- 女
- さっき、あの人がやってきた。
- 男
- やあ。
- 女
- あの人は、くつろいだ様子で私の前に座った。
- 男
- 元気だった?
- 女
- うん。ひさしぶりじゃない。
- 男
- そうかな。
- 女
- どうしてたの?
- 男
- えっちゃんは?
- 女
- この間、海に行ったわ。
- 男
- 誰と行ったの?
- 女
- 会社の人たちよ。
- 男
- 彼も一緒だった?
- 女
- 彼って?
- 男
- ほら、前にえっちゃんが言ってた、同じ課の。
- 女
- 吉岡さん?
- 男
- そう、吉岡さん。
- 女
- うん、吉岡さんもよ。
- 男
- あの人がそうかな?夜、二人で海岸、散歩してたよね。
- 女
- なんだ、知ってるんじゃない。
- 男
- うん、僕も、すぐそばにいたんだ。
- 女
- … 夜光虫をね、見てたの。
- 男
- うん。
- 女
- 空の星みたいに、海が光って、とてもきれいだった。
でも、捕まえることなんて、出来ないの。光のかけらを捕まえたいと思っても、だめなのよ。握ったてのひらを開くと、そこには、もう、なにもないの。
- 男
- うん。
- 女
- … 声かけてくれればよかったのに。
- 男
- …
- 女
- 声、かけてくれればよかったのよ。遠慮なんかしないで。
マー君の時みたいに。
- 男
- まさるのやつ、笑っちゃうよな。フランス映画なんてさ。
映画は、絶対にアメリカだって言ってたくせに。
- 女
- チケット貰ったって、言ってたわよ。
- 男
- 貰ったんじゃなくって、買ったんだよ、わざわざ。
なのにあいつ、映画見ないでえっちゃんの顔ばっかり。
- 女
- マー君、もう大学生になったのよ。あなたに似てきたわ。
やっぱり兄弟ね。
あなたったら、私とマー君の間に割り込んできて、いたずらばっかり。
- 男
- ちょっと、からかってやったんだよ。アニキの恋人に手を出すなんてさ、子供のくせに、なまいきじゃないか。
… 遠慮なんかしないさ。ちゃんと、声をかけたよ。海でも。
- 女
- … 私、気がつかなかった。
- 男
- …
- 女
- … どうして? あなたがそばにいれば、私、いつだって気がついていたのに。
- 男
- えっちゃんのせいじゃないさ。
だって7年だよ、僕が死んで。
だからね、もういいんだよ、えっちゃん。時々、こうやって、いっしょに話ができればね。
- *
- 女
- あの人が帰っていったあと、電話がなった。吉岡さんからだった。吉岡さんの声は、あの人の声とぜんぜん似ていない。そのことが、私を少し、切なくさせた。電気を消した部屋のなかに、あの日の光る海が、滲んで広がっていた。
- END