- 登場人物
- 1.男
2.女
- …町の遊歩道を歩く老いた夫婦。(ただし、必ずしも年老いた演技をする必要はない)
遠くで雑踏の音。
- 男
- 覚えてるかい?
- 女
- 何をです?
- 男
- 前にもこの道を歩いたことがあるんだ。
君と二人で…。
- 女
- そうでした?
- 男
- そうだよ。忘れたの?
- 女
- …ええ。
- 男
- 何だい。しょうがないなあ。
- 女
- いやだって、初めて歩く道だとばかり思ってたから。
- 男
- 初めてじゃないよ。見覚えあるだろ。そこの公園とか…。
私はさっきから気づいてたんだよ。
- 女
- あら、そうなの…。
- 男
- そうなのって…。
- 女
- まあねえ…このあたりはどこも同じようなもんですから。
- 男
- そんなことないよ。ちゃんと、少しずつ他の場所との違いがあるんだから。
- 女
- そうかしら。
- 男
- そうだって…。えっと…いつだったかな…ここ来たの。
- 女
- じゃあ、ずいぶんと昔のことでしょう。
- 男
- うん、そうかもしれないけど。確かに来たはずなんだ。あ、ほら、あのポスト…赤いだろ。
- 女
- ポストは赤いもんなんです。何言ってるんです。
- 男
- いやいや、他より妙に赤いじゃないか。
- 女
- そうですか…。
- 男
- あのポスト、見覚えあるだろ。
- 女
- いいえ。
- 男
- どうして、あれ見たら思い出すじゃないか。
- 女
- だから何を。
- 男
- 何をって、ほら…。だから、それを今思い出せないんじゃないか。
- 女
- もういいじゃありませんか。
- 男
- いやだって、くやしいじゃないか。
- 女
- じゃあ、来たんですよ。歩いたんです、この道…。私も思い出しました。…これでいいでしょう。
- 男
- 何だよ、それ。
- 女
- だって、きりがないじゃありませんか。…それにほんとに歩いたかもしれませんよ。この町はまるで迷路なんですから、いつの日だったか、この道を気づかないうちに通ったのかもしれないわ。
- 男
- …。
- 女
- だって、もう永い間…、この町にいるんですから、私たち。
- 男
- …そうだね…。
- …間。
- 女
- ねぇ。
- 男
- うん?
- 女
- あのベンチから町が見えますよ。行きましょう。
- 男
- うん。
- …二人、町を見下ろす高台のベンチにすわる。
- 女
- …私たちが生まれ、私たちが生きて来た町ですよ。
- 男
- …ほんとだ、…これじゃ迷子になってしまうね。
- 女
- でしょう…何だかとりとめもなくて…。
- …間。
- 男
- …でも、どうしてまた、ここから町が見えるって知ってたんだい。
- 女
- え?あら…そうね…。どうしてかしら。
- 男
- ほら、やっぱり。…ね、そうだろ、私たちは以前、ここに来たことがあったんだよ。
- 女
- …ええ…。そうかもしれませんね。
- 男
- そうだよ。
- 女
- …でも、何をしに来たのかしら、こんなところまで…。
- 男
- プロポーズをしたんだよ。
- 女
- ええ?
- 男
- ここで夜景を見ながら。
- 女
- ほんとに?
- 男
- いいじゃないか、そういうことにしとこうよ。
- 女
- 何よ、それ。
- 男
- いいよもう、そういうことにしておけば…。どうせ思い出せないんだから…。
- 女
- そうですね、私たち夫婦なんだから、そういうことも、一度や二度あったでしょう。
- …間。
- 女
- …ずいぶん寒くなりましたね。
- 男
- うん。
- 女
- さ、陽が暮れますよ。…帰りましょう。
- 男
- 帰る?
- 女
- ええ。
- 男
- …どこに。
- 女
- え?
- 男
- どこにかえるんだい。
- 女
- 家にですよ。私たちの。
- 男
- …家?私たちの…。
- 女
- そうですよ。何言ってるんですか。
- 男
- …あ、そうか…忘れてた…。
- …二人、立ちあがる。
- 男
- でも…それはどこにあるんだい?
- 女
- どこにって…え?…。ほんと…どこにあるんでしょう。
- …二人たたずむ。そして途方に暮れる。
…街の雑踏がわきあがる。