- 中華ナベが、さびしくチューと音をたてる。ギョーザとかでもいい。
町のお手軽な中華料理屋である。女がドアを開けて入ってくる。
テレビかラジオの音が聞こえる。
- 男
- こっちだよ、こっち。
- 女
- ああ、ごめんなさい。遅くなっちゃって。
- 男
- いや、いいんだよ。外、寒かった?
- 女
- ええ、雪になりそう。ええと、コートは、ここに掛けるのかしら?
- 男
- いや、そこはまずいだろう。油で壁がギトギトになってるから…こっちに丸めて置いとこう。
- 女
- ありがとう。ええと、何にしようかしら…。
- 男
- ギョーザとチャーハンでどう?
- 女
- じゃ、それにする。
- 男
- ギョーザとチャーハン、2人分。それともう1本ビールね。
- と、店の誰かに伝える。
- 女
- いつ来ても思うんだけど、この店って、静かでいいわね。
- 男
- うん。静かだね。店の人も無口だし、客もほとんど居ないからね。
- 女
- 普通、中華料理屋って、活気あるじゃないの。
- 男
- ああ「へい、らっしゃい」とか「ギョーザイーガー!」とか店員達がわざと大声でしゃべったりね。
- 女
- そう。カウンターのむこうで、でっかい中華ナベに材料をドカッと入れて、ジュー、ジュッジュッジュッとか音させてね。
- 男
- わざとらしい演出だよ。
- 女
- その点、この店はちがうわね。静かでいいわ。
- 男
- ……ひょっとして、何か不満があるのかな?
- 女
- いいえ。静かだってことを言いたいだけよ。
- 男
- ああ、そう。静かでいいじゃないか、ね。
- 女
- うん。……私達、去年の冬、何してたか覚えてる?
- 男
- 去年の冬…?
- ビールをグラスにそそぐ音。
- 女
- ああ、ありがとう。いろんなお店に行ってたじゃないの。ガイドブック片手にミーハーな店捜して坂道を登ったり降りたりしてさ。
- 男
- うん。イタリアンだ、フレンチだ、スシだ、割烹だ、とあっちこっちね。おかげで、月末に送られてくるカードの明細見るのが怖かったよ。
- 女
- すごかったわよね。
- 男
- ……何か、不満があるのかな?
- 女
- いや、不満はないのよ。二人でお金を貯めようて決めたんだから。
- 男
- そう。がまんしてお金を貯める。そっちはどう?
- 女
- うん。それがね…。
- 男
- なに?
- 女
- この前、カシミヤのコート買っちゃって…。
- 男
- あ。これ?これカシミヤかあ。いい色でしょ。とっても着ごこちいいし、何年でも着られるって店の人が言ったのよ。女
- 男
- いくら?
- 女
- ………ええとね…言いたくないの。
- 男
- 言えないような金額なのか?
- 女
- そんなに高くないのよ。そんな何百万もするもんじゃないの。
- 男
- 何百万?
- 女
- も、するもんじゃないの。
- 男
- でも、何万円という金額ではない。
- 女
- そう。
- 男
- ……。
- 女
- 怒った?
- 男
- いや。怒ってるわけじゃないんだよ。ちょっとショックを受けただけなんだ。
- テーブルに、ギョーザが置かれる音。
- 女
- まあ、ギョーザ食べながら、気持ちを落ちつけてちょうだい。ギョーザかあ。気持ち落ちつくかなあ、ここのギョーザさびしいからなぁ。ほとんど皮だし。男
- 女
- 油がべったりはりついて、カリッとした所はどこにもない。
- 男
- 取り得はただひとつ。ひと皿90円。このカシミヤで何皿食べられるんだろう。
- 女
- あのね。ちょっと気づいたことがあるのよ。あなたに知っといてほしいから今話すわね。
- 男
- なに?他にも何か買ったの?
- 女
- うん。ちょっとね。まあ、買ったものはたいしたものじゃないんだけど…あたし、ダメみたいなの。
- 男
- 何がダメなの?
- 女
- 貯金とか、倹約とか。
- 男
- できないの?
