- 「老人2人の会話です。
デパートのすみっこによくある喫茶室。平日の昼間なのにかなり混んでる。じいさんが手を上げて合図する。
- 男
- おーい。こっち、こっち、こっちじゃー。どこ見とんじゃ、わしはここじゃ。おーい。じれったいやつじゃなまったく。耳も遠くなってもうたのかの。おーい、ここじゃ、ここじゃーと、ティースプーンで、お茶の皿をカチャカチャたたく。
- 女
- あなた、やめて下さいよ。はずかしいじゃないですか。
- 男
- なにがはずかしいんじゃ。お前、もうちょっとで迷子になるとこじゃったろ。わしが呼んでやったからほれ、こうやって迷子にならんですんだんじゃ。
- 女
- はいはい。
- 男
- なにつっ立っとるんかの?すわってまあお茶でも飲んだちぇえ。おーい。そこのあんた。店の人か?ああ、注文じゃ。コーシーでええか?
- 女
- ええ、コーヒーにします。
- 男
- コーシーをたのむ。砂糖は多めに入れといてもらおかの。お前、その方がええじゃろ。甘党じゃしの。わしのコーシーなんかほれ、見てみろや。砂糖の「さ」の字も入っとりゃせんが。そらぁもう下がピリピリして飲めたもんじゃねえがな。
- 女
- あなた、砂糖はここに入ってるんじゃありませんか。ほらほら、こんなにたくさん。
- 男
- …ほんに。このツボに入っとったのかー。それならそうと言ってくれんと分からんじゃねえか。サービスの悪い店じゃなぁ、まったく。
- 女
- 入れてあげますよ、わたしが。いくつ入れましょうか?
- 男
- まず、5杯くらい入れて様子を見ようかの。
- 女
- はいはい。まず5杯ですね。
- 男
- …で、どうじゃった?ええの見つかったかの?
- 女
- 見つかったって、何がですかね?
- 男
- な、なんじゃて?お前、何も買うてねぇのか。
- 女
- あれ?何か買う約束でしたかね。
- 男
- なに言うか。お前が言いだしたんじゃど。記念日じゃからプレゼントの交換でもしよまいかって。
- 女
- あら。
- 男
- 「あら」ってお前、じゃあ何のためにわしら、電車乗って、デパートまで来とんじゃ?
- 女
- …さあ。
- 男
- だめじゃ。とうとうボケがはじまってもうた。
- 女
- ああ、誰でもなるんですよ。たいした事ないですよ。ちょっと忘れっぽくなってるだけですからね。
- 男
- でもよ。記念日っちゃ、大事な日なんじゃ。それをお前…あ、コーシー来た。
- カチャリとテーブルに置く音。
- 女
- ああ、どうも。それじゃ、いただきます。
- 男
- 砂糖は多めに入れといてくれたかの?あんた。砂糖は入れといてくれたかの?
- 女
- あなた。砂糖はこのツボに入ってますって。
- 男
- あ、ああ、ああ、そうじゃった。
- 女
- あなたは何を買ってくれたんですか?
- 男
- わしはちゃんと買うた。宝石売り場のねえちゃん達に相談しての。50年間苦労かけた嫁にはじめてのプレゼントじゃからって…。
- 女
- あなた、宝石買ったんですか?
- 男
- ああ、ドーンと宝石ば買うた。お前のためじゃけん。金に糸目はつけんじゃった。
- 女
- …。
- 男
- あれ、どげんした?そんな目ばふせて。うれしくなかか?
- 女
- うれしいですよ、そりゃ。なんか、昔のこと思い出しちゃったんですよ。そしたら何か、なんか泪が出て来ちゃったんです。
- 男
- ああ、昔のことか。お前、美人じゃった。ああ、今でも美人じゃとわしは思っとるがの。昔は若くて美人じゃった。白い綿帽子かむったお前が馬に乗って来たあの日、ほんにわしは、しあわせ者じゃと思うた。
- 女
- あなたも、りりしい男でした。ああ、今でもりりしい男だと私は思ってますよ。でも、若い男は輝いて見えるもんでしょ。あたしもしあわせ者だって思いましたよ。
- 男
- うれしくてうれしくて、婚礼で飲みすぎたわしは、そのまま酔いつぶれてしもうたんじゃなかったかの。
- 女
- うふふふ…。お調子者でしたね。あなた。
- 男
- そうじゃ、調子に乗って、踊りまくった。あれがいかんかった。気がつくと朝が来ちょって「しもたー!」とわしは大声でさけんだんじゃ。
- 女
- うふふ…。ほんとに大声でしたよ。アハハハ…。
- 男
- その後、旅行に行ったかの?
