- 男
- ドアを閉める。と、空気が止まる。その静止した感じが好きだ。
窓を開けると、冷たい風が飛び込んで来る。
あわてて窓を閉める。床に落ちた、一通の案内状。
- 女
- 私たち、結婚します。
- 男
- 冬のひだまりのようなちさちゃん。
僕はちさちゃんのそばにいればいつだってあたたかくなれた。
- 女
- ちさはじゅんちゃんのこたつなのぉ。
- 男
- 僕のこたつであり、ストーブであり、セーターであったちさちゃん。
冬の記憶は、空の星のように、暗い中にきっちりと凍りついて光っている。
夜の重さを持て余して、僕はよく、独り暮らしのちさちゃんに電話した。元気?
- 女
- うん、まあまあかな。じゅんちゃんは?
- 男
- うん。まあまあだな。
ちさちゃんの孤独と僕の孤独が釣り合っていると確認すると、少しだけ安心できた。
思い出は、なぜかいつも冬だ。
あれは、僕の部屋で、思いがけなく二人で正月を過ごした時だ。
僕は浪人2年目で、ちさちゃんは看護婦の仕事が忙しくて、二人ともいなかに
帰りそびれて、ぽかぽかとした、あたたかい日だった。こたつに向かい合って、
おぞうにを食べていた。
- 女
- 南向きの部屋って、勉強するのには、向いていないのよね。本を読もうとすると
横から光が誘惑しにくるじゃない? 私のアパート、北向きなんだけど、
じゅんちゃんが試験に合格するまで、部屋、かえっこしようか?
- 男
- 部屋のかえっこは、結局、実現しなかった。
その年、僕は大学をあきらめた。あれから3年。
同じ所に2ヶ月と持たなかった僕が、今の会社に勤めるようになって、1年が過ぎた。
記憶とは不思議なものだ。忘れていたと思っていたものが突然蘇ってくる。
あの頃、ちさちゃんには付き合っていた男がいて、
そいつとの間がぎくしゃくしはじめていた。
- 女
- もう、だめかもしれないな。
- 男
- だめなら、また、次のやつ、捜せばいいさ。
- 女
- なんか、じゅんちゃんの言うこと聞いてたら、すごく簡単そう。
- 男
- 簡単だよ。はい、次のかたって、病院じゃいつも言ってるだろ、ちさちゃん。
- 女
- 恋がいっぱいの待合室があればいいのにね。
- 男
- ちさちゃんの待合室なら、待っていたい男はいっぱいいるさ。
- 女
- いないよ。
- 男
- いるよ。たとえば僕だ。僕ならいつだってOKだよ。
- 女
- ありがと、じゅんちゃん。
- 男
- ちさちゃんは、冗談だと思ったのかな?そりゃ僕たちは、おさななじみで、いとこ同士で、
おまけに僕はみそっかすの泣虫で、ちさちゃんよりも5つ年下で…
- 女
- 私、冬の朝って好きよ。空気がぴーんとして、景色が糊付けされた洗濯物みたいに
清潔なんだもの。たとえそれが飲み明かした徹夜明けの朝でもね。
煙草の煙でもうもうとした深夜喫茶を出て、始発電車を待っている時だって、寝不足で、
まだ二日酔いが残ってて、お酒の臭いなんかさせていたって、朝のつめたい空気が
みんな清めてくれちゃうのよね。
ちさちゃんが結婚する。
窓の外がすこしづづ明るくなって、ちさちゃんの好きな朝が近づいてくる。
駅の階段を急ぎ足で登っていく黒いブーツのちさちゃん。かじかんだ手を温めるように
ミルクティを飲んでいたちさちゃん。白く曇った窓に指で落書きをしていたちさちゃん。
「ご招待ありがとう。とても残念なのですが、仕事があって、式には行けません。
でも、ちさちゃんの好きなピンクのバラを送ります。…
結婚おめでとう、ちさちゃん」
- END