- 「カンカンカン」と足音がして誰かが鉄の階段を昇って来る
ピンポーン
ピンポーン
- ナミエ
- 入るわよー。
- ガチャ
扉を開ける
- コースケ
- うわ!
- ナミエ
- え?
- コースケ
- あの…。
- ナミエ
- 誰?
- コースケ
- 誰って?
- ナミエ
- あなた。
- コースケ
- き、き、君こそ誰なんだ、いきなり玄関を開けたりして。オレのプライバシーはズタズタだぞ。
- ナミエ
- プライバシーって、その変な柄のパンツのこと?
- コースケ
- ほっといてくれ。どんな柄のパンツを履こうとオレの自由だろ。
さむ。寒いからドア閉めてくれないか。
- ナミエ
- あ。ごめんなさーい。
- 「カチャ」と閉じる
- コースケ
- あれ?
- ナミエ
- なに?
- コースケ
- 中に入ってからドアを閉めてる。それじゃ着替えの最中のオレはどうすればいいわけ?
- ナミエ
- 気にせず続けて続けて。
- コースケ
- 気になるだろ。
- ナミエ
- こっちを見ないようにすればいいのよ。そしたら恥ずかしくないって。
- コースケ
- 本当なの、それ。普通は君がこっちに背中を向けるとかして、見ないようにするとかじゃないの?
- ナミエ
- だいじょうぶ、パンツに目の焦点を合わせないように努力しているから。今はそのヘアスタイルに目が釘付けよ。どこに行くとそんなふうなカットしてくれるの?
- コースケ
- どこって、美容院だよ、いつも行ってる。
- ナミエ
- うそ。
- コースケ
- う、うそじゃない。
- ナミエ
- ガスバーナーか何かで焼いたとか?
- コースケ
- ・・・・・。
- ナミエ
- 河原で昼寝してるうちに沢ガニがいっぱい集まって来て、ハサミでチョキチョキされたとか?
- コースケ
- わかった。別に君にどう思われようといいんだ。これはオレの髪なんだから。
で、何の用なの?
- ナミエ
- あ。ジーンズ穿いちゃうんだ。
- コースケ
- 穿いちゃうよ、そりゃ。
- ナミエ
- パンツが見えなくなっちゃうじゃない。
- コースケ
- ……やっぱり見てたんだ。
- ナミエ
- さて。着替えも終わったようなので、上がらせてもらいまーす。
- コースケ
- 初対面の男の部屋にズカズカと上がり込む。わかった。何か売りつけようとしてるんだ。階段の所に張り紙があっただろ?
「訪問販売お断り」って。
- ナミエ
- そんなのあった?よいしょっと。
- コースケ
- そのでっかい荷物。それだ、それ。何も買わないよオレ。
- ナミエ
- これ?これは私の旅行カバンよ。
- コースケ
- 旅行カバン…じゃ、あれか。寅さんみたいに日本中旅しながら訪問販売してるわけか。
- ナミエ
- さっき関空に着いたとこなの。
- コースケ
- 海外も訪問していろいろ売り歩いてるの?すごいな、すごい。ハハハ…。
- ナミエ
- 何とでも言ってちょうだい。お茶。
- コースケ
- は?
- ナミエ
- わかったわよ。自分でいれます。
- コースケ
- そ、そんな訳にはいかないよ。お茶ね、お茶、日本茶でいい?
- ナミエ
- ええ、緑茶をね。お願いするわ。
- コースケ立ち上がって台所へ行く
- ナミエ
- あなたに聞いても知らないとは思うんだけどさぁ。前にこの部屋に住んでた人、どこへ行ったか知らない?
- コースケ
- 前に住んでた人?知らないなぁ。不動産屋にでも聞いたらわかるんじゃないの?
- ナミエ
- やっぱりね…なに探してるの?
- コースケ
- お茶っ葉。
- ナミエ
- その右の戸棚の真ん中の引き出しは?
- コースケ
- 右の戸棚の…、あ。ありました。で、その人に会うために来たわけね。
- ナミエ
- そう。急に決まっちゃったから、海外の仕事。それっきりになっちゃって。
- コースケ
- それっきりって、何も連絡しないまま行っちゃったってこと?
