- 除夜の鐘が鳴っている。
大晦日。底冷えのする夜中の商店街。人の気配はなく、錆びたシャッターを、風がかたかたと撫でていく。
アーケードの向こうから少女がひとり。足下を見ながら歩いて来た。
靴音がこだまする。少女はひとあしごとに数を数え続けている。
- 少女
- ……1992、1993、1994、1995、
1996、1997、1998、1999
(*いくつからはじめてもいいのですが、「1999」で終わって下さい)
- 靴音が止まる。
商店街のはずれ。1軒だけ、シャッターが半開きになっている店の前。
中から灯りが漏れている…。
店の中からはチクタク、チクタク、秒針の動く音。
そして低い男の声が聞こえてくる…
- 男
- 11時45分。45分1秒。45分2秒。45分3秒
- …
風が吹く。シャッターがかたかたと鳴る。
少女、かがんで店の中をのぞき込む。
年取った男がひとり。椅子に座って時計のネジを巻いている。
ネジを巻き、秒針を合わせている。
- 時計屋
- (ふと、気配に気づいて)誰かそこにいるのかい?
- 少女
- …こんばんは。
- 時計屋
- お客さん?
- 少女
- …いえ…。こんな夜中に買い物しません。ここは…、何のお店?
- 時計屋
- 見ての通り。
- 少女
- 見ての通り…
- 時計屋
- 時計屋だよ。
- 少女
- 時計屋?…こんな時間に?
- 時計屋
- おじょうちゃんこそ。こんな時間にひとりで…。
- 鐘が鳴る。
- 時計屋
- ああ。除夜の鐘なら一筋向こうだ。次の角を東へ曲がってまっすぐ行くと正面に寺がある。
- 風が吹く。
- 時計屋
- 今夜は冷えるね。
- 少女
- ちょっとだけ…中に入ってもいい?
- 時計屋
- …ああ。ちょっとあったまっておいで。
- 少女、シャッターをくぐって中へ入ってくる。
店の中には大小種類のさまざまな時計がおかれている。
ちくたく、ちくたく、秒針の動く音がする。
- 少女
- 時計屋さん…。何、してるの?こんなおおみそかの夜に。
- 時計屋
- (笑って)大晦日の夜には大掃除だ。
- 少女
- 大掃除?
- 少女、店の中を見回す。
- 時計屋
- ときどきこうやって大掃除してやらないと。
- 少女
- 時計を…?
- 時計屋
- 手入れをしないで放っておくと、やがて使いものにならなくなる。
- 少女
- ?
- 時計屋
- 正しい時間を報せることができなくなる。
- 時計屋はネジをまいたり、分解して歯車をけずったり、埃を吹き払ったりしている。
- 少女
- どうして?
- 時計屋
- どんなにきちんと合わせておいても、針は毎日すこうしずつずれていく。
- 少女
- …ずれていく?
- 時計屋
- ネジは気温や湿度の変化で少しずつ緩んでいくし、歯車は毎日少しずつすりきれる。歯車と歯車との間には隙間が空く。埃だってたまる。
- 少女
- …ふうん。
- 時計屋
- それじゃあ、売りものにならない。
- 少女
- …うん。
- 時計屋
- いつも正しい時間を差せる状態にしておかないと。
- 少女、店の中を歩き周り、時計を見ている。
- 少女
- 大きい時計。針の太い時計。円い時計。四角い時計。
振り子のついてる時計。 バンドのついてる時計。
鎖のついてる時計。鳩の出てくる時計…。
- ひとつの時計の前で、ふと立ち止まる…。
- 少女
- …どうしてこの時計だけ時間が違うの?
- 時計屋
- (大掃除を続けながら)動かないんだよ。
- 少女
- どうして?
- 時計屋
- 止まってしまったから。
- 少女
- いつ?
- 時計屋
- ずうっと昔のその時間に。
- 少女
- 12時ちょうどに?
- 時計屋
- 12時ちょうどに。
- 少女
- どうして?
- 時計屋
- …。(無視してネジを巻いている)
- 少女
- 落としたから?
- 時計屋
- …。(無視してネジを巻いている)
- 少女
- ネジがなくなったから?
- 時計屋
- …。(無視してネジを巻いている)
- 少女
- 治らないの?
- 時計屋
- …。(無視してネジを巻いている)
- 少女
- …止まってしまうまでは、動いてたの?
- 時計屋
- …その日の、その時間までは。
- 時計屋は、時計を掃除しながら話している。
- 少女
- 正しい時間を差せない時計が、どうしてお店においてあるの?
- 時計屋
- (手を止めて)針は毎日完全に同じ速さで動くことはできない。
手入れをしても、どうしても少しずつ針はずれていく。
時間を追いかけて、 おいついて、たまに追い越される。
完全に正しい時間を差すことはできないんだ。
- 少女
- …。
- 時計屋
- 絶対に正しい時間を差すことができる時計は、ほんとはそいつだけなんだよ。
- 少女
- ?
- 時計屋
- 1日2回。時間の方が時計に追い付く。
- 少女
- そんなの…。
じゃあ、他の時計はなんのために「手入れ」するの?
- 時計屋
- 目で見てもわからないような小さなずれなんて、実は全然どうってことはない。
ちゃんと手入れしてさえいれば、困らない程度に正確な時計を知ることが出来る。
- 少女
- …。
- 時計屋
- ちゃんと、使いものになる。
- 少女
- …。
- 時計屋
- 動かない時計は使いものにならない。
- 少女
- じゃあ、どうして…
- 少女、耳を澄まして時計の針の音を聞く。
かち、かち、かち、秒針のうごく音が大きくなる。
それは実はひとつではなく、無数の秒針の音が少しずつ少しずつ、微妙にずれながら幾重にも重なっていたのだ…
外では除夜の鐘も鳴り続いている。
- 時計屋
- おや。もうこんな時間だ。もうじき…今年もおしまいになる。
- かち、かち、かち、秒針のうごく音。音。音。
- 少女
- (困っている)今、いちばん正しい時間は、どれなの?
- 秒針の音はだんだんに大きくなって…、やがてそれぞれがばらばらに止まった…。
静寂…。しばらく。
少女、時計を見渡す…
- 少女
- ぜんぶ、12時を越えちゃった。
大きいのも、針の太いのも、円いのも、 四角いのも、
バンドのついてるのも、鳩の出てくるのも…。
…だけど……(止まったままの時計を見ている)
- しばらく。
- 時計屋
- しまった。ずいぶん長居させたね。新しい年が明けてしまった。
- 少女
- 私…
- 時計屋
- うん?
- 少女
- 私…
- 時計屋
- (少女の様子がおかしいので怪訝な顔で見ている)
- 店のなかはさっきまでとおなじく、平凡な時計の音に包まれている。
- 少女
- ごめんなさい。もう行きます。
- 時計屋
- ああ…そう。気を付けてお行きよ。
- 少女
- ありがとう。
- 時計屋
- 外は寒いし、風も吹いてる。
- 少女
- はい。
- 少女、シャッターをくぐって外へでる。
- 少女
- ありがとう。……さようなら。
- 時計屋
- さよなら。気を付けて。(また、ネジをまきはじめる)
- 少女
- 2001、2002、2003、2004…
- ひとあしごとに数えながら。少女の声、靴音、だんだんと小さくなる。
(*いくつで終わってもいいのですが、「2001」からはじめて下さい。)
- 終わり