- 時
- 冬の深夜
- 場所
- 父娘が暮らすマンションのダイニング。
- 登場人物
- 父 50代半ば
娘 20代前半
猫
- 冬の深夜。マンションの廊下に響くヒールの靴音。息を潜めて待つ一人と一匹。先程から裏切られ続けているのだ。が、靴音はドアの前で止り、鍵の鳴る音がして…。
- 猫
- ふぎゃあ!
- 娘
- うわあ
- 父
- 遅い!
- 猫
- うぎゃ、ぐぎゃ。
- 娘
- 何ー?! みいもお父さんもこんなとこで。
- 父
- お前を待っとったんや。
- 娘
- 今日は歓迎会で遅くなるって言うたでしょ。
- 父
- ほんでも、もう12時やないか。
- 娘
- 初出勤やしさ。
- 父
- 理由にならん。
- 娘
- 何でよ、お父さんかて、よう仕事や言うて飲んでくるやん。
- 父
- 小娘が偉そうな事言うな。
- 娘
- あ、お母さんに就職の報告せな。
- 父
- あ、ああ、早いとこしてこい。
- 娘
- お母さん、お父さんが機嫌悪いしたはるわ。
どうしたらいい?
- 仏壇の鐘の鳴る音。
- 猫
- うんぎゃ、ふんぎゃ。
- 娘
- 何、みい?お父さん、みい何怒ってんの?
- 父
- 腹減っとんのや。
- 娘
- あれ、キャットフードもう無かったっけ。
- 猫
- がるる・・・。
- 娘
- ああ、ご免ねえ、可哀想に。お腹空いたなあ。
- 父
- 儂もや。
- 娘
- ええ?お父さんも?
- 父
- ほうや。
- 娘
- 何なとあったでしょ。ぶりも買うといたし。
- 父
- 生で食えちゅうんか。ええ?猫やあるまいし。
- 娘
- もう、いい加減、機嫌直してよ。(冷蔵庫を開ける)
- 父
- ああ、冷蔵庫は開けたらあかん。
- 娘
- ええ?
- 猫
- しゃあー!
- 娘
- みい!?
- 猫
- がるる・・・(キャットフードに飛びつきむさぼっている)
- 娘
- 冷蔵庫にキャットフード?
- 父
- ああ、それな…。
- 娘
- いや、ちょっと、みい!パンスト破れたやんか。もー、二千円もしたのに…。
- 父
- 腹減って気い立っとんのやろ。
- 娘
- 大体、何でこんなとこに入ってんのよ。
- 父
- 何ででもええやないか。それより儂の飯。
- 猫
- にゃあー!
- 父
- 何や、何で、儂を見るんや。
- 娘
- いや、ちょっと、お父さんが隠したん?
- 父
- ん、いや、しけたらいかんやろ、しけたら。
- 娘
- …信じられへん。自分がお腹空いてるからって、みいまで道連れ?
- 猫
- にゃあー。
- 娘
- なあ、みい、可哀想に。
- 父
- ほんなもん、ご主人様が腹減らしてんのに、猫が満腹てな事あるかい。
- 娘
- やっぱり、そうなんやん。
- 父
- ああ、もう、猫の事みたいどうでもええやろ。
- 娘
- ようないよ。どうしてくれるんよ私のパンスト。
- 父
- ほんなもんはいてるしや。
- 娘
- 会社行くのに、はかなしゃーないやん。
- 父
- そんな、はいてるかはいてへんか分からんようなもんがか。
- 娘
- 社会人としての身だしなみ。
- 父
- 半人前が偉そうに。
- 娘
- お父さんこそ。
- 父
- 儂は一人前や。
- 娘
- ご飯も作れへんくせに。
- 父
- 何やと。
- 娘
- 挙句にみいのご飯まで隠すわ、パンストは破かれるわ。
- 父
- ああ、もう、ほな、勤めなんかやめてしまえ。
- 娘
- 何よそれ。
- 父
- タイツだが股引だかぐらいでぐじゃぐじゃ言うてるようでは続く訳無い。
- 娘
- 娘がやっと就職できたって言うのに、そんなん言う?おまけに初出勤で疲れて帰ってきてんのに。
- 父
- 儂かて疲れとるわ。
- 娘
- ああ、そう。お互様やね。
- 父
- 儂は腹もへっとんのや。大体、お前の腰掛みたいな仕事と儂の仕事と一緒にすんな。
- 娘
- …分かったわ。何食べたいの。
- 父
- 何でもええわ。
- 娘
- ぶり大根でどう?
- 父
- おお、ええなあ。ああ、味噌汁も付けてくれ。
ちょっと薄い目でな。
- 娘
- 分った。
- 父
- 後、茶。
- 娘
- ・・・。
- 父
- おい、茶って言うとるやろ。
- 娘
- ・・・どこやったっけなあ。
- 父
- そんな上に茶っ葉入れとんのか。
- 娘
- あった、あった。
- 父
- 何やそれ。
- 娘
- お母さんのレシピ。
- 父
- ええ?
- 娘
- はい、これがぶり大根のレシピ。これが味噌汁の。
- 父
- レシピ?
- 娘
- お母さんが死ぬ前に書いてくれたんよ。
- 父
- そうか…。あいつの字か、懐かしいな。…よう、こんなもん残しといたな。
- 娘
- いつかいると思って。
- 父
- うん?
- 娘
- 良かったな、お父さん。これで晩御飯食べられるで。
- 父
- どういう事や。
- 娘
- じゃあ、私は寝るから
- 父
- ええ?儂が作るんか?
- 娘
- 一人前なんやったらそれぐらい出来るでしょ。
- 父
- お、おい!儂を餓死させる気か!
- 娘
- 中学生の私でもそれ見て作れたんやからね。
- 父
- おい、ちょっ、待て!
- 非情に扉の閉る音。
- 猫
- にゃあー。
- 父
- おい、お前、えらいもん残していったなあ…。
- 仏壇の鐘の鳴る音。
翌朝。
- 娘
- うわあ・・・。
- 父
- おはようさん。
- 娘
- ご飯、出来てる。
- 父
- おう。
- 娘
- まさか、みいに作らせたとか。
- 父
- あほ言うな。
- 猫
- みゃあー。
- 父
- ほれ、みい。かつぶしの残りやろ。
- 娘
- 出汁から取ったん?
- 父
- そう書いたったがな。ほんで儂徹夜したんや。
- 娘
- おいしい。
- 父
- そやろ。
- 娘
- …お父さん、昨日はごめんな。
- 父
- あ、いや。
- 娘
- 私、ちょっと、疲れてたしさ。
- 父
- いや、儂も大人げなかったと思てる。
- 娘
- ううん。
- 父
- まあ、儂もお前に言われてな、ちょっと反省したさかい。
- 娘
- そうなん?
- 父
- お前もいずれは嫁に行く訳やし、お前の言う通り、自分の事ぐらい自分で出来んとな。
- 娘
- そうやで。
- 父
- お前も慣れへん仕事で大変やろけど、まあ、仲良くやっていこやないか、な。
- 娘
- これからも宜しくお願いします。
- 父
- ほな食おか。
- 娘
- うん。
- 父
- あー、どっこいしょ。おい、新聞。
- 娘
- ええ?
- 父
- あ、飯はようさん目によそってくれ。
- 娘
- ・・・。
- 父
- なんや、何書いてるんや。
- 娘
- ご飯の装い方レシピ。
- 猫
- ・・・にゃあ・・・。