- 夕暮れ 雑踏 ありきたりな携帯の着メロ 途切れて
- 彼
- あーもしもし。
- 彼女
- 遅いわ、もうっ、何ぐずぐずしてんのぉ。
- 彼
- ちょっと待てよ、それ俺の台詞だろ。待ち合わせ何時だと思ってんだよ。
- 彼女
- ていうか。ちゃうやん。電話でんの。
- 彼
- え。
- 彼女
- 前はもっと早かったやん。気持ち悪なるくらいマッハで出たやん。
- 彼
- あー…着メロ変えたから。
- 彼女
- 何それ。
- 彼
- 前はほら、プップクプクプクプップー。
- 彼女
- はあ?
- 彼
- 恥ずかしいだろ。だから周りに聞かれないようにさ、最初のプッで出るわけ。
- 彼女
- そんなんやったら他のにしといたらええやん。意味ないやん。プップーの立場はどうなんの。
- 彼
- 何だよプップーの立場って。プクプクプクの立場はいいのかよ。
- 彼女
- 知らんちゅうねん。ちょお待ちいや、あんた、彼女からの着メロに笑点はないやろ。
- 彼
- だから変えたじゃん。
- 彼女
- やめてや恥ずかしい。あたしが笑われてるみたいやん。
- 彼
- 別にお前が聞くわけじゃないんだし…そんな事どうでもいいんだよ、今どこだよ。
- 彼女
- え?どこって…どこやろ。どこ?
- 彼
- 知るかよ。
- 彼女
- わからへん。あたしだって方向音痴やもん。
- 彼
- それ
- は知ってるよ。
- 彼女
- 酔っ払って梅田から難波まで歩こ思て、気ぃ付いたら高槻の橋の上で寝てた女やねんで。
- 彼
- なに威張ってんだよ。
- 彼女
- そっちこそ、どこおんのよ。
- 彼
- どこも何も待ち合わせ場所だろ。サンタ・サングレって喫茶店。言ったじゃん。
- 彼女
- 聞いたけど無理。どう行くん、こっちから。
- 彼
- なんでこっち引っ越してきたばっかりの俺が…しょうがないなあ…じゃあさ、周りに何が見える?
- 彼女
- パンクの兄ちゃんがティッシュ配ってはる。
- 彼
- 違うよ、建物。なんか目印になるような。
- 彼女
- んん…あ!やさぐれ三太郎って居酒屋あるけど、こっちにせぇへん?
- 彼
- 何を?待ち合わせ場所を?
- 彼女
- 名前似てるし。
- 彼
- いや、似てても。
- 彼女
- そやな…あ、赤い観覧車。
- 彼
- どっち?
- 彼女
- 左手。右手に…何やろ。警察?
- 彼
- あー、大体わかった。そのまま真っ直ぐ。信号渡って500メートル。
- 彼女
- 今ので分かったん?凄いな、能力やな。
- 彼
- 地元でも迷えるお前の方が凄いよ。
- 彼女
- 待っといて、マッハで行くから…愛のパワーで。
- 彼
- ……ばーか。
- ツー…ツー…ツー…
夜
アパートの一室 ありきたりな携帯の着メロ途切れて
- 彼
- どうした?また迷ってんのか?ケーキ買って、料理まで作って待ってんだぞ。普通、逆だぞ。
- 彼女
- ……。
- 彼
- いや別に怒ってるんじゃないけどさ。冷めちゃうし、な。
- 彼女
- 今…。
- 彼
- え。
- 彼女
- 今、後ろから…ついてくんねん。
- 彼
- え。
- 彼女
- 黒い車。黒いかどうか分からんけど…恐ぁて見られへん。音、聞こえるやろ……また道、迷てん。なんか変な工場の裏みたいな暗いとこ出てもうて、あー、思とったら、ナンパされてん。無視して歩いとったんやけど、ついてくんねん。ずうっと、ついてきよんねん……どうしよ。
- 彼
- 俺に電話してどうすんだよ、ひゃ、110番しろよ!
