- 山深い里。カナカナが鳴く。夕方近く。
二人は山道を登っていく。
ナミエはそうでもないが、コースケは息が上がっている。
- ナミエ
- がんばれ、コースケ。
- コースケ
- が、がんばってますよ。
まだなの?ナミエ。
- ナミエ
- もうすぐ。
ほら、この小川を渡って少し登ったところ。あそこが最後だから。
- コースケ
- あ、そう。
墓参りっていうから、俺はてっきりお寺の裏にある墓地に行くもんだと思ってたよ。
これじゃまるで登山だよね。
- ナミエ
- 仕方ないのよ。
少しでも平坦な土地があればそこには稲を植えた。
そうしないと生きてゆけなかったんだから。
- コースケ
- ああ、そういう事ね。
でもどうしてもっと集めとかないんだろう。バラバラじゃないの。
- ナミエ
- あぁ、きっと何かあったからじゃないの、生きてた時に。
- コースケ
- 仲が悪かったとか?そういうこと?
- ナミエ
- そう。
- コースケ
- ふぅん。でも普通は山田家とか佐藤家とか書いて、一つのお墓にするよねぇ。
ナミエんとこは変わってるね。ひとりにひとつずつ墓が用意されているなんて。
- ナミエ
- まぁ、お墓と言っても昔のやつは、ただ石を置いただけのやつも多いけどね。
コースケ、水汲んでくれる?
- コースケ
- はーい。
- 小川の流れる音
カナカナが鳴く
- コースケ
- ナミエ。さっきさぁ、すれ違った人いたじゃないの。
- ナミエ
- あぁ。川下の佐藤さん達。
- コースケ
- え?あの人たちも佐藤って言うの?
- ナミエ
- そう。ほとんどの人は佐藤っていう名字なのよ。
- コースケ
- なんかさ。俺を見て笑ってたじゃないか。
すれ違った後振り返って見たら、こっち指差してまた笑ってたんだ。
どういう事だろう。
- ナミエ
- 気にしなくていいのよ。
「うらやましい」とか「ねたましい」とか、そういう事よ。
- コースケ
- はあ?「うらやましい」?
- ナミエ
- コースケ、気をつけてね。
この橋、左側を通らないと危ないから。
- コースケ
- はいはい。
- ナミエ
- ごめんなさいね。
こんな事につき合わせちゃって。
- コースケ
- 何言ってるんだよ、ナミエ。
墓参りはちゃんとやっとかなきゃ。
それに久しぶりにいい汗かいて気分いいよ。本当に。
- パチっと蚊をたたく。
- コースケ
- この蚊さん居なかったら、もっと気分いいんだけどなぁ。
- ナミエ
- コースケ。知ってる?
蚊はね、血を吸うのはメスだけなの。オスは血を吸わない。
- コースケ
- あ、そうなの?
- ナミエ
- そうなの。それでね、お願いだからメスの蚊を殺さないで。
- コースケ
- え?!
- ナミエ
- 風習よ、風習。
田舎の墓参りの風習。
- コースケ
- ひぇー、厳しい風習だなぁ。
- ナミエ
- メスの蚊には血を吸わせてやって欲しいのよ。
- コースケ
- どういう意味があるの?
- ナミエ
- 意味はわからないわ。
昔からの風習だし。
- コースケ
- そうか。
じゃ従う事にしようかな。
- ナミエ
- ありがとう、コースケ。
山を降りたらね、精一杯のご馳走と、おいしいお酒でもてなすから少しの間我慢してね。
- コースケ
- はーい。
お酒ってやっぱ焼酎なのかな?
- ナミエ
- ええ、母が3年かけて作ってるとっても体にいい焼酎があるのよ。
- コースケ
- マムシを漬け込んだやつ?
- ナミエ
- え?コースケもう飲んだの?
- コースケ
- ああ、さっきナミエの妹の、えーと、どっちだったかな…。
- ナミエ
- カオリがあなたに飲ませたの?
