- 分娩室
男はおろおろしながら女の手を握っている
女は痛みに半分意識が薄れ 息は荒く 時折うわごとを呟いている
- 男
- おい。大丈夫か?
- 女
- うーん。
- 男
- おい
- 女
- うーん。
- 男
- がんばれ。な、がんばれよ。な。
- 女
- うん…。
- 男
- もうちょっとだから。な。がんばれよ。
- 女
- うん…。
- 男
- なあ。おい。おーい。
- 女
- …ねぇ。
- 男
- ん?何?どうした?
- 女
- あたし…。
- 男
- え?
- 女
- あたし……。
- 男
- え?何?
- 女
- あたしは………
- 男
- なんだよ。
- 女
- あたしは…どっち?
- 男
- はあ?
- 女
- どっちなんだろ…。
- 男
- どっちって…何が?
- 女
- あたし…
- 男
- おい。おーい。
- 女
- うーん。
- 遠くで子供の声
もーいーかい
まーだだよ
もーいーかい
まーだだよ
- 女
- 目を閉じている間に、あの子は遠くへ走っていった。
鬼になった私は、あの子を探して遠くまで歩いた。
知らない道を遠くまで歩いた。
知らない家の塀の影、知らない公園の滑り台、知らないビルの自転車置き場。
初めて行った新しい場所で、私は必ずあの子を見つけた。
初めての場所が一つずつ、知っている場所に変わっていった。
遠くはどんどん遠くなり、わたしとあの子の間はどんどん広くなっていった。
あの子が目を閉じている間に、私は出来るだけ遠くまで走った。
鬼になったあの子は私を探して遠くまで歩いた。
知らない道を遠くまで歩いた。
初めて行った新しい場所で、あの子は必ず私を見つけた。
初めての場所が一つずつ、周りから減っていった。
遠くはどんどん遠くなり、あの子と私の間はどんどん広くなっていった。目を開けるとその度に、少しずつ何かが変わっていった。
空気は少しずつ冷たくなり、影は少しずつ長くなり、日の光は少しずつぼにゃりと薄れていった。
遠くはどんどん遠くなり、
やがて見えないくらい遠くなり、
聞こえないくらい遠くなり、
…いつのまにか、図ることの出来ない大きさになってしまっていた。
あの子はいったい、どこまで歩いていったんだろう。
- 男
- ほら。がんばれよ。な。
- 女
- うん……。
- 男
- もうちょっとだよ。きっと。な。
- 女
- うん……。
- 男
- なあ。
- 女
- …どこまで行ったんだろう。
- 男
- え?
- 女
- 遠すぎて。もう見えない。
- 男
- 何?なんだって?
- 女
- でも……
- 男
- おい、しっかりしろよ。おい。
- もっと遠くで子供の声
もーいーかい
まーだだよ
もーいーかい
まーだだよ
- 女
- その遊びは、いつどうやって終わったんだろう?
私はあの子に、いつさようならを言ったんだろう。
- 女
- …さよならを言った覚えがない。
始まったものは終わるまで続いているはずだから。
私たちは、まだあの中にいるんだろうか…。
目を開けたら、私はどこにいるんだろう。
あの子はどこにいるんだろう。
目を開けて。鬼は探しに行かなくちゃ。
どこまでも。どこまでも。どこまでも。
新しくはじめて見るあの場所へ…。
どこまでも遠くへ。
そして、必ず見つかるはずの、その場所へ…。
- 男
- おい。しっかりしろよ。なあ。
- 女
- うん……。
- 男
- 俺、ここにいるよ。
- 女
- うん……。
- 男
- な。
- 女
- …一緒に…。
- 男
- え?
- 女
- 一緒に遊ぼう。
- 男
- え…?
- 女
- うーん。
- 男
- うん。一緒にいるよ。な。大丈夫だよ。
- 女
- うーん。
- 男
- あい、しっかりしろよ。おい。
- 女
- 肝心なことを思い出せない。
最後に隠れたのはどっちだったんだろう…。
目を開けるのは私?それともあの子?
探しに行くのは私?それともあの子?
隠れてるのが私?探し出すのが私?見つけられるのが私?
遠くにいるのが私?遠くへ行くのが私?
私は今どこにいる?
そして今から何処へ行く?
- 女
- 遠くへ。遠くへ。まだ見たことのないその場所へ。
これまでのどこよりも遠く、どこよりも新しい、初めての場所へ。
- 女
- 見つけるのはどっち?
見つかるのはどっち?
- 女
- 私は、今どこにいるの?
あの子は…。
- 赤ん坊の泣き声
- 男
- よーしっ!!!!やった!
- 女
- うん……。
- 男
- やったぞ。なあ。女の子だって。
- 女
- うん……。
- 男
- ありがとう。なあ。おい。(泣いている…かも知れない)
- 女
- (笑っている)
- 男
- (泣いている…かも知れない)
- 女
- ねえ……。
- 男
- ん?
- 女
- ……あたしね…。
- 男
- え?
- 女
- あたし……。
- 男
- 何?
- 女
- …………ううん。なんでもない。
- 女
- 見つけたら鬼は交代する。
見つかったら鬼と交代する。
あの遊びは、そんなルールだった…。
…………そうだったよね……。
- 遠くで声
もーいーかい
もーいーよ
- 了