- 彼女
- 嫌や電話切んの怖い。それにここどこか分からへんもん。
- 彼
- あー、えっとえっと…叫べ、助けてーでも何でもいいから大声で!
- 彼女
- …あかん、声、でえへん。
- 彼
- 誰か、誰かいないのか?近くに。
- 彼女
- 助けて…。
- 彼
- おい、周り、何が見える。
- 彼女
- …公園。
- 彼
- どっち。
- 彼女
- 左手。右手に河。
- 彼
- 良かった。すぐ近くだ。真っ直ぐにレンガのマンションあるだろ、5階建ての。
- 彼女
- うん。
- 彼
- その隣、俺のアパート。分かった?
- 彼女
- うん。
- 彼
- 迎えに行くから。
- 彼女
- うん…切らんといてや。
- 彼
- わかった。
- と
電話の向こう側で車のエンジン音
ドアが開きもみあう音
そして悲鳴
こちら側でドアが開き
鉄階段を駆け下りる音
車の走り去る音
そして
悲鳴
ツー・・ツー・・ツー・・・・・・・
深夜
アパートの一室
ありきたりな携帯の着メロ途切れて
無言で電話を切るがまたすぐにかかってくる
- 彼
- …もしもし。
- それ
- ……。
- 彼
- …誰?
- それ
- ……。
- 彼
- それ、拾ったんなら、悪いけど処分して。持ち主、もう…いないから。
- それ
- ……。
- 彼
- 契約解除の手続き、してなかったんだな。まだ…ああ、この番号も。
- それ
- ……。
- 彼
- …聞いてる?
- それ
- あたしやで。
- 彼
- …え。
- それ
- あたしやって。
- 彼
- 誰だよ…お前。
- それ
- そやから。
- 彼
- ふざけんな!ふざ…!…ひょっとして。お前が…やったのか。
- それ
- 何、言うてんの?
- 彼
- あいつの、携帯だけが見つからなかった。鞄も、傘も、一緒に沈んでたのに。ほんとバカだよな、雨なんか降る天気じゃなかったのに。
- それ
- ちゃうって。
- 彼
- 見つけてやる。警察より先に俺がお前らを見つけて、見つけて…。
- それ
- 嬉しい。
- 彼
- え。
- それ
- 愛のパワーやな。
- 彼
- え。
- それ
- ごめんなぁ、あいつらの顔、覚えてへんねん。ぎゅーって目ぇつぶってたから。その代わり、電話、ぎゅーって。耳だけ、声だけ。そやけど…切れてもうたなぁ。
- 彼
- …まさか。
- それ
- 痛かったで。めっちゃ痛かった。
- 彼
- 嘘だろ。
- それ
- 冷たかった。めっちゃ冷たかってん。
- 彼
- 嘘だ。
- それ
- あれからもう1週間も経ったん?またやわ。嫌やな、方向音痴いつになったら治るんやろ。
- 彼
- そんな、バカな。
- それ
- ほんま、あほやろ。けどもう、近くまで、来てるねんで。
- 彼
- ……。
- それ
- 能力ちゃう、やっぱこれ。アタシが迷たら、アンタが導く、みたいな。
- 彼
- 俺が……導く……。
- それ
- 左手に公園。鉄棒と砂場しかあらへん。右手にドブ河。猫がプカプカ浮いてるわ。その先にレンガのマンション。こんな時間やのにまだみんな起きてはるわ。その隣に、アパート。古ぼけた、鉄階段。
- 鉄階段を上がる足音が
向こう側でもこちら側でも聞こえる
「ひっ!」
電話を切る
足音も止まった
沈黙
突然ドアノブが強引に回され 火薬の爆発にも似た音を立てねじ切れる
着メロが ありふれた着メロが また
そして
ドアが
ゆっくりと
開く
- それ
- へえ…着メロ、そんなんやったんや…
- 男の声にならない悲鳴の中
着メロが鳴り続ける
- 了