- どこともしれぬ、夜の山合いを走る列車。座席に眠る男と女。カーブで車体がガタゴトと揺れて、目を覚ましたのは男。
- 男
- あれ、まずい。また寝過ごしたか。どこだ、ここは。・・・山ん中、うわ、田んぼ今何時だ?時計、時計は・・と、かばんの中か。あれ、かばんもない。・・・何だよ。誰も乗ってないじゃないか。何だよ、この電車。
- ディーゼル車の汽笛
- 女
- ウ、ウウン・・・
- 男
- 誰だ、肩にもたれているこの女は。おい邪魔なんだよ。起きてくれよ。なれなれしくすんなって。誰だよ、お前。俺、どっかの駅で降りて引き返さないと、明日の仕事が・・・。
- 女
- あれ、起きてたの。
- 男
- え、あ、はぁ。
- 女
- どうしたの、変な顔して。
- 男
- あの、ここどこでしょう。
- 女
- いやだ、あたしのこと覚えてないの?
- 男
- え、知り合い?
- 女
- ふーん、そうか。忘れちゃったか。うたた寝してる間に、全部。
- 男
- あの、俺、飲んでますよね、ずいぶん。
- 女
- うん。そうみたいね。あたしも飲んでるけど。
- 男
- 飲みやで会ったんでしたっけ?
- 女
- もう・・・。
- 男
- 失礼したんなら謝ります。ごめんなさい。で、今この電車、どの辺走ってるんでしょう?
- 女
- おしえてあげない。
- 男
- じゃあいいです。車掌に聞いてきます。
- 女
- いいから、座りなさいよ。もうすぐ着くから。
- 男
- ・・・どこに?
- 女
- ほんとに覚えてないの。
- 男
- ごめんなさい。
- 女
- これは重症ね。
- 男
- ・・時計、なくしちゃって。これ、折り返しの電車ありますよね。
- 女
- どこへ引き返すのよ。
- 男
- いや、だから自分の部屋に。大阪まで戻れたら、後はタクシー・・。
- 女
- 今からは無理ね。
- 男
- ・・もしかしてこれ、回送電車じゃないでしょうね。今から車庫に入っちゃうとか。
- 女
- だったらどうするの?
- 男
- ・・どうしようもない、ですね。
- 鉄橋を渡っているのか、聞える音のリズムが変わる。
- 女
- 昔ね。夜中に、もう電車なんか走ってるはずのない時間に、あたし見たのよ。車両の電気、全部つけたまんまで、ゆっくり走っていく電車を。
- 男
- ・・回送電車でしょう。
- 女
- あたしもそう思ったの。でもドアのところに、ネクタイしめたおじいちゃんが立ってたの。ぼーっと、淋しそうに外見ながら。あたしみつけて、手をふってくれた。
- 男
- ・・その、駅員とか、保線区の人とか、そんなんじゃないんですか。
- 女
- そうね、今考えればそれが自然だと思う。でもね、何故だかそのとき思ったのよ。夜中にそうやって、誰も知らない間に、人を連れていく電車があるんだって。向こう側へ連れていく、淋しい電車が。
- 男
- やめてくださいよ、気持ち悪いなあ。
- 女
- この列車も、そう見えるんじゃないかなあ。もし、外で見てる人がいたら。
- 男
- 誰も見てるわけないでしょう。こんな山ん中。
- トンネルに入る列車
- 女
- 本当に思い出さない?前田君。
- 男
- え、俺の名前。
- 女
- 中学の時だもんね、しょうがないか。
- 男
- ああ、同窓会・・・
- 女
- さっきまで、あたしのとなりで飲んでたのよ。あなた、いい調子で。
- 男
- ああ、そうか、連休か。それで、俺・・。
- 女
- 次が、ナカセ、あたしが降りるのは三つ向こうのニッタ。
- 男
- 仕事帰りの終電かと思って、焦った・・。
- 女
- あたしが言ったことも覚えてないんでしょう。
- 男
- なに。
- 女
- 好きだったって。昔々・・。
- 男
- ・・・。
- 女
- あたしの顔も、名前も、誰だったかも覚えてないんでしょう。
- 男
- ・・・次の、ナカセで降りるか、飲み直そう。
- 女
- どこでよ。お店なんてあるわけないでしょう、こんな田舎町。
- 男
- うちへこいよ。何だったら泊まっていけばいい。
- 女
- ありがとう。でも遠慮しとく。
- 男
- なんで?おふくろ一人だし、別に気にすることないよ。
- 女
- あたしもお母さんなの。二人の子供と、かわいいダンナがあたしの帰りを待ってるわ。
- 男
- ・・・そうか。
- 女
- 向こう側まで来ちゃったね。
- 男
- え?
- 女
- トンネル越えたから、すぐにあなたが降りる駅よ。
- 汽笛、速度を緩める列車
- 了