- コースケ
- そうそう。
カオリちゃんが冷たくしたそのお酒と、ニンニクの醤油漬けを出してくれた。
- ナミエ
- ふぅん。カオリがね。
カオリ、何か言ってた?
- コースケ
- 何を?
- ナミエ
- いや、何も言わなかったのね。
- コースケ
- 世間話をちょっとね。
結構美人だね。
- ナミエ
- ちょっと化粧濃いわよね、子供のくせに。
- コースケ
- やっぱりお母さんに似てるよ。うん。
- ナミエ
- 後でおばあ様が挨拶に来ると思うから、似てる人はもっと増えるわよ。
- コースケ
- ああ、おばあ様もね。
にぎやかな夕食になりそうだよね。
おじい様とかは?
- ナミエ
- 居ないの。
- コースケ
- ああ、もう逝っちゃったんだ。
- ナミエ
- 多分。
- コースケ
- ……多分?
- ナミエ
- ここよ。ここが最後のお墓。
これがひいばあ様。これがそのお母様で、こっとがおばさま。
それと、おおおば様。
- コースケ
- ひいばあ様と、そのお母様…。
ナミエ、ちょっと聞いていい?
ずっと下の方から墓参りしてきて、これが最後の墓なんだよね。
- ナミエ
- ええ。
- コースケ
- 男の墓が一つもなかったよ。
- ナミエ
- ああ、男はね。
町へ帰って行っちゃうから。
- コースケ
- 出稼ぎとかで?
- ナミエ
- まぁ、そんな感じで町へ行っちゃって、戻って来ない事が多いわね。
- コースケ
- そういえば、駅に降りて今まで男の人に一人も出会わなかったような気がする。
- ナミエ
- 田舎じゃよくある事よ。
- コースケ
- そうなの?ナミエのお父さんは?
- ナミエ
- 10年くらい前から会ってないわ。
- コースケ
- …なんか…その…。
- ナミエ
- どうでもいいじゃないのそんな事。
コースケ、お墓に水をかけてちょうだい。
- コースケ
- はーい。
- 水をかける。
- ナミエ
- コースケは妹いるよね。
- コースケ
- うん、2人。
- ナミエ
- イトコとかにも女の子多いって言ってたわよね。
- コースケ
- うん。ほとんど居ないなぁ、男の子は。
- ナミエ
- 血が欲しい。
- コースケ
- え?
- ナミエ
- 血が欲しいって、ほら、白黒斑の蚊があなたの首筋に…ふっ!
- コースケ
- あ。やられたかな?
- ナミエ
- 大丈夫。
首筋から血を吸おうなんて、いくらなんでもずうずうしいわよ。
- コースケ
- 線香は?どうする?
- ナミエ
- もういいわ。
そろそろ帰らないと日が暮れて道がわからなくなりそう。
- カナカナカナ…
- コースケ
- じゃ行こうか。
- ナミエ
- うん。
スキヤキと馬刺しと、ウナギと、山芋がコースケを待ってるわよ。
- コースケ
- うっわー、大好物ばっかり。
- ナミエ
- 体調はどう?
- コースケ
- 絶好調です。
まぁ、いつも絶好調なんだけどね、オレは…あーっ!!
- コースケ、転ぶ
- ナミエ
- コースケ、大丈夫?!
- コースケ
- だ、大丈夫だけど、こんな所に穴が…。
- ナミエ
- ああ。もう穴を掘ってるんだ。
- コースケ
- なんなんだよ、いったい。
- ナミエ
- あなたを入れる穴よ。
- コースケ
- ……え?!
- ナミエ
- アハハハ。嘘よ、おばあ様の為の穴をね。
もう掘ってあるのよ。
- コースケ
- …あ、そうだったんだ…。
- ナミエ、パチンと蚊を
- コースケ
- あれ?
さっき蚊は殺さないって言ってなかった?
- ナミエ
- いいのよ。これはオスだから
- コースケ
- オスはいいの?
- ナミエ
- オスはいいのよ、いくら殺したって。
- カナカナカナ…
- 了