- 男
- 後ろに怪物が迫っていた。
- 女
- ほら、起きてよ。もう姿が見えてるよ。
- 男
- お、いかんな。行くとするか。
- 飛び立つ鳥の羽音と鳴き声
山の中らしい
- 男
- この生活が始まってもう5年になるだろうか。いや、もっとになるかも知れないがこんな生活では日々の積み重ねなんて大した意味がない。
- 女
- 今日もひどい顔。
- 男
- うるさい。
- 女
- 怪物の方よ。
- 男
- 怪物どもは俺達が気がついたことに落胆したのか、追跡のスピードがめっきり落ちて、ガフガフ息切れしている。
- 女
- 朝駆けする気だったのかな。ご苦労なこと。
- 男
- 呑気なものだ。昔はもっと怖がっていた気もするが。
- 女
- 3年目にもなればね。
- 男
- そんなになるか。
- 女
- もっとかもしれないけど、よく覚えてない。
- 男
- 彼女とは逃亡途中に出会った。同じ怪物に追われているらしいとわかって、共同戦線を張ることにした。性格的には問題がないでもないのだが、どうせそれはお互い様なので。
- 女
- 当たり前。
- 男
- …特に文句はつけない。若い女性だっただけでも感謝すべきだろう。
- 女
- 前の人、何処まで行ったかな。今日は距離を稼ごう。
- 男
- 逃亡生活を送っているのは俺達ばかりではない。まだ言葉を交わしたことないが、俺達の前にもやはり同じ立場の人がいて、単に「前の人」と呼んでいる。逃亡にかけてはベテランらしいので、痕跡を追いつつ、逃亡生活を学ぶのが俺達の日課だ。
- 女
- この葉っぱも食べられるのか。メモっとこ。
- 男
- なぜこんなことに、とか、どうして俺達が、とか考えるのはとうにやめた。無意味だからだ。今でも気になるのは怪物どもは俺達を捕まえてどうする気なのか、
- 女
- 食べるんでしょ。
- 男
- とか、そもそも奴らは本当に俺達に敵意を持って追いかけているのか、
- 女
- 顔見ればわかるでしょ。
- 男
- とかぐらいか。確かめたい気持ちはあるのだが
- 女
- 自分の命をチップにするような賭けはいや。
- 男
- 問題は奴らの爪と牙を前にしたとき、疑問を解く余裕があるかどうかだ。
- 枯れ葉や小枝を踏みしめる足音
- 男
- どっちだ?
- 女
- こっち。わかりにくいけど、ほら、ここ。
- 男
- 足跡か。よく見つけたな。
- 女
- まあね。
- 男
- 足下には街が見える。あそこには怪物とは無縁で、その存在さえ信じない人だけが住んでいる。昔は俺もあの中にいたはずだが、今では違う星の話くらい遠く、記憶も曖昧だ。
- 女
- 昔のことでも思い出した?
- 男
- いや。お前は?
- 女
- 全く。
- 男
- 過去については彼女も同様で、おかげで彼女のことは夫婦でもないと知り得ないようなことを知ってる一方で、過去についてはさっぱりだ。
- 女
- 思い出しても教えないけど。
- 男
- なんで。
- 女
- それで今が何か変わる?
- 男
- ごもっとも。なら俺もそうする。
- 女
- ケチ。
- 男
- そして今日も俺達は逃げる。
- 枯れ葉や小枝を踏みしめる足音
- 男
- (鼻歌)夢は今も巡りて~
- 女
- 何、この辺りがあなたの故郷なの?
- 男
- 無茶言うな。ここがどこかもわからないのに。
- 女
- そりゃそうね。
- 男
- なあ。
- 女
- なに?
- 男
- なんで前の人は俺達が追いつくのを待ってくれないんだろう?大勢でいた方が安心だろうに。
- 女
- それだけ怪物に近づくのがいやなんでしょ。
- 男
- 思ったんだけどな。
- 女
- うん。
- 男
- 知っての通り、前の人も怪物どもも俺達と同じ2人組だろ。
- 女
- それがどうかした?
- 男
- ひょっとしたら、前の人には俺達が怪物に見えるのかも知れない。怪物どもも実はただの人間で必死に後からついてきてるだけで…。
- 女
- あのさ。
- 男
- うん?
- 女
- なんの役にも立たないこと考えてる暇があったら、地形の1つも覚えたら。最近その手の事やってるの、あたしばっかりじゃない。
- 男
- …はい。
- 女
- もうちょっとしゃんとして、しゃんと。
- 男
- そういえば、昔、ある女友達からあんたは女の尻に敷かれるタイプだ、と言われた。もしあたしと結婚したら1から10まであたしの思い通りに動かせる自信があるわよ、とも言っていたっけ。妙に説得力のある奴だったな。押しが強くて計算高くて…そう、ちょうど今、前を歩いているこいつのような…ん?
- 女
- ほら、急ぐわよ。おいていかれたいの?
- 男
- …まあ、どうでもいいことである。
- 了