- 女
- 熱海でした。
- 男
- おろ?白浜じゃなかか?
- 女
- 熱海でしたよ。
- 男
- たしか白浜じゃと思ったんじゃが…
- 女
- どっちだっていいじゃないですか。たいした違いじゃないですよ。
- 男
- ああ、そうじゃな。たいした違いはないわな。一泊二日の新婚旅行じゃ行き先はどこでもよかったんじゃ。
- 女
- え?はじめて聞く話ですよ、それ。行き先はどこでもよかったんですか。
- 男
- あたり前じゃろ。新婚旅行なんじゃもん。目的はひとつだけじゃ。
- 女
- そうだったんですか。
- 男
- じゃが、まてよ。この旅行でもわしは、酔いつぶれちょったかな?
- 女
- あたり前ですよ。あんなに飲んで、何度も温泉につかったら誰だってフラフラになりますって。
- 男
- はずかしかったんじゃろ。
- 女
- え?
- 男
- なんかの。わしら、見合いの時に一回だけ顔を見て、次に会うたのが婚礼の日じゃったろ?なんかわし、はずかしゅうて、それで酒のいきおいで、お前と…。
- 女
- あーあ。なんかそんな感じでしたね。二人っきりになるとなんかソワソワしてましたでしょう。仕方ないから散歩に出て、お宮の松の前で写真とったりしましたよ。
- 男
- そんなことしちょったかの?海を見ながら砂浜を歩いたのはなんとなく覚えちょるんじゃが、お宮の松とかは覚えちょらんなぁ。
- 女
- あなた緊張してましたよ。出来上がった写真を見ると、口をへの字にして、こうやって腕組みして海をにらみつけてましたよ。
- 男
- そんなことしちょったか…。やっぱ、はずかしかったんじゃろな。お前はどうだったんじゃ?
- 女
- あたしも、そりゃ、はずかしかったんですよ。だから、あんまりしゃべらなかったでしょ。
- 男
- ああ、そうじゃったなぁ。お前、あんまりしゃべらなかったから、わしがひとりでいろんなことしゃべって…なんか、こいつわしと居るのいやなんじゃないかなとか思っちょった。
- 女
- そうじゃなかったんですよ。そうじゃなくて、なんかはずかしかったし、あなたがどんな人かまだわからなかったし…。
- 男
- そうじゃったのかー。
- 女
- 今ならいろいろ話せて楽しいでしょうにね。もったいないことしましたね。
- 男
- ああ、もったいない旅行じゃったなぁ。
- 女
- ええ、もう二度と行けませんしねぇ。
- 男
- …行ってみるかの。
- 女
- え?
- 男
- 白浜。
- 女
- 熱海。
- 男
- ああ、熱海。
- 女
- だめですよ。もう手おくれなんですよ。
- 男
- あー、やっぱり手おくれなのかのー。…お前、あれ知り合いか?
- 女
- え?
- 男
- ほれ、あのバアさん。さっきからずーっと、こっち見てるんじゃがな。見覚えはあるんじゃが、誰だか思い出せん。誰じゃったかいのー?ほれ、大きな包みかかえて、入り口の所につっ立ってるじゃろ。
- 女
- あらあら、たいへん。こんな所に私がいたんじゃ奥様はお困りでしょう。じゃ、失礼します。
- 男
- え?なんじゃて?
- 女
- ほらほら、大きなプレゼント持ってるじゃありませんか。あなたは、ちょっと忘れっぽくなってるだけなんですよ。私が呼んで来ますから、スプーンでカチャカチャやって、人を呼んだりしちゃいけませんよ。じゃあね。
- おわり