- 登場人物
- 男・女
- 場所
- 市街が見下ろせる公園
- 時間
- 雨午後8時頃
- ……電話の呼び出し音。何回も……
- 女
- ……出ませんか?
- 男
- そう……みたいですねえ。
- 女
- そうですか……
- 男
- かけてみますか?
- 女
- 私はもう……ええ、出ないのは分かってますから。
- 間。
- 男
- 実感が涌きませんよ。
- 女
- え?
- 男
- 実感が。なんだか。
- 女
- はい。
- 男
- ……いつもの様に仕事が終わって……まっすぐ帰ればよかったんですけど、買いたい本があったから、本屋に立ち寄って……本を三冊買って、家に帰ろうと駅まであるいてて、この公園を通って……そしたら、突然、周りの人達がパタパタと……
- 女
- ……突然だから意外といいのかも知れませんね。
- 男
- え?
- 女
- 落ち着いてられるのはそのせいでしょう?
- 男
- ええ。後……あなたがいたから良かったんですよ。
- 女
- ……そうですね。一人では辛いでしょうねえ? この状況で。
- 男
- ええ。
- 女
- あ……あのカップル。
- 男
- え?
- 女
- 街灯の下のベンチにいる……ほら。
- 男
- (笑って)そうですね。二人とも、すっかり眠ってしまいましたね。
- 女
- ええ。
- 間。
- 男
- 不思議なもんですよ。こうして見てると建物に明かりがついていて、まるで普段と変わらない。
- 女
- ええ。
- 男
- でも、人は動いていない訳ですから。
- 女
- はい。
- 男
- ……まさかあれがそんなものだとは思いませんでしたよ。少し変わった雲があるなあくらいに思ってたんですよ。ちょうど電車を待っていて、ホームから見えたんです。こう、暮れかかった空に、しかも晴れ渡った空にぽっかりとその雲だけ浮いていて……
- 女
- 私も買い物をして、スーパーから出てきた時発見して……きれいだったからしばらく見とれちゃいましたよ。得したなあと思ったりして、早速弟に教えてやろうと思ったりしてたんですけど。
- 男
- まさかねえ。
- 女
- ええ。……今日は弟がマンションに遊びに来るはずだったんです。
今年やっと高校を出て、就職して……就職祝いをしてあげようと思ってたんですけど。両親がいないから、親代わりなんですよ。私。
- 男
- もう一回電話してみますか?
- 女
- 結構です。多分、もう。……ただ、どこで眠っているのか……外じゃなかったらいいんですけど。
- 男
- ……あなた、結婚は?
- 女
- してません。……中々、いい相手に巡り合えなくて。
- 男
- 少し……妻に似てますよ。出会った頃の妻に、あごのラインなんかが。
- 女
- そうですか?
- 男
- ええ。
- 間。
- 男
- この辺りは軍需工場とかが多いですから、いつかはこんなことがあるんじゃないかとは思ってたんですけど。
- 女
- そうですか。
- 男
- (笑って)ま、こんな突然やってくるとは思いませんでしたけどね。
- 女
- ……静かですね?
- 男
- ええ。……肩、抱いていいですか?
- 女
- んん……どうでしょう?
- 男
- やめときますか?
- 女
- ……はい。
- 男
- そうですね。最後の最後に浮気してたんじゃ、妻に恨まれますね。
- 女
- そうですよ。
- 男
- 色々ありましたから、これまでも。
- 女
- 悪いことしたんですか?
- 男
- どうですかねえ……でも、妻とは大恋愛だったんですよ。昔、僕はバンドとかやってて、ライブハウスがあって、そこで妻はアルバイトをしていたんです。可愛い子で、みんなが狙ってました。
- 女
- はい。
- 男
- 僕が音楽をあきらめて……サラリーマンになったんですが……そんなことはいいですね、どうでも。すいません。
- 女
- いえ。
- 男
- ……男の子がいるんです。祐治って言うんですけどね。小学校の三年生です。四月だから、なったばっかりですけど。
- 女
- はい。
- 男
- 私にはあんまり似てなくて、妻に似てるんですよ。
- 女
- ええ。
- 男
- 犬が好きな子で……この前も野良犬を拾ってきて、雑種の子犬を。家で飼ってくれってうるさくてね。
- 女
- はい。
- 男
- でもマンションですから、私の家も。
- 女
- 飼えないんですか?
- 男
- ちょっとね。幸い親戚がもらってくれて……
- 女
- 良かったじゃないですか。
- 男
- でも祐治は泣いてましたよ。
- 女
- ああ……
- 男
- だから……来週の休みに、モデルルームを見に行こうって妻とは話してたんですけど……見に行けなくなっちゃいましたよ。
- 女
- 名前は?
- 男
- え?ああ、貴弘っていいます。
- 女
- 誰がつけたんですか?
- 男
- え?父親です、私の。
- 女
- おじいちゃんが?
- 男
- ええ……は?誰の名前ですか。
- 男
- あ、まだ一人じゃないな。汽笛は人が鳴らさないと、鳴らないでしょう?……でも……(笑って)なんか、私も、急に眠くなってきましたよ。
- 間。
- 男
- ……あなた、やっぱり、妻に似てますよ。
- とても静かに世界は終わって行く。