- あたし
- 『8月24日。
一匹のセミが今生まれたとしたら、学生でいうところの“夏休み”が終わるのと一緒に、このセミも終わる。
でもあたしらはセミじゃないからまだ終わらへんし、学生じゃないから始業式もない。
でもあたしにもやり残した事があった。』
一匹の蝉が鳴き始めると、それが合図なのか
一斉に木々に潜んでいる蝉たちが鳴き始める
- あたし
- うわぁ。すごいな。
セミのシャワーみたいや。
- はるさん
- うるさいわ。むかつくわ。重たいわ。
- あたし
- セミのシャワーか?あんまりゴロよくないな。
どう思う?
- はるさん
- うるさいわ。むかつくわ。重たいわ。
- あたし
- これ凄いな。この並木道、セミの宝庫やな。
ところでうるさいってのはあたしの事?
- はるさん
- 暑さ増すで、こんだけ鳴かれたら。
ほんま、うるさいわー。むかつくわー。重いわー。
- あたし
- はるさん。
- はるさん
- あ?
- あたし
- いんじゃんで負けたんやからしゃーないやろ。
- はるさん
- しくったわ。
車で買い出し来れば良かった。クーラーがんがんに効かせて。
- あたし
- はるさんのグチの方が暑さ増すから。
風流や~、って思っとき。好きやろ?そういうの。
- はるさん
- 違うねんな、それが。
だいたい風流とかワビサビとか勘違いしてる奴、最近多いやろ。
あ、でもセミの生き方にはかっこよさを感じるな。うん。
- あたし
- でた。
- はるさん
- セミはな、土の中に7年…言うたら下積みが7年あって、「羽ばたいた!」って思ったら7日間で終了や。無常観の響きがするわー。それでな…
- あたし
- はるさんのウンチクも暑さ増すねん。
- はるさん
- うるさいわ。むかつくわ。
- あたし
- またぁ?
- はるさん
- 子供。
- あたし
- 夏休みやもん。
昼も夜もガキパラダイスやわ。
- はるさん
- 早く学校始まって欲しいわ。
うろちょろせんように閉じ込めとけよ。
- あたし
- そろそろ宿題に追われる頃やから静かになるんちゃう?
- はるさん
- あほか。邪道や、それ。
- あたし
- 何で?夏休みの宿題パターンやん。
- はるさん
- 宿題は学校に行ってから、写させてもらうに決まってるやろ。
- あたし
- あかんわ。
あたし宿題やり残したまま学校行くなんか、考えられへんかったわ。
- はるさん
- 俺なんかいつもやり残しっぱなしやったわ。
- あたし
- 気にならんかったん?
- はるさん
- やり残した事より、次の事。
そっちの方が気になるわ。
- あたし
- 次の事が気になるから、やり残しが出来るんちゃう。
- はるさん
- そういう性格やねん。
もっと俺にあう仕事があるんちゃうかなーって。
- あたし
- やり残しばっかり残してたら…変な日本語やけど…残してばっかりやったら何もやり遂げてないやん。
- はるさん
- 何当たり前の事言うてるねん。
- あたし
- だから…。
- はるさん
- ええねん。
俺はひょーひょーと生きていくねん。
- あたし
- はるさん…。
- はるさん
- 俺、食べ残しはきれいさっぱり平らげられるねんけどなぁ…。
- あたし
- 今の仕事、もう嫌なんやろ?
- はるさん
- そんな事言うてないよ。
気合う奴ら多いし。
- あたし
- はるさん…。
- はるさん
- あ?
- あたし
- …どっか行くの?
- はるさん
- どっかって?
- あたし
- 前に言うてたやん。
- はるさん
- 何を?
- あたし
- もう俺が抜けても大丈夫やろ。
お前らだけでもやっていけるやろって。
- はるさん
- ああ、ああ。
- あたし
- そんなん言うてる暇ないで。
これからやらなアカン事いっぱいあるんやから。
- はるさん
- 月並みな事言うていい?
- あたし
- 「何がやりたいかわからんねん」とか言うのやめてや。
- はるさん
- そら、お前はなぁ、はっきりしてるからええやろうけど。
- あたし
- …ちゃうねん…。
- はるさん
- 何が違うの?
- あたし
- 言い訳やわ。
- はるさん
- 言い訳?
- あたし
- うん。きっと。
- はるさん
- 俺、言い訳なんてしてないで。
- あたし
- あたしが。
- はるさん
- え?
