- 扉が開く。レストランらしい。誰かが入ってくる。
- 男
- ごめん。待った?
- 女
- 待ったわよ。
- 男
- 悪かった。FAXされて来た地図どおりに歩いてたら海の方に出ちゃってね。
- 女
- ああ、あの地図南の方が上になってて…座ったら?
- 男
- うん。
- すわる。
- 女
- 落ちつかない?やっぱり。
- 男
- どうして?
- 女
- キョロキョロしてるし。
- 男
- まあ、少しね。
- 女
- あなたのためにテーブルは店の奥の壁ぎわ、照明も少し暗くしてもらってるの。
- 男
- ああ。ありがとう。
- 女
- やっぱり…いつもの店の方がよかった?
- 男
- いや、いい店じゃないか、ここも。
- 女
- 記念日なのにいつもどおりじゃいやだったのよ。
- 男
- ……。
- 女
- あ、ちがうのよ。そんなに考え込まないで。あなたは知らない私だけの記念日。だから。
- 男
- ナミエ。
- 女
- なに?
- 男
- この皿に乗ってるものは何なんだ?
- 女
- オードブルでしょ。
- 男
- これが?オードブル?
- 女
- ええ、メニューにはそうなってるわ。
- 男
- これを、このフォークで食べるんだろうか?
- 女
- そうみたいね。いただきましょうよ。
- 男
- ああ。
- 皿とフォークのふれあう音。その後、ピスタチオを殻のまま食べているような「カリカリ」という音。
- 男
- 固いな。(口に何か入ってる)
- 女
- 少し固いわね。(口に何か入ってる)
- 男
- 何だろう?はじめて食べる味だ。
- 女
- ふうふ……(笑う)。
- 男
- なに?
- 女
- じゃまじゃない?そのヒゲ。
- 男
- ああ。最近、伸びすぎてるかなって、思う時もあるよ。
- 女
- そっちゃえば?
- 男
- …うん。
- 「カリカリ」という音。
- 女
- やっぱり気にいってるんだ。
- 男
- まあね。(口に何か入ってる)
- 女
- 食べにくそうだけど、自分のスタイルは変えたくないわけね。
- 男
- いや。スタイルじゃなくて、役に立つ時もあるし。
- 女
- ヒゲが?
- 男
- ああ。暗闇でね。
- 女
- うふふふ…でも、くすぐったい時もあるわよ。
- 男
- …ああ。そういう使い方もあるかな。
- 女
- あれ以外にも使い方、あるの?
- 男
- あるよ。これ、ワインかな?
- 女
- そう。
- 「トクトクトク」とそそぐ音。
- 男
- ありがとう。
- 女
- 変わった色でしょ。
- 男
- ああ、赤でも白でもない。
- 女
- かおりも変わってるわよ。どう?
- 男
- うっ。
- 女
- 薬みたいな。ね。
- 男
- あんまり好きになれないかおりだ。
- 女
- はやりなのよ、薬草とかを入れたりするのが。
- 間
- 男
- けっこう甘い。
- 女
- これは甘くても、あなたには甘くない。
- 男
- え?
- 女
- あなたをつかまえるのは、思ってたより甘くないわね。
- 男
- ああ、あの話のつづき?
- 女
- そう。
- 男
- 考えてるよ、ずっと。
- 女
- 考えてるけど結論は出したくないんでしょう。
- 男
- 当たり。
- 女
- もちろん、そんな自分の事をずるいやつだなんて思ったことは一度もない。
- 男
- はい。
- 女
- いつでも逃げ出せる態勢を作ってる。
- 男
- はい。
- 女
- それって、性格?
- 男
- いやDNA。
- 女
- DNA?
- 男
- 遺伝じゃないかと思うんだ。
- 女
- 遺伝じゃどうしようもないわね。
- 男
- うん。オレはもちろんナミエをえらんでるんだけどね。DNAがザワザワと耳もとでささやくんだ。「用心しろ、用心しろ」って。
- 女
- そんなに危険な事なのかなぁ。
- 男
- オレもそう思うんだ。何を用心するんだろうてね。するとDNAはこう言うんだ。「飛べなくなるかもしれないよ」
- 女
- なに、それ?
- 男
- 「飛べなくなったらおしまいだよ」って
- 女
- どういう意味?あなた、いつも飛んでるの?
- 男
- たまに。
- 女
- どんなふうに?ジェットエンジンか何かで?
- 男
- いや、背中に生えてる羽根でパタパタ飛ぶんだよ。
- 女
- …わかったわよ。何かの比喩ね。
- 男
- でもオレは飛びたいわけじゃないんだよ。うす暗くて、あたたかい店で、そう、このレストランみたいな所でナミエといっしょに何か食べながらトボケた話をしゃべりあっていたいんだ。それ、おしぼりかな?
- 女
- ああ、ごめんなさい。はい。
- 男
- ありがとう…どぅ?今日も油ぎってるかな?
- 女
- そうねぇ。少しテカッてるかな。まあ健康そうには見えるけど。
- 男
- これも遺伝だろうな。(顔をふく)
- 女
- 別にいいじゃないの。あたしはきらいじゃないわよ。
- 男
- でも、普通は嫌われるんだよ、あんまり油ぎってると。
- 女
- ふうん。ワインどう?
- 男
- ああ、もらおうか。ナミエはもういいのか?
- 女
- わたしはいいの。これはあなたのために注文したんだから。(トクトクとそそぐ)
- 男
- オレのために?
- 女
- そう。あなたをつかまえるために。
- 男
- 酔わせて何かいけないことをしようって思ってるのか?
- 女
- そういうこと。
- 男
- 何か食べ物もほしくないか?
- 女
- そうねえ、ペレットだけじゃおなかすいちゃうわよね。
- 男
- ペレット?
- 女
- もう少し待って、ダンゴが来るはずだから。
- 男
- ダンゴ…ダンゴはあんまり好きじゃないんだよ。
- 女
- ごめんなさい。白くて小さなダンゴを注文しちゃったのよ。
- 男
- な、…なんだって?
- 女
- ホウ酸ダンゴ。
- 男
- ナミエ…お前…。
- 女
- だから言ったでしょ。今日はあなたをつかまえるって。
- 男
- 悪いが帰らせてもらう。
- 女
- そうはいかないのよ。
- カチャンとグラスがたおれる。
- 男
- あ!イスが…
- 女
- じっとしてて。どんなにもがいてもあなたは逃げられないわ。もがけばもがくほどそのネバネバした接着剤があなたをからめとるの。
- 男
- ナミエ。
- 女
- だって、わたし…あなたの事、愛してるんだもの。
- おわり