妻にそんなことをいってもせん無きことだ。わかって欲しいと思う気持ちにもおのずと限度がある。そううちの親父もいってた。もうねよう。ノッソリ立ち上がり蒲団にむかう。途中振り返ると冷蔵庫からもれる明かりの中、妻がこちらをみている。哀れむような顔をしてこっちをみてる。
なにか、イヤなことでもあったの?
別に。
…話してくれないとわからないよ
蒲団に入って目をとじる。妻はなかなか帰ってこない。私の行動は妻を悲しませたのだろうか。あぁ…、でも、これも結婚の味わいの一つなのだろう。…たぶん。
おしまい