- ナミエ
- そう。私の携帯ね、壊れてたのよ。コールの音だけして、つながらなかった。どうなってるんだろうって思ってるうちに、空港に着いちゃってて。それっきり。
- コースケ
- むこうから電話しようと思わなかったの?はい、お茶。
- ナミエ
- ありがとう。何かね、地球を半周回って空港に着くじゃない。そしたら、やっぱ思ってた以上に遠いのね、日本って。
- コースケ
- ふうん。
- ナミエ
- 電話しようと思ったのよ。受話器を上げてクレジットカードをこう持って、考えちゃった。何て話せばいいのかな?
「あ、今、インドのカルカッタでトランジットの最中なの」とか「ヒースロー空港はみぞれまじりの雨です。しばらく帰れません」とか、どれもこれも、なんか「別れましょう」って言ってるみたいでしょ。
- コースケ
- そ、そうかな。
- ナミエ
- そうよ。もう手遅れだったのよ。どんな風に説明しても、電話じゃわかってもらえないってわかった。
- コースケ
- だからって、何の連絡もないんじゃ、どのみち別れましょうって事になっちゃうんじゃないの?
- ナミエ
- うん。…おいしいわ、お茶が。
- コースケ
- それで、もしその人が見つかったらどうするの?
- ナミエ
- どうもしない。
- コースケ
- どうもしない?
- ナミエ
- だって、謝ったってもう終わったことをね、謝ってるみたいになるでしょ。
- コースケ
- ふうん。そんなものかなぁ。
- ナミエ
- それに、何ヶ月もすると変っちゃうでしょ、人って。コーちゃんもそうじゃないかな。いろんな事があったはずよ。いろいろあって、きっと、私達のことにも決着つけてるんじゃないかな。
- コースケ
- コーちゃん?
- ナミエ
- 前、この部屋に住んでた人。
- コースケ
- オレも、コースケだから、よくコーちゃんって呼ばれるけど。
- ナミエ
- へー。あなたもコーちゃんか。ふふふ、ははは、はははは…。
- コースケ
- なんだよ。
- ナミエ
- ごめんなさい。ちょっと想像しちゃって。前、この部屋に住んでたコーちゃんがあんなパンツ穿いてて、こんなヘアスタイルにしてたらどうしよういかなって。
- コースケ
- そんなにひどい?
- ナミエ
- そんなこと、私の口からじゃ言えません。
- コースケ
- 言ってるじゃないか。
- ナミエ
- あ。この湯のみ…。
- コースケ
- ああ、気にしないで。
- ナミエ
- ネームが入ってるじゃないの。「ナ・ミ・エ」?
- コースケ
- ごめん、それしかなくて。昔うちによく来てた子の湯のみなんだ。オレは緑茶とか飲まないし、彼女が信楽かどこかで仕入れて置いてあったんだ。
- ナミエ
- いいの?
- コースケ
- いいんだよ、もう。
- ナミエ
- 昔の人?
- コースケ
- かなり昔の人。
- ナミエ
- そうか。ナミエか…。私も友達からナミッチって呼ばれるけど。
- コースケ
- ナミッチ?!
- ナミエ
- え?
- コースケ
- いや、あははははは。久しぶりに聞くとなんかドキッとするんだよな。
- ナミエ
- あ、そう。あははは。
- コースケ
- は、ははは。
- ナミエ
- …じゃ、これで失礼するわ。お茶、ありがとうね。
- コースケ
- うん。
- ナミエ
- ヨイショっと。
- コースケ
- さっきの話だけどね。
- ナミエ
- え?
- コースケ
- さっきのさ、前のコーちゃんに会うって話。
- ナミエ
- うん。
- コースケ
- やめた方がいいよ、きっと。
- ナミエ
- そっか、会わない方がいいかな、やっぱ。
- コースケ
- うん。
- ナミエ
- ……ありがとう。
- コースケ
- その代わり、またうちに来たらいいんじゃないかな。お茶飲みに。
- ナミエ
- え?
- コースケ
- ま。気が向いたらでいいからさ。明日、美容院に行っとくし。
- ナミエ
- いいの?
- コースケ
- いいよ。
- ナミエ
- パンツは?
- コースケ
- パンツはいいだろ。見えないんだし。
- ナミエ
- 今度、プレゼントするわ。
- コースケ
- あ、そう?でも、そんなにひどい?
- ナミエ
- 明日、買っとくし。じゃあね。
- 「ガチャ」と扉が開く
- 了