分娩室
男はおろおろしながら女の手を握っている
女は痛みに半分意識が薄れ 息は荒く 時折うわごとを呟いている
おい。大丈夫か?
うーん。
おい
うーん。
がんばれ。な、がんばれよ。な。
うん…。
もうちょっとだから。な。がんばれよ。
うん…。
なあ。おい。おーい。
…ねぇ。
ん?何?どうした?
あたし…。
え?
あたし……。
え?何?
あたしは………
なんだよ。
あたしは…どっち?
はあ?
どっちなんだろ…。
どっちって…何が?
あたし…
おい。おーい。
うーん。
遠くで子供の声
もーいーかい
まーだだよ
もーいーかい
まーだだよ
目を閉じている間に、あの子は遠くへ走っていった。
鬼になった私は、あの子を探して遠くまで歩いた。
知らない道を遠くまで歩いた。
知らない家の塀の影、知らない公園の滑り台、知らないビルの自転車置き場。
初めて行った新しい場所で、私は必ずあの子を見つけた。
初めての場所が一つずつ、知っている場所に変わっていった。
遠くはどんどん遠くなり、わたしとあの子の間はどんどん広くなっていった。
あの子が目を閉じている間に、私は出来るだけ遠くまで走った。
鬼になったあの子は私を探して遠くまで歩いた。
知らない道を遠くまで歩いた。
初めて行った新しい場所で、あの子は必ず私を見つけた。
初めての場所が一つずつ、周りから減っていった。
遠くはどんどん遠くなり、あの子と私の間はどんどん広くなっていった。目を開けるとその度に、少しずつ何かが変わっていった。
空気は少しずつ冷たくなり、影は少しずつ長くなり、日の光は少しずつぼにゃりと薄れていった。
遠くはどんどん遠くなり、
やがて見えないくらい遠くなり、
聞こえないくらい遠くなり、
…いつのまにか、図ることの出来ない大きさになってしまっていた。
あの子はいったい、どこまで歩いていったんだろう。
ほら。がんばれよ。な。
うん……。
もうちょっとだよ。きっと。な。
うん……。
なあ。
…どこまで行ったんだろう。
え?
遠すぎて。もう見えない。
何?なんだって?
でも……
おい、しっかりしろよ。おい。
もっと遠くで子供の声
もーいーかい
まーだだよ
もーいーかい
まーだだよ
その遊びは、いつどうやって終わったんだろう?
私はあの子に、いつさようならを言ったんだろう。
…さよならを言った覚えがない。
始まったものは終わるまで続いているはずだから。
私たちは、まだあの中にいるんだろうか…。
目を開けたら、私はどこにいるんだろう。
あの子はどこにいるんだろう。
目を開けて。鬼は探しに行かなくちゃ。
どこまでも。どこまでも。どこまでも。
新しくはじめて見るあの場所へ…。
どこまでも遠くへ。
そして、必ず見つかるはずの、その場所へ…。
おい。しっかりしろよ。なあ。
うん……。
俺、ここにいるよ。
うん……。
な。
…一緒に…。
え?
一緒に遊ぼう。
え…?
うーん。
うん。一緒にいるよ。な。大丈夫だよ。
うーん。
あい、しっかりしろよ。おい。
肝心なことを思い出せない。
最後に隠れたのはどっちだったんだろう…。
目を開けるのは私?それともあの子?
探しに行くのは私?それともあの子?
隠れてるのが私?探し出すのが私?見つけられるのが私?
遠くにいるのが私?遠くへ行くのが私?
私は今どこにいる?
そして今から何処へ行く?
遠くへ。遠くへ。まだ見たことのないその場所へ。
これまでのどこよりも遠く、どこよりも新しい、初めての場所へ。
見つけるのはどっち?
見つかるのはどっち?
私は、今どこにいるの?
あの子は…。
赤ん坊の泣き声
よーしっ!!!!やった!
うん……。
やったぞ。なあ。女の子だって。
うん……。
ありがとう。なあ。おい。(泣いている…かも知れない)
(笑っている)
(泣いている…かも知れない)
ねえ……。
ん?
……あたしね…。
え?
あたし……。
何?
…………ううん。なんでもない。
見つけたら鬼は交代する。
見つかったら鬼と交代する。
あの遊びは、そんなルールだった…。
…………そうだったよね……。
遠くで声
もーいーかい
もーいーよ