- 女
- そう。できないのよ。……やってみたのよ。がまんして、せいいっぱい努力はしてみたの。でも、サイフや銀行に少しお金がたまるとね…こう…ムラムラっと。
- 男
- 何か買いたくなる。
- 女
- そうなのよ。なんか変なんだけど、いつも肩の所に鳥がとまってて、この鳥が私の耳にささやくの。
- 男
- カネだカネだー。何か買おう。あれ買おう、これ買おう(鳥っぽく)。
- 女
- そんな感じ。困るでしょう?
- 男
- うん、困るなあ。
- 女
- これから、いろいろ出費もかさむし、そのあとのこともあるでしょう。
- 男
- ああ、生活には計画性が必要かも知れない。
- 女
- ええ。だから、私にお金とか預金通帳とかを持たせないでほしいのよ。カードもダメ。一度限度額をこえて、キャンセルされたこともあるの。
- 男
- そんなにすごいの?
- 女
- ええ、歯止めがきかなくなっちゃうともう無茶苦茶。自分で自分のことがわかんなくなるの。
- 男
- ……。
- 女
- あっ。あの、あのね。私、今日このこと話すべきかどうかまよってたの。かくしとこうって気持ちもあったのよ。でも何かフェアじゃないかなって思ったから…思いきって話しとこうって…。
- 男
- ナミエ。
- 女
- はい。
- 男
- よく話してくれた。ありがとう。
- 女
- あなた…。
- チャーハンが置かれる音。
- 男
- ああ、チャーハンが来た。ほとんど具は入ってないメシだけのチャーハンだけど食べてくれ。
- 女
- ええ、いただくわ。……これほんとに何も入ってないチャーハンね。
- 男
- 250円だから文句は言えないよ。
- 女
- あ。あれ見て。
- 男
- え?
- 女
- カウンターの向こうの端よ。こっちに向かって歩いてきてる。
- 男
- ああ。チャバネだよ。飲食店にはよくいるやつだ。小さいし、インパクトに欠けるよなぁ。
- 女
- インパクト?
- 男
- うん。やつらはやつらなりに事情があってああいう形に進化したんだろうけど、好きになれないな。
- 女
- ええ、もちろん好きにはなれないわ。
- 男
- ナミエ。実はオレも、お前に話しとかなくちゃいけないことがあるだよ。
- 女
- なに?
- 男
- 話すべきかどうか迷ってたんだけど、ナミエの話を聞いてるうちに話す勇気がわいてきたよ。
- 女
- わかった。話してみて。
- 男
- 実は……ペットを飼いたいんだ。
- 女
- ペット?
- 男
- 飼いたいと言うか、今、もう飼育してるんだけどね。
- 女
- え?あなたの部屋、何か動物いたっけ?
- 男
- うん、居たんだ。あまり目立たないけど。
- 女
- なに?
- 男
- あんまり人に話したことないんだけどね。きらわれそうだから。
- 女
- なにかしら。ヘビとかトカゲとか?
- 男
- いや、もっと小さいんだよ。もっと小さくて、かわいいんだ。3億年くらい前から地球でくらしてて、生きた化石と呼ぶ学者もいるんだよ。
- 女
- 何か貴重な動物なのね。
- 男
- そう貴重な動物なんだけど、誤解されてるかわいそうなやつなんだ。
- 女
- ふうん、ペットくらい飼ってもいいわよ。
- 男
- 本当?
- 女
- もちろんいいわよ。
- 男
- 百匹くらいいるんだけど。
- 女
- ……百匹?
- 男
- 夏の間にアッと間に増えちゃってね。でも飼育箱はたった3つなんだ。段ボール箱3つ。
- 女
- ……なんなのそれ。
- 男
- だから、ペットだよ。箱は僕の部屋に置くつもりだし、ナミエにめいわくはかけないよ。というか、箱を開けてのぞいたりしない方がいいと思うんだ。
- 女
- だから、何なのよ。はっきり言ってちょうだい。
- 男
- …インパクトのある小動物あ。とってもかわいいんだ。別に人に害を与えるわけじゃないし、どうしてあんなに嫌われてるのか不思議なんだ。わかってほしい。今は、名前を言わない方がいいと思うんだ。
- 女
- ふうん。一応聞くんだけど、その小動物と私と、どっちが大切なの?
- 男
- え?な、な、なにを言うんだよ、ナミエ。決まってるじゃないかそんな事。アハハハハ…。さ、チャーハン食べよう。冷めちゃうよ。アハハハハ…。
- (おわり)