- とうりゃんせ とうりゃんせ…の機械音でいっせいに人々の足が動き出す
車よりも人のほうが力のある横断歩道で ティッシュを配る人 指輪を売る人 笑う人 無言の人
ただそこに座っている人々 音楽のような人ごみの中で呟き歩く迷子
- 迷子
- …間違えたんかなぁ…もういっこ向こうの筋で曲がるんやったっけ?…あれぇ、やばいわ、間に合わんやんけ。
この信号渡って、それからこの角を曲がる…あ…?
とうりゃんせ とうりゃんせ…がまた鳴っている
- ガタンガタンと電車が頭の真上を通り過ぎる
- 迷子
- あかんわ、ぼけてんのかな。ぐるぐるまわってるだけやんけ。何ど忘れしてんねん、俺。この信号を渡って、それからこの角を曲がる…。
- とうりゃんせ とうりゃんせ…がまた鳴っている
ガタンガタンと電車が頭の真上を通り過ぎる
- 迷子
- あれ?やっぱりまた…道聞くのもなぁ、ほとんど地元やのにおかしい…。
- カン、カン、カンとまわる観覧車をふと見上げて
- 迷子
- こんなもん、あったっけ?……ああ、そんなん言うてる時間ないわ。誰かに聞こう。おばちゃんとかに聞いてもあかんしな、若いお姉ちゃんのほうが…あ、あのショートの子話しかけやすそうやし、でもナンパや思われたら何かシャクやな。その隣の…何や?あれ…きっしょい女やな。前髪長すぎるで、アゴまできてるやんけ。何持っとんねん?ゴミ袋か?あれ…。
- 前髪
- ちょっと。
- 横断歩道の向こう側に前髪がやたらと長い女が立っている
- 前髪
- ちょっと、あんた。
- 人ごみの中 もちろん迷子は自分のことだとは思わない
- 前髪
- あんたやん、あんた。そこのあんた!
- 迷子
- うわ、なんか叫んでるし。
- 前髪
- お前や、言うてるやろ。そこでぼけてるお前。ぐるぐる回ってる迷子!
- 迷子
- …え?
- とうりゃんせ とうりゃんせ…がまた鳴っている
ガタンガタンと電車が頭の真上を通りすぎる
大声で言いながらずんずんと前髪は横断歩道を渡って迷子のほうへ走る
両手には少なくとも3つ4つの黒いゴミ袋を抱えてガッサガッサ音を立てて
- 前髪
- まーだ、おったんかよ。お前やって、青いシャツ着てるお前。
- 迷子
- え?俺?
- 前髪
- あんた以外におらんやんか。
- 迷子
- ええ…?なんで、俺?
- 前髪
- …って、ちょっと何で逃げんのよ?
- 迷子
- そら逃げるっちゅうねん。
- 前髪
- 待ちいや、あんた!
- 迷子
- 誰やねん、あいつ。
- 前髪
- 止まれ…動くな!
- 迷子
- なんで追いかけてくんねん。
- 前髪
- 荷物重いねんから、あんまり走らさんといてよ!
- 迷子
- 知らんわ、そんなん。
- 前髪
- この前言わんかったっけ?もう最後やでって…。
- 迷子
- この前?
- 前髪
- …やっと、止まった。
- ゴミ袋が重いのか 前髪は肩で息をする
- 迷子
- この前って…?
- 前髪
- あ、そう。それももうあかんのんか。
- 迷子
- は?
- 前髪
- あ、しゃあないわ。でも逃げいでもええやんか。
- 迷子
- そんな見ず知らずで、ゴミ袋3つも4つも持って、前髪だらだら長い人に叫びながら追いかけられたら誰でも逃げるやん…。
- 前髪
- どうせまたぐるぐる回ってるんやろ。
- 迷子
- ぐるぐる回ってんのは今で…。
- 前髪
- またまた。
- 迷子
- 何やねん、あんた…。
- 前髪
- 何やの?あんたは?
- 迷子
- 絶対、おかしいわ、こいつ。
- 前髪
- 何か、おかしいわ、ここは。
- 迷子
- あ…俺、時間ないんで。
- 前髪
- 時間ないねぇ。
- 迷子
- 待ち合わせしてるんで。
- 前髪
- 何時に?
- 迷子
- はぁ?なんやねん、あんたほんまに…。
- 前髪
- どこで?誰と?なんの為に?
- 迷子
- あんなぁ…。
- 前髪
- その約束はいつしたん?ところで最近暖かくなった思ったらまた肌寒くなったりして。いつの間にやらごっついファッションビルなんか建ったりして、反対に壊されるビルもあったりして、流れてるよな、確実に。
- 迷子
- …あのな…。
- 前髪
- 何回も言うたやん。だからこの前、これで最後やでって。後はないでって。考えやって。なぁ、いつ、どこで、何時に?誰と?それはいつのこと?
- 迷子
- 時間は…急がな…だから、ど忘れして、俺…なんの為ってそれは…誰と…?いつもの場所やでって…この信号渡って、この角を曲がって…。
- さっきまで絶えず途切れる事なく続いていた人の声も、車も、匂いも空気も、1枚ガラスを隔てたように遠くに聞こえてくる
とうりゃんせ、とうりゃんせも、遠くで鳴って、遠くで聞いているよう
代わりに、シャキ、シャキ、シャキシャキとハサミを動かす音がどんどん近づいてくる
- 前髪
- 残念。
- 迷子
- え?
- 前髪
- あんたが掴むはずやったのにな。
- 迷子
- 掴む?
- 前髪
- 知ってた?ナンチャラの女神はな、前髪しかないねん。思い出しても振り返っても、後ろ髪がないから捕まれへんの。もう、通りすぎたで。
- 迷子
- どこで、誰と…?
- 前髪
- ちゃんと考えへんから。なんでここにおるんか。なんでぐるぐる回るんか。なぁ、人の間でわからんようになってしまうねんなぁ。
- 迷子
- いつのこと?何しに…?あれ?ちょっと待ってって。思い出すから。考えてみるから。
- 前髪
- だから、もう通り過ぎたって。もう来うへんよ。前髪は、ゴミ袋の中。
- ジャキンと前髪を切り捨てた
- 前髪
- また荷物重くなるわ。もういっぱい。色んな人の、色んな前髪がゴミ袋ん中。
- 遠くだった人々の声は吹き出すようにすぐそばで聞こえ出す
いつもの、とうりゃんせ、とうりゃんせ
ティッシュを配る人、指輪を売る人、笑う人、無言の人
ただそこに座っている人々
- 迷子
- …間違えたんかなぁ…もういっこ向こうの筋で曲がるんやったっけ…?
- 音楽のような人ごみの中でかき消されて行く誰か
- 了