女が歯を磨いている。
ワンルームマンションの玄関の鍵が開く音がする
構わず磨き続ける女
ユニットバスへ男が入ってくる
ただいま。
(口の中の歯磨き粉を唾液が落ちないように気にしながら)ちょっと、
・・・。
やめてよ。
え?
(唾液を少し吐いて)やめてって。
なにが、
どうして入って来るのよ。
歯磨こうかと、
今、私が磨いてるでしょう。
ああ、だから、
だから、入ってこないでよ。
だって・・だから磨きたくなったんだよ。
・・・・。
女、続けて歯を磨く
あれ?俺の歯ブラシ・・・なあ、俺の、
女、うがいをする
どこやったんだよ。なあ、おい。
(浴用スポンジの隣から出して)これ?
・・・・・。
もう必要ないと思って排水溝洗うのに使っちゃった。
・・・良かったね。
え?
きれいになったんだろ。
・・・ねえ、どうしてこっち来るのよ。やめてって前に言ったでしょう。
いいだろ、一緒でも。
女、男を無視して、コップや歯ブラシを洗い出す
外でも磨くもんだろ?
あんた、外で歯なんて磨くの?馬鹿じゃないの?
普通だって。
何の目的でわざわざ靴履いて寒いとこに磨きに行くのよ。
は?
信じられない。
外でなんか磨かないよ。洗面所の外っていうだけで。部屋ん中だって暖かい、
分かってるわよ。
・・・。
どいて。
・・・お前なあ、いい加減にしろよ。
歯磨きたいんでしょ?さっさと磨けば?
ああ、磨くよ。排水溝みたいにピカピカに。
男はおんなの使っていた歯ブラシを取る
あ、ちょっと、それ私の・・・。病気なんて簡単に移るんだよ。
病気って俺が持ってた病気のことか?
男が歯を磨く音
もういい。
女、部屋に戻る
煙草、もらうわよ。
まずっ。
男、磨きながら部屋に入ってくる
歯磨いてすぐ吸うからだよ。
こっち来ないでよ。
最後の一本だったのに。
買いに行けばいいじゃない。もう5時なんだから。
お前が行けよ。
喋んないで。こぼれるでしょう。
神経質だなあ。
磨くことに専念する男
煙草、メンソールにしてよ。
んーん、(嫌だ)
マルボロとかあるじゃない。
んんん、(そんな)
やだちょっと、垂れてる。
男、顎に垂れた唾液をぬぎいながら、洗面所に戻る
どうせ、そんな女の煙草が吸えるかって言いたいんでしょう。こんなきついのあなたとおじいちゃんぐらいしか吸わないわよ。
うがいをする音が聞える
だったら買ってこいよ。自分の好きなメンソールにすればいいだろ。(といいながら戻ってくる)
女、半分も吸わずに消す
じゃあ、キー貸して。
え?
いいから、貸して。
車?
他に何があるのよ。
近くだろ。
いいでしょ。お風呂上りなの。それに一人で吸いたいのよ。
別に、わざわざ車で吸わなくてもいいだろ。
わざわざ吸いたいの。
寒いだろ、車まで。
さっきまであんたが乗ってたんだから、中は暖かいでしょう。
歩いた方が暖まるだろう。それに、最近お前運動不足だって言ってたじゃないか。
明日着るコート、後ろの席に置きっぱなしだし。
ああ・・・あれ、トランクに入れてる。
・・・。
持ってこれば良かった?
なんでわざわざトランクなんかに入れるのよ。
大事なものはしまっとかなきゃ。
大事なものねえ・・・ねえ、キー貸して。
男、ポケットからキーを取り出す
煙草買って、コート取ったらすぐ帰ってこいよ。
帰ってこいって、ここは私の家なのよ。
だから、早く帰れって言ってるんじゃないか。
自分家に帰れってなんで人に言われなきゃなんないの。
わかったよ。帰ってきたくないなら、いいよ、こなくて。
車で煙草吸われるのが嫌なんでしょう。
いつも吸ってるじゃないか。
忘れてたことでも思い出したの?
・・・・・何を、
灰皿。メンソールじゃない1mgの煙草。
・・・・。
飲み会、彼女も一緒だったんでしょう?
・・・だから何、
こんな朝方になったんだってこと。
謝ってほしいのか?
女、キーを放り投げる
やめた。
・・・・。
助手席に温もりがあったりしたら、
ないよ。
送ったんでしょう、家まで。
もう残ってるわけがないだろ。
車の中でキスしたりイチャイチャしてたんでしょう。
キスなんかしてないって。
嘘つき。
どうして嘘なんだよ。
だったら、帰ってきてすぐ歯なんて磨くなよな。
それは酒のみ過ぎで気持ち悪かったから、
普段は歯磨き嫌いな癖に。妙なとこだけ律儀なんだから。
・・・。
黙んないで。
飽きれてるんだよ。
・・・交換しよう。
・・・・。
この車のキーと。
なに?
何と交換してくれる?
・・・いいよ。俺が買ってくればいいんだろ、お前の分も。
嫌。
・・・じゃあ、
ここの鍵と。あなたが持ってる私の鍵。
・・・・どういう意味?
きつい煙草は匂いだけでクラクラするのよ。
だから?
もう、あなたの口にはついて行けない。
沈黙
分かった。
男、ポケットから部屋の鍵を出し、テーブルの上に置く。女、車のキーを男に渡す。
男、出ていく。
部屋に取り残された女と鍵。
女は引出しから煙草を取り出す。メンソールではない先程と同じ銘柄の煙草。
火をつける
クラクラする・・・ねえ、キスしてよ。
煙草をゆっくりと味わって吸う

2台の車のクラクションが甲高く響く。急ブレーキ。衝突音。人を乗せたまま大破した車体。地面から離された車輪が事故の悲惨さを物語る。
救急車が近くで止まる。
ねえ、キスしてよ。アナタの煙草。アナタの匂い。アナタの口。
女、空になった煙草の箱を握りつぶす
これで最後。禁煙しなきゃ。
女、煙草の煙にむせる。滲んだ目を閉じて、最後の煙草に浸る。

霊柩車が式場を離れる時に鳴らすようなクラクションが聞こえる。
おしまい