ドアを閉める。と、空気が止まる。その静止した感じが好きだ。
窓を開けると、冷たい風が飛び込んで来る。
あわてて窓を閉める。床に落ちた、一通の案内状。
私たち、結婚します。
冬のひだまりのようなちさちゃん。
僕はちさちゃんのそばにいればいつだってあたたかくなれた。
ちさはじゅんちゃんのこたつなのぉ。
僕のこたつであり、ストーブであり、セーターであったちさちゃん。
冬の記憶は、空の星のように、暗い中にきっちりと凍りついて光っている。
夜の重さを持て余して、僕はよく、独り暮らしのちさちゃんに電話した。元気?
うん、まあまあかな。じゅんちゃんは?
うん。まあまあだな。
ちさちゃんの孤独と僕の孤独が釣り合っていると確認すると、少しだけ安心できた。
思い出は、なぜかいつも冬だ。
あれは、僕の部屋で、思いがけなく二人で正月を過ごした時だ。
僕は浪人2年目で、ちさちゃんは看護婦の仕事が忙しくて、二人ともいなかに
帰りそびれて、ぽかぽかとした、あたたかい日だった。こたつに向かい合って、
おぞうにを食べていた。
南向きの部屋って、勉強するのには、向いていないのよね。本を読もうとすると
横から光が誘惑しにくるじゃない? 私のアパート、北向きなんだけど、
じゅんちゃんが試験に合格するまで、部屋、かえっこしようか?
部屋のかえっこは、結局、実現しなかった。
その年、僕は大学をあきらめた。あれから3年。
同じ所に2ヶ月と持たなかった僕が、今の会社に勤めるようになって、1年が過ぎた。
記憶とは不思議なものだ。忘れていたと思っていたものが突然蘇ってくる。
あの頃、ちさちゃんには付き合っていた男がいて、
そいつとの間がぎくしゃくしはじめていた。
もう、だめかもしれないな。
だめなら、また、次のやつ、捜せばいいさ。
なんか、じゅんちゃんの言うこと聞いてたら、すごく簡単そう。
簡単だよ。はい、次のかたって、病院じゃいつも言ってるだろ、ちさちゃん。
恋がいっぱいの待合室があればいいのにね。
ちさちゃんの待合室なら、待っていたい男はいっぱいいるさ。
いないよ。
いるよ。たとえば僕だ。僕ならいつだってOKだよ。
ありがと、じゅんちゃん。
ちさちゃんは、冗談だと思ったのかな?そりゃ僕たちは、おさななじみで、いとこ同士で、
おまけに僕はみそっかすの泣虫で、ちさちゃんよりも5つ年下で…
私、冬の朝って好きよ。空気がぴーんとして、景色が糊付けされた洗濯物みたいに
清潔なんだもの。たとえそれが飲み明かした徹夜明けの朝でもね。
煙草の煙でもうもうとした深夜喫茶を出て、始発電車を待っている時だって、寝不足で、
まだ二日酔いが残ってて、お酒の臭いなんかさせていたって、朝のつめたい空気が
みんな清めてくれちゃうのよね。

 ちさちゃんが結婚する。
窓の外がすこしづづ明るくなって、ちさちゃんの好きな朝が近づいてくる。
駅の階段を急ぎ足で登っていく黒いブーツのちさちゃん。かじかんだ手を温めるように
ミルクティを飲んでいたちさちゃん。白く曇った窓に指で落書きをしていたちさちゃん。
「ご招待ありがとう。とても残念なのですが、仕事があって、式には行けません。
でも、ちさちゃんの好きなピンクのバラを送ります。…
結婚おめでとう、ちさちゃん」
END