- 女
- 子供の頃。誕生日は特別だった。
ひとつ年をとるたびに、世界はひとまわりずつ大きくなっていったから。
365日のうちの1日がほかのどの日とも違う特別な日で、それは私にとってだけ特別な日で、その日が特別な1日だということを、みんながちゃんと覚えていてくれる。
「おめでとう」という言葉とささやかなプレゼント・・・。
だけど世界がどんどん大きくなって、もうそれは以上大きくなれないほどにふくらんでしまっても、それから後も特別な日は毎年必ずやってきた。
そのころから。
特別な一日は特別な誰かと過ごしたいと思うようになった。
いつか特別な恋をしたら、そしてそのひとと結婚したら、1年に2日だけやってくるお互いの特別な日を、二人で一緒に祝おうと思った。豪華に食事をしたり、高価なプレゼントを用意したりしなくていい。おめでとうと小さなケーキがあればいい。
そう、思っていた。
・・・だから。
誕生日が近づくと憂鬱になる。いやな予感は的中し、結局毎年けんかになる。
彼は私が神経質すぎるという。
私は彼がどうしてあんなに無頓着なのかわからない。
どうして、当日に平気でほかの予定を入れてしまって、3ヶ月も経ってから突然プレゼントをくれるのか。どうして、次の月の給料が出てからお祝いの食事につれてってくれるのか。
どうして、当日は何にもないように知らん顔してるのか。
「おめでとう」ってひとこと言ってくれればそれでいいのに。その日の朝、言ってくれればそれでいいのに・・・。
今日は6月29日。結婚して10年目の私の誕生日。
今年くらいは特別な何かが起きるかもしれない。
そんなことはないか。きっといつもと同じ、孤独な誕生日。
半分、あきらめて、でも半分だけ期待して、仕事を早めに切り上げて帰ってきた。
・・・だから、夕方、大きな荷物が届いたときにはほんとうにびっくりした。
- 夕方。居間で電話が鳴る
- 女
- はい。
- 男
- あ、俺。今仕事終わったから。
- 女
- あ。
- 男
- 何?
- 女
- さっき電気屋さんが・・・・。
- 男
- あ?もう届いた?
- 女
- 何?あれ・・・。
- 男
- プレゼント。
- 女
- ・・・・。
- 男
- 乾燥機付き洗濯機。音のしないやつ。夜中に洗濯して、脱水して、乾燥して、朝には全部乾いてるやつ。
- 女
- え・・だって・・・。
- 男
- 何で動揺してんの?
- 女
- 動揺もするわよ。どうしたの?今年はいったい・・・。
- 男
- 何か不満?
- 女
- そうじゃなくて。・・びっくりして。
- 男
- いらない?
- 女
- ほしかったけど・・・。ものすごく。でも、あんな高いものじゃなくてよかったのに。
- 男
- これでもずいぶん値切ったんだよ。
- 女
- 値切ったの?!
- 男
- ああ。展示品処分のをさらに値切って買った。
- 女
- 展示品処分・・・。
- 男
- でも、へそくり全部なくなった。小遣いも・・・。当分外で飯食えない。
- 女
- あの・・・。
- 男
- でも、いいだろ。絶対喜ぶと思って。
- 女
- ありがとう。うれしい。でも・・・なんか気持ち悪い。
- 男
- なんで?
- 女
- だって・・。
- 女、しばらく考えている。そして。
- 女
- ねえ。晩ごはんどうする?
- 男
- え?
- 女
- 何か食べに行かない?
- 男
- お前、ひとの話聞いてる?今の俺にそんな金あると思う?
- 女
- ・・・私出すよ。
- 男
- そんな金あるならカンパして。こっちはたばこ代にも困ってるんだから。
- 女
- ・・・。
- 男
- それに今日、昼飯遅かったから、なんか軽いもんでいいや。
昨日のカレー残ってない?
- 女
- 残ってるけど・・。
- 男
- じゃ、カレーでいい。
- 女
- ・・・せめて、ケーキ食べない?私、裏のケーキ屋さんで・・。
- 男
- ああ、甘いもんはさっき食ったから今日はもういい。
- 女
- なんでケーキまで食べてくるのよ!?
- 男
- なんで怒るんだよ。アルバイトの女の子がアップルパイ焼いてきてくれて、会社のみんなで食った。すごいうまかった。大きいの2切れ食っちゃった。
- 女
- ・・・信じられない。
- 男
- 林檎アレルギーのやつがいたんだよ。残したら悪いじゃないか。
- 女
- そういう問題じゃないでしょ。
- 男
- 何なんだよ。なんで俺が怒られなくちゃいけないんだよ。
- 女、しばらく黙っている
- 女
- ・・・これならで文句ないだろ、て思ってるわけ?
- 男
- は?
- 女
- 誰も高いもの無理して買ってなんて言ってないよ。それで満足すると思われたの?私。毎年、私はそういうこと言ってると思われてたわけ?
- 男
- ・・・なにで怒ってんの?
- 女
- どうして洗濯機なのよ・・・。
- 男
- おまえが毎朝会社行く前に洗濯してるからだよ。
- 女
- え?
- 男
- うちの洗濯機は古くてうるさいから夜中に洗濯できないって。
- 女
- ・・・。
- 男
- ふたりとも最近帰り遅いし、おまえは休みの日はお義母さんの見舞いに行ったりして疲れてるし、帰ってきて洗濯物放り込んで朝まで放っておければ、朝くらいはゆっくり寝てられんのかなと思って。
- 女
- ・・・。
- 男
- それに、洗濯物干してたり取り入れたりする作業ってなんか非生産的な感じがしてさ、納得いかないんだよ俺。干さなきゃ取り入れなくていいわけだろ。だから、乾燥機のついてるのにした。
- 女
- ・・・高かったでしょう。
- 男
- あんなに高いと思わなくて。手頃な探してたんだけどなかなかみつからなくて。
- 女
- ・・・。
- 男
- やっと今日買えた。そしたらおまえは怒ってる。
- 間
- 女
- ・・・何で、今日、買ってくれたの?
- 男
- 昨日セールが終わったから、展示品の処分で安かったんだ。なんとか手の届く値段になったんで・・・。
- 女
- それだけ?
- 男
- え?
- 女
- 今日、私に洗濯機を買ってくれた理由はそれだけ?
- 男
- うん。そうだけど。なんで?
- 女
- ・・・・・・・。いい。ありがとう。そうもありがとう。洗濯機。・・・ごめん。
- 男
- 機嫌直った?わけのわかんないことで怒るなよ。じゃ、帰るから。カレーよろしく。
- がちゃ
- 女
- 受話器を置いて。
夫が帰ってくるまでの間。何をしようかと考えた。
外出の準備はしなくていい。夕食の支度もしなくていい。
ケーキも買いに行かなくていい。
家中の洗濯物を集めて、洗濯機に放り込んだ。
夫の言うとおり。
最新式の乾燥機付き洗濯機は、扉を閉めると静かに、音も立てずに回り始めた。
拍子抜けするほど静かに、きれいに汚れが落ちていく・・・。
このまま放っておけば朝までにすっかりきれいに乾いている。
明日から少しゆっくり眠れる。
いったい私は今、うれしいのか悲しいのか・・・?
今日は何の日だったっけ?
・ ・我が家の洗濯機を買い換えた日。
うん。世界はまだ大きくなる余地がある。
- おしまい