- あたし
- 安心してられるねん。
そう思ってんのあたしだけじゃないと思うで。
だから…。
- はるさん
- …。
- あたし
- だって、もしな、はるさんが「俺絶対にこれがやりたいから、後はお前らに頼むわ」って言うたら、あたしら止めるのはおかしいと思うもん。
- はるさん
- 急にはな、無理やん。
引き継ぎとかやらなあかんし。
ええ感じでフェードアウトしていくのがベストやろ。
- あたし
- でも、はるさん、ころころ考え変わるからなぁ。
- はるさん
- そんな優柔不断みたいな言い方すんな。
- あたし
- だってあるやろ?そういうところ。
- はるさん
- まぁな。
- あたし
- ほら…。
- はるさん
- あ!忘れた!
- あたし
- 何を?
- はるさん
- 枝豆。
- あたし
- もうええやん。他にもつまみ買ってるし。
- はるさん
- あほか。ビール飲むときに枝豆がないなんて邪道やろ。
- あたし
- どうでもええやん。みんな待ってるで。
- はるさん
- 買ってくるわ。先帰ってて。
- あたし
- あたし一人でこの荷物どうせー言うの?
- はるさん
- 車動かせる奴に電話して迎えに来てもらって。枝豆は外されへんやろ。
- あたし
- もー。ええやん。枝豆なんか。
こわー。とろとろ歩くな。走れ。
- はるさん
- えー?走るんか?
- あたし
- そうや。急いで。
- はるさん
- 先始めといて。すぐ行くから。
- あたし
- あかん。はるさん待ち。
はるさーん。走りや。
ヨーイ…ドン!
- 同時に、ピタリとあのうるさかった蝉が鳴きやんだ。
- はるさん
- あ……
- あたし
- 『それは蝉が鳴きやんだ瞬間に決めた事やったんやろか?
真夏の緑。
ずっと向こうまで続く並木道。
走り出す合図はあたしの掛け声じゃなかった。
はるさんの走り出した合図は…』
- またうるさい位の蝉が鳴き始めた
- はるさん
- ああ、次のセミが鳴き出したなぁ。
- あたし
- えー?何か言うたぁー?
…はるさん。
はるさん?
はるさーん…
蝉の鳴き声は右から左から渦を作るみたいに
きっと、「あたし」がはるさんを呼ぶ声も蝉に負けてる
- あたし
- 『振り返ると、ただ熱い太陽があった。
ジージワジワジワ ミーンミーンと右から、左から、頭の上から、ずっと向こうの並木道が終わるところまで、全部が、ジーワジワジワジワ、ミーン…と包まれていた。
あたしはすぐアホな事ばっかり考えるから、ふいっと見えなくなったはるさんと、ジワジワ鳴く蝉の声とで』
- あたし
- は・はーん。
セミのシャワーじゃなくて、トンネルやね。
セミのトンネルや。
吸い込まれた!
そうやろ?
はるさん?
- あたし
- 『答えはどこからも返ってこーへん。
答えるのは真夏と蝉と太陽だけ。
だからざっくりと、毎日を切り取って文字に変換してここに貼り付ける。
こんな事してここに貼り付ける。
こんな事して、あたしはこの言葉が届くような気にでもなっているんやろうか。
例えば何かの電波にでも手伝ってもらって。
例えば何かのメディアにでも手伝ってもらって。
どこかで目に、耳にとまる事があるかもしれへん。
はるさんへ。
蝉の声を引き金に切ったスタートはどうでしたか?
あのトンネルのような並木道をくぐり抜けたあと、何か見つかりましたか?
たくさんのものを一緒に創ってた、それを仲間とか言うのかもしれへん。
そんなん恥ずかしくて口にするのもおっくうやわ。
誰も気づかへんうちにひっそりと確実に膨れ上がるモノに突き動かされて。
何を思って、何を探そうとして、スタートを切ったんやろ。
でも、きっとそれははるさん以外誰にも分からへん事。
知りたくても、あたしははるさん違うから無理やわ。
それでも。
たった一言、言いたかったこと。
やり残したこと。
「いってらっしゃい」の言葉。
それから。
待ってるわけちゃうけど、大切に残してある一言。
「おかえりなさい」の言葉。
これはもしかしたら使うことはないかもしれへんけど。
ほんまは使いたいわ。いつか。
なぁ、何か見つけられましたか?
トンネルに吸い込まれる前に、ちゃんと言いたかった。
ただ
いってらっしゃいの
その言葉だけでも』
- 了