- 男
- 夢を見る。
- 階段をのぼる音
- 男
- 今、君の部屋の前。僕は少しためらってから、チャイムを押した。
- チャイムの音
- 男
- ドアノブに手をかける。開いた。いつもと変わらない君の部屋。
ベランダの戸は開いていて、表は風のない夜。壁に映画のポスター。
キッチン脇の出窓にグラス。赤いベタが小さくあくびする。
部屋はやわらかい光に包まれている。座卓の上のすいはん器は白い湯気をたてている。
- 女
- なあ、こういうのって何ていうんやろうなぁ。
- 男
- グラスの中に赤いベタ。うすみどりのおはじき。冷たい青のとけたビー玉。
コルク瓶のエサはもういくらもない。
- 階段をのぼる音
- 男
- すいはん器の脇におはしとおちゃわん。灰皿。
もみ消された煙草はついさっきまで白いけむりをあげていた。
- 足音。遠ざかった
- 男
- 煙草は。
- 女
- 時々な。なんかしんどい時。
- 男
- 見た事ないなあ。
- 煙草に火を付けた
- 男
- 会話がその核心に触れる寸前に途切れた時の君の横顔。
- 女
- 楽しいもん。一緒にいたら。
- 男
- 留守番電話の赤いランプがチカチカと点滅している。
あれは俺の分だ。ほんの5分前。
- 女
- 楽しいからな。
- ふと、電話のベル
- 男
- そこで目が覚めた。駅前広場は驚く程静か。公衆電話の青い光がしょんぼりと立っている。
指先の煙草は白い灰に変わっていて、危うい均こうを保っている。俺は眠ってなんかなかった。ただぼんやりとしていただけだ。
- と、電車が通りすぎた
- 女
- ごめんな。
- 男
- 君は笑って手を合わせた。
- 女
- 横、座ってもいい?
- 男
- 気がつけばいつもと変わらない君が隣にすわって俺を見ていた。
- 女
- 静かやなあ
- 男
- ポケットの煙草に手を伸ばした。
- 女
- だいぶんまったやろ。
- 男
- 俺は少しうなずいて煙草に火を点けた。そして一言二言、急だったからとか、
仕方がないみたいな事を言ってみた。
- 女
- おこってない?
- 男
- 俺はうなづいてみせた。君は少し笑ってもう一度謝って
- 女
- うち、くる?
- 男
- 夢をみたよと俺は言った。
- 女
- え。
- 電話のベル。ひとしきり鳴り、止む
- 男
- いいの?
- 女
- うん。音消しとこ
- 男
- ほんまに?
- 女
- 何か変な事考えてるやろ?
- 男
- いや。
- 女
- なあ。
- 男
- 何。
- 女
- こういうのって何ていうんやろうなあ
- 男
- こういうのって。
- 女
- 今、こういうの
- 男
- 今。
- 女
- 一緒にいるとな。楽しいやん。
- 男
- うん。
- 女
- 楽しいからな。
- 男
- 楽しいから。
- 女
- 何ていうんやろ。しあわせ、ふしあわせ。
- 男
- うん。
- 女
- こんな夜はな、ふわってなんかそんな事考える。秋やから?
- 男
- 俺も。
- 女
- 夢の話。
- 男
- うん。
- 女
- どんなん?
- 電車の通りすぎる音
- 男
- 駅前広場は驚く程静か。公衆電話の青い光がしょんぼりと立っている。
風のない夜。指先の煙草は白い灰に変わっていて危うい均こうを保っている。
- 女
- 楽しいもん。一緒にいたら。
- 男
- 俺は立ちあがってポケットの中の小銭をたしかめた。
- 女
- 赤いベタ。買いにいこう。
- 男
- ベタ?
- 女
- 何かいたらうれしいし、一人の時。
- 男
- うん。
- 女
- 魚はなんか、ぼんやりしてるだけやから。
- 男
- だから。
- 女
- 動物やと人っぽいから、あったかいし、たぶん、きっと、さみしくなる。
- 男
- うん。
- 女
- せやからな。
- 男
- 赤いベタ。
- 電話のベル。ひとしきり鳴り、止む。
- 男
- いいの?
- 女
- うん。
- 了