- 春休み、静まり帰った構内。
遠くでテニス部のざわめき。
森 瑠璃子研究室を訪ねる中田の足音が廊下に響く。
研究室が近づくにつれ、漏れ聞こえてくる実験音。
中田、居住まいを正し、ノック。
応答のないのを確かめ、再びノック。
- 森
- 「(内側)どうぞ」
- 中田
- 「(ドアを開けながら)失礼します」
- 実験音、大きくなる
- 森
- 「何か?」
- 中田
- 「PH通信の中田と申します。」
- 森
- 「?」
- 中田
- 「森先生はいらっしゃいますでしょうか」
- 森
- 「わたくしですが」
- 中田
- 「今日、インタビューをお願いしてる…」
- 森
- 「インタビュー?」
- 中田
- 「はい」
- 森
- 「…はい、はい。PH通信ね、はいはい、どうぞ…」
- 森、中田にイスをすすめる
- 森
- 「さすがPH通信社ね。耳が早いわ。
ニューヨークでの学会発表のこと聞いて来たの?」
- プシューと小さな爆発音
- 中田
- 「いやー…あのー…はい。とにかく、話、聞いて来いって…
(改まって名刺をさしだす)はじめまして、PH通信の中田と申します。
よろしくお願いいたします」
- 森
- 「森です。よろしく」
- 二人、椅子に腰をおろす。
中田、テープをセットする
- 中田
- 「早速ですが、『ほれ薬』について…」
- 森
- 「『ほれ薬』?えっ?あら、ふふ…。
正式にはHOP・E・LOV・EX・ラブポーション一号。ふふ…『ほれ薬』ねぇ」
- 中田
- 「『ほれ薬』って、それを飲めば人に惚れるのですか
- 森
- 「そうです」
- 中田
- 「本当ですかー」
- 森
- 「個人差はありますけど、早い人で一時間、遅い人でも二十四時間くらいで
ききはじめるはずよ」
- 中田
- 「はずって…」
- 森
- 「そう、ぶっちゃけた話ーーここんとこ、オフレコにしてね。
人間のサンプル数は少し足りないの。ラットにラッビト、ニワトリちゃんと
オウムちゃんでは実験済みなんだけど」
- 中田
- 「ねずみやニワトリですかー」
- 森
- 「実験段階としては必要、かつ重要なことです」
- 中田
- 「それって、単に性行動に刺激を与えているだけじゃないんですか」
- 森
- 「あのね、あなた、人間も動物、まずはそこから始まるのよ」
- 中田
- 「……わかりました。それはさておいて…
先生はどうしてそのような薬を作ろうと思われたのでしょう?」
- 森
- 「あのね、あなた、人間も動物、まずはそこから始まるのよ」
- 中田
- 「……わかりました。それはさておいて…
先生はどうしてそのような薬を作ろうと思われたのでしょう?」
- 森
- 「それは、あなた。感じるところがあったからです」
- 中田
- 「どんな?」
- 森
- 「その前に、わたくしはね、人間は、とくに科学に携わるものは常にフレキシブルで、
柔軟で、敏感な情感をもっていなければいけないと思っているわけです」
- 中田
- 「特に科学者がですか?」
- 森
- 「そうです。つまりです。科学する人間にこそ情緒が必要なのです。
科学する人間が理性と知への探求のみで突っ走ってごらんなさい。
これは大変なことになると思いませんか」
- 中田
- 「はあーすいません……それと、『ほれ薬』との関係が…」
- 森
- 「あなた、人に惚れたことは?」
- 中田
- 「えっ?!ぼくですか?そりゃ、あります」
- 森
- 「よかった。いえね、研究室を訪れる最近の若者達ね、
どうも、人を好きになれないらしくて。
早い話、情感とか、情緒が不足してるのよね。
これは、実は科学を志す人にとって、ゆゆしきことだと思ったわけ」
- 中田
- 「それで『ほれ薬』」
- 森
- 「そう!」
- 急に実験装置から火花、大きな音。
バン、プシュー、ボン…ガーガーガー、ピピピピピ…
- 森
- 「ちょっと失礼」
- 森、機械操作をする。静かな継続音にかわる
- 森
- 「お茶、いれましょう」
- 中田
- 「すいません」
- 森、お茶をもってくる
- 中田
- 「いただきます」
- 二人、お茶を飲む
- 中田
- 「情感ですか」
- 森
- 「そう。人間は本来もっているはずなのよ。
それが何らかの事情、環境とか、教育とかで失われていった。これは病ね。
病は治さなければいけない。そうでしょう、あなた。これは画期的な新薬よ。」
- 中田
- 「はあー、画期的ですか?」
- 森
- 「感情を興奮させたり、押さえたりする薬は、結構、古くからあるわ。
でも、情感に直接、直接作用して、情緒豊かにする薬はなかったわ。
この薬を服用すれば、結果、感情が揺さぶられ、人に惚れるっていうわけ
- 中田
- 「なるほど」
- 森
- 「これが画期的でなくて、あなた、他にいい言い方ある?」
- 中田
- 「前代未聞、古今東西…」
- 森
- 「記者にしておくのおしいわね。うちの研究室にいらっしゃい。
わたくしの説を理解できるっていうの、見込みあるわ」
- 中田
- 「はあ、ありがとうございます。
ということは、先生は科学する人間に最も必要なものは何であると?」
- 森
- 「情緒」
- 中田
- 「人間にとって必要なものは?」
- 森
- 「情緒」
- 中田
- 「なるほど……それで先生は『ほれ薬』ですか」
- 森
- 「そう」
- 中田
- 「……先生は人間がお好きなんだ…」
- 森
- 「あら、いいこと言うじゃない。まあ、そんなところかしら」
- 中田
- 「先生、恋は?」
- 森
- 「あーーら、そんな質問も有り?」
- 中田
- 「だって、『ほれ薬』を作ろうかという先生ですから」
- 森
- 「ええ、燃えるような恋をしました。十年も前のことですけど。
今思い出しても、胸がたかなるわ。でも、最近、ときめかないのよね」
- 中田
- 「『ほれ薬』、試されましたか?」
- 森
- 「(ぱーっと赤くなって)ええ。効き目はばつぐん。
わたくし十年ぶりにときめいてます」
- 中田
- 「あ……ちょっと気持ち悪いですね」
- 森
- 「何いってるの。胸が騒ぐということです。
風や陽の光をこんなに感じるのは久しぶり。
まるで乙女よ。雨がふれば降ったで、そう、なんだか踊りだしたい気分………
ああ、でも、このラブポーション一号、もう一つ、何かが足らない。
わたくしフォーリンラブの状態には至ってないのですもの」
- 中田
- 「でも…先生のような方が乙女のようになっていらっしゃるんでしょう。
大成功ですよ」
- 森
- 「そうね、あなたにも協力してもらったし」
- 中田
- 「えっ?!」
- 森
- 「お茶に一ミリグラム入れさせてもらいました」
- 中田
- 「そんなー、断りもなく失礼ですよ」
- 森
- 「心配しなくても大丈夫。豊かな情緒を持つのですもの、なんら問題はありません」
- 中田
- 「それでも、そんな…あー……どきどきしてきました」
- 森
- 「そお。(時計を見ながら)四十二分。あなた、特別効き目が早いわ。
よかった。学会発表に間に合ったわ。もう一人サンプルがほしかったの」
- 中田
- 「ああ………ぼく…………インタビュー終わります……」
- テープをきる音。
実験音大きくなる