- 僕
- 降り続いていた雨が、もう、降らせるものはないとでもいうように突然止み、雲の切れ目から太陽が照りつけた。大通りがゆるやかにカーブして住宅街をつきぬけている。その大通りに直角に、あるいは平行に、あるいは行き止まる、生け垣に縁取られた道。
昼下がりの住宅街には人影もなく、陽炎が立ちのぼっていた。
僕は、あの日、誰を訪ねていたのだろう。メモに小さく書かれた地図と、門柱に張り付けられた住所を見比べながら歩いていた。
母の使いの荷物は肩に食い込み、僕は何度もバッグをかけかえた。
目当ての家はなかなか見つからなかった。
僕は通りの中程で立ち止まり、今しがた来たばかりの道をふりかえった。
その時の不思議な感覚――。
振り返った視野には行き止まりのT字路、
そして、その角には、つい、先程までそこにいた人の気配があった。
僕が前を向けば、角から、再び人が飛び出してくるような……風さえもまだ気づかず、人型を避けて通りすぎているような……
風景は妙にくっきりとみえた。
生け垣の葉の一枚一枚、街路樹の白い小さなつぼみ、アスファルトのざらつき、ちらばった小石……
凝視(みつ)める僕の前に、そこだけ、ぼんやりと軽やかな空白があった。
たずね人の家を探しあてることができたかどうか、僕の記憶には、もうない。ただ、その時の不思議な明視感と、空白感は、心の底に落ちて、懐かしい僕の風景となった。
12才、夏の始めのことである。
そして、それからの日々…。
過激に体を動かすことだけが鬱積するものを解消するとでもいうような日常…。
そのような風景をみていたことさえ忘れていた。
- 僕
- 「自分の後ろ姿をみることができるの」
レイコはそう言って自慢した。
木漏れ日が揺れる初夏。静かな昼下がり。
プラタナスの並木の通り。その道をまっすぐ歩いている自分の後ろ姿が見える、と、レイコはいう。
一瞬のめまいのあと、気が付くと、あの懐かしい風景の中に、レイコは入り込んでいた。
- レイコ
- 並木道が大きくゆらいだ。その揺らぎの中、道の一番はしっこからあなたはやって来た。あるときは、手を大きくふりながら、あるときは駆けて。
顔も見えない遠くからでも、声も聞こえないずっと向こうからでも、私は通りをやって来る人があなただとわかった。
- 僕
- 窓の外は昨夜からの雨が降り続いていた。
僕たちは並んで雨をみていた。
「後ろ姿が見えなくなってしまった」
とレイコは言った
そして続けて、
「人を好きになるとね、自分の後ろ姿って見えなくなるんだよね」
と、つぶやいた。
「ぼくの風景の中に、レイコは断りもなく入ってきただろう…」
と、僕は答えた。
雨は小降りになり、やがて雲の切れ目から日が差し込み始めた。
ひんやりとした大気の中を風がふきぬける。
プラタナスがふるふるふると、雨を落とした。
鋭い太陽の光が並木道に黒い濃いかげをつくっていた。
十九才、暑い夏が始まろうとしていた。