- ヒューヒューと風のきつい日
コートのポケットに手をつっこんで
カンカンとアパートの階段を上がる
- 男の中
- うぅぅ、さみぃ。やっぱり飲みに行きゃ良かったかなぁ。でも月末はきついから、ラーメンでも作るか…うるさいのが来てなきゃいいけど。
- ガチャンと重い玄関の鍵を開けた
- 味噌汁女
- おっかえりなさぁ~い。
- 男の中
- うわ、でた。やっぱり飲みに行きゃ良かったよ…。
- 男の外
- ただいま。何だ、来てたんだ。
- 男の中
- 来んなよ。
- 味噌汁女
- だってねぇ、今日寒かったでしょう?やっぱりそんな日はお味噌汁飲みたくなんない?
- 男の中
- 作ってくれ、なんて頼んだ覚え一回もないぞ。
- 男の外
- あ、分かる?
- 味噌汁女
- 用意するから、待ってて。
- 男の中
- だいたい合い鍵だって勝手に作ってきたし、困るんだよな、この手の女は。思いこみが激しくて自分の思ったとおりのことも相手が思ってるって信じきってるあたりが、うざい。非常にうざい。
- 味噌汁女
- はーい。出来上がりぃ。食べて、食べて。どーお?隠し味が効いてるんだからぁ。
- 男の中
- こいつなら、この料理の中に自分の血を1滴、2滴たらしてたって不思議はない。
- 味噌汁女
- 食べないの?
- 男の外
- 食べるよ。もちろん。いただきます。
- 味噌汁女
- どお?
- 男の中外
- うまい。
- 男の中
- そうなんだよ。なまじこの味噌汁が泣けるほどうまいんだ。これ飲みたさに、こいつが家に勝手に上がりこむのも黙認しちまうんだよ。
- 味噌汁女
- ねぇ、ど?
- 男の外
- うまい。ほんっとにうまいよ。
- 味噌汁女
- あ…やだ。サラダ作るの忘れてた。ごめん、すぐ作るから。
- 男の外
- ああ、いいよ。そんなに急がなくても。
- 男の中
- 作ったら急いで帰ってくれ。
- 台所でトントンとまな板と包丁が当たる音
男は食卓に並べられた料理を食べながら
- 味噌汁女
- ねぇ、ニュース見た?
- 男の外
- え?何?
- 味噌汁女
- 最近物騒なんだって。だから夜遅くに帰るの、怖いのよね。
- 男の中
- 来た。じゃ、泊まってく?って俺から言わすように仕向けてる。絶対。
- 味噌汁女
- ここもね、最近うるさいでしょ?ドタバタ聞こえない?
- 男の外
- 何が?
- 味噌汁女
- 上にね、ほら上よ。屋根。そこで生活する人がいるんだって。嫌じゃない?
- 男の外
- つむじまがりのこと?
- 味噌汁女
- すっごーい。何でも知ってるんだ。
- 男の外
- 呂嬢も整備されてきたから、上に登るしかなかったんじゃない。
- 男の中
- 今じゃ常識だ。子供でも知ってる。お前の頭の中はうまい味噌汁作ることしかないのか?
- 味噌汁女
- じゃあ、獣は?
- 男の外
- 獣?
- 味噌汁女
- うん。
- 男の外
- いや、何?それ。
- 味噌汁女
- あのね、つむじまがりの間で噂なんだって。獣の鳴く声を聞くとね、つむじまがり達は手に愛用の生活用品を持って、相手が動かなくなるまで潰し合うんだって。その獣の鳴き声って人のことおかしくさせちゃうんだって。怖くない?
- 男の外
- へぇ、変わった人ばっかりだからな。つむじまがりって。
- 味噌汁女
- でもね、最近はその部屋の上のつむじまがりだけじゃないんだって。
- 男の外
- え?
- 味噌汁女
- ここらへんでもね、あったんだって。そういうの。
- 男の外
- そういうって?
- 味噌汁女
- 若いお父さんがね、家族全員…やっちゃったんだって。
- 男の外
- へぇ…怖いな。
- 男の中
- お前の顔が怖いよ。
- 味噌汁女
- でね、その若いお父さんの言い訳がね、すごいの。「獣が鳴いたからやった」だって。
- 男の外
- やっぱり手には愛用の生活用品?
- 味噌汁女
- うん。趣味が日曜大工だったんだって。だから、かなづち。知らなかったの?この近所で起こったらしいよ。
- 男の外
- …あのさぁ、泊まってく?物騒だし、夜遅いから。
- 男の中
- ああ、また、言っちゃったよ。こいつの思うツボだぞ、俺。
- 味噌汁女
- いい。
- 男の外
- え?何で?
- 味噌汁女
- 今日は、帰る。
- 男の中
- うっそ。ラッキ!
- 味噌汁女
- ねぇ、愛用の生活用品って何?
- 男の外
- 俺の?
- 味噌汁女
- うん。
- 男の外
- うーん、やっぱり…布団…かな。
- 味噌汁女
- そっか。
- トントン、トントン、リズムに乗って聞こえつづける
- 味噌汁女
- 私ね、獣ってきっといないと思う。
- 男の外
- どうして?
- 味噌汁女
- きっと聞き間違えたのよ。
- 男の外
- 犬かなんかと?
- 味噌汁女
- ううん。外と中で、聞き間違えたのよ。
- 男の外
- え?
- 味噌汁女
- 獣が鳴いていたのは、きっと自分の中…。
- 男の外
- 出来た?サラダ?
- 味噌汁女
- うん。ねぇ、ドレッシング取って。
- 男の外
- はい。
- 味噌汁女
- ねぇ、テレビのリモコン取って。
- 男の外
- はい。
- 味噌汁女
- ねぇ、昨日会社に泊まったなんて嘘でしょ?
- 男の外
- はい……
- 男の中
- えぇ!ばれてる?何で?
- 味噌汁女
- ねぇ…聞こえた?
- 男の外中
- え?
- トントンと
鳴り響いていたまな板と包丁の音が止まる
- 味噌汁女
- 今、私の中で、獣が鳴いたのよ。
- 男の中
- それは、普段の日常会話となんら変わりなく、しかもその口元には笑みさえ見えた。手には愛用の生活用品。それを見ながら、思った。
俺の生活用品なんかはすぐに引き裂かれちまう。
- どこかの町の
国の片隅に
きっとまた獣が鳴いている
- 了