- 場所は昼下がりの百貨店の食堂。店の喧噪が聞える。
- 辻
- 退院後、何でも食べて良いという医師の許しが出たので、僕は、百貨店の食堂に行った。観葉植物がすぐ近くにある、窓際のテーブルがいつもの場所だ。一人でぼーっとした昼下がりが楽しめるから、ここでお昼を食べるのが好きなのだ。注文してたばこに火をつけた時、一人の女が、一直線にやってきた。
- 美穂
- あのう、・・・焼き鶏好きですか?
- 辻
- ・・・はあっ?
- 美穂
- しかも塩で。はいっ。(出す)
- 辻
- ・・・ああ、好きで
- 美穂
- 好きでしょっ、好きなんです、好きなはずなんです!
- 辻
- ・・ええ、まあ。
- 美穂
- 皮も、好きイィィッ??
- 辻
- ちょっと目ないっすね。(いただく)
- 美穂
- 食べたあっ!(よっしゃあっ!)
- 辻
- あっ、ごめんなさい、いや、お腹空いちゃってて、つい、
- 美穂
- 空いちゃってるお腹なんてどうでもいいのよ!たこ焼きでも串焼きでも入れて満たしとけぇっ!
- 辻
- えぇっ?
- 美穂
- 大事なのは皮よ、焼き鶏の皮!胃に入った、皮はどろどろに溶けて腸に送られる。栄養栄養って、取れる物取れるだけけちょんけちょんに取られちゃう!いいのよ、それはそれでいいのよ、そしてよ、血になる!、ここよ!血液になった皮は、身体を巡って肝臓へたどりつく!(辻の肝臓あたりに抱きつく)
- 辻
- !ちょっと、どこにしがみついてるんですか、
- 美穂
- かんぞっ。(肝臓をかわいく言った)
- 辻
- お医者さんですか?
- 美穂
- いいえ、美穂です。(肝臓に向かって)たきちゃん、美穂よ、やっと見つけたよおぉっ!
- 辻
- あの、僕は辻で
- 美穂
- たきちゃん。
- 辻
- はあ?
- 美穂
- たきちゃんって呼んでたの。
- 辻
- ・・・たきちゃん?
- 美穂
- うん。たきざわくんのこと。(やはり肝臓に)探したよおっ、たきちゃん、四ヶ月よ、四ヶ月も探したよう。四ヶ月って、言ったらね、薄情な女ならもう新しい男見つけてウキウキよ。ね、あたし見つけるって言ったでしょ、ね。
- 辻
- だからあの、僕は辻って。
- 美穂
- あなたはいいの。たきちゃん、たきちゃんなの。
- 辻
- 人違いっすよ。ちょっと離して、(引き離そうとする)
- 美穂
- 違わない。(離れない)あなたの肝臓、たきちゃんなの。
- 辻
- な、何言ってんですか!
- 美穂
- 何よりも好物だったの、鶏の皮。たきちゃん、さっきのあなたみたいに新しいたばこ、放ってでも食いついてきたわ。
- 辻
- そんなの、男の8割は焼き鶏が好きです、そのうち半分は塩を選ぶでしょう、そしてそのまた2割は皮を一番に選んでもおかしくない!
- 美穂
- すごく絞られてる。
- 辻
- たくさんいます!
- 美穂
- 手術したんでしょ、四ヶ月前。
- 辻
- え・・・?
- 美穂
- 肝硬変。移植するしかないやつ。
- 辻
- ちょ、ちょっと待って下さい、確かに手術はしました。でも、移植してない!
- 美穂
- したのよ。たきちゃんの肝臓、事故で脳死ってなって。
- 辻
- 聞いてないよ、そんなの。手術で治るって。
- 美穂
- 闇でやってもらったからよ。
- 辻
- 闇?そんなはずあるか!だいたいすごい金がかかるだろ、僕はそんな大金もっていない!それに拒絶反応とかいろいろチェックするだろう、そんなの無かったぞ!
- 美穂
- あなたは知らないの。闇なんだから。おうちの人がやったの。ちょっと、何よ、それ、何注文してんの!
- 辻
- さば定食だよ。
- 美穂
- たきちゃん、そんなの食べないわよ!
- 辻
- だから辻って言ってるじゃないですか、僕が食べるんですから。辻の僕が食べるんだから。辻君が食べるの。だから僕は辻君。オッケ?
- 美穂
- そんな血、たきちゃん欲しがってない!
- 辻
- だから違うんじゃない?肝臓違い。僕の肝臓はさば定食を欲しがっているの。
- 美穂
- 生臭いたきちゃんにしたな!
- 辻
- もともとですよ!
- 美穂
- 返せえーさわやかなたきちゃん!
- 辻
- やるか!ほおら、食ってやる!さばだぞ、さば定食だあ!
- 美穂
- やめてえ!やめてええ!
- 辻
- ほおれ、むしゃむしゃっ、ほおれ、むしゃむしゃっ・・。
- 美穂
- (再びしがみつき)たきちゃあん!たきちゃああん!生臭い・・・。
- 辻
- ・・・それでも離れないんですね?
- 美穂
- だって愛してるもん。
- 辻
- 肝臓を愛してるんでしょ。じゃ、レバー刺しでも頼みますか?全くどういうレベルで恋をしてんだ!
- 美穂
- ねえ、好きでいさせてよう。
- 辻
- いや、困りますよ。
- 美穂
- あなたじゃないの、たきちゃん。たきちゃんなの。
- 辻
- もう!僕に向かってたきちゃん、たきちゃんって言わないで下さいよ!何だか、もう、だんだんたきちゃんになっていくみたいじゃないですか!
- 美穂
- さば食べないで。
- 店の喧噪止む
- 辻
- そと時、彼女のバッグから手帳が落ちた。分厚いしおりでページが割れた。現われたのはぎっしりと書かれた男たちの名前だった。その大半は、赤いボールペンで、とても乱暴に消してあった。泣きながら消したみたいに。
- 店の喧噪聞こえる。
- 辻
- 飯田康明、1975年6月4日生まれ、大阪、富田林。門田光司、1975年6月4日生まれ、千里ニュータウン。丸鳥八郎太、1975年6月4日生まれ神戸垂水区・・・ええ?・・・泉正夫、今村遼平、三矢和利・・・
- 店の喧噪止む
- 辻
- みんな1975年6月4日生まれ!そして、消されてないたった一つの名前、辻あきお。1975年6月4日生まれ。僕だ。
- 辻
- たきちゃん、1975年6月4日生まれなんだね。
- 辻
- 彼女は静かに頷いた。確かに僕の肝臓は26歳だ。たきちゃんと一緒だ。細胞レベルで言えば、同じだけ生きてきたんだ。死んだ恋人をこんな形で愛そうというのか。彼女は手帳を拾うために立ち上がった。そばにあった、観葉植物とほぼ同じ高さだった。
- 店の喧噪聞こえる。
- 辻
- いいよ。好きでいて。
- 辻
- 思わず僕の口から出た言葉だった。いいんだ。ちょうど僕も、身長160センチメートルの女の子を捜していたところなんだから。
- 音楽
- おしまい