- (一気にやってきた本格的な夏。せみがうるさいくらいに鳴いている。)
- 伸彦
- […今、おれはみなちゃんと初めて会ったあの日の浅間山を思い出しています。まっ青な空に稜線がくっきりしていたのを覚えていますか……]
- みな子
- 「夏休みで帰省した私を追いかけるように伸彦からはがきが届いた。悠然とした浅間山の絵はがき。あの日……信州での秋合宿…」
(ざわめき)
- 伸彦
- 「今日はフリーです。定期演奏会も練習も忘れて、一日、信州の秋を楽しんでください。集合は夕方六時。時間厳守でお願いします。――以上。
(しばらくざわめき)
…浅間登山の人はこっちです……なだらかな登山道です。ゆっくり登りますが、それでも山です。
(少し笑い声)無理して頂上を目指さないように…」
(三号目あたり。休憩。みな子、顔から血の気がひいている。伸彦、そばにきて座る。風が吹いている)
- 伸彦
- 「だいじょうぶ?」
(みな子うなづく)
- みな子
- 「山って…」
- 伸彦
- 「登山。二千メートル以上の」
- みな子
- 「あー…どっちかというと海の方が得意」
- 伸彦
- 「おれは…こんな風に高いところでぼーっとして風に吹かれてるのが得意」
- みな子
- 「…私、島育ちだから…あぁーでも、海のないところでこんな解放感を感じるとは思わなかった…」
- 伸彦
- 「おれは山育ちだから……海辺の町は海と向き合ってんだろうなー…山はねぇ…空と向き合うんだよ」
- みな子
- 「海と空か…どっちと向き合ってる方がうれしいかな……」
- 伸彦
- 「どっちがうれしいか……こりゃ、みなちゃんに海に連れていってもらわなきゃいけないなぁ…」
- みな子
- 「…あー、いい風…」
- 伸彦
- 「…(少し芝居じみて)しばし、風の歌を聞こう」
- みな子
- 「ふふ…」
- みな子
- 「私たちはあの日のように澄んだ気持ちで向き合っていただろうか…あの日のように風の歌を聞いていただろうか……
ただただ、会いたくて……
…………自分の内に潜む激しさにおののいていた…
……そして春、伸彦は卒業した」
(電話)
- みな子
- 「私、みな子。日曜日あいてる?」
- 伸彦
- 「……日曜日?…悪い。出張だ…」
(電話)
- みな子
- 「今、駅前まできてるんだけど…」
- 伸彦
- 「……ごめん、今から会議なんだ…」
(電話)
- みな子
- 「…私…」
- 伸彦
- 「…………」
- みな子
- 「会えない日が続き、会わない日が多くなっていた。夏休み前、伸彦から久しぶりの誘い。海岸通に車を止め、堤防に並んで座った」
(波の音、遠くを行く船。釣りを楽しむ家族の声)
- 伸彦
- 「いつ帰るの?実家」
- みな子
- 「来週の火曜日」
- 伸彦
- 「火曜日か……送れないなぁ」
- みな子
- 「いいよー見送りなんか」
- 伸彦
- 「…送りたかったんだけど……」
(二人、黙って海をみつめる)
- みな子
- 「どうかしたの?」
- 伸彦
- 「何が?」
- みな子
- 「何って…」
- 伸彦
- 「…うん………… おれ…………」
(伸彦遠くをみつめる。ポンポンと船の音)
(激しい蝉時雨)
- 伸彦
- [みなちゃん、大丈夫だよね。浅間山のようにしっかり生きていけるよね。]
- みな子
- 「見慣れた文字が涙でにじんだ。
絵葉書を返すと、まっ青な空にくっきりと稜線を描いた浅間山がそびえていた。
……しっかりなんか……
…………浅間山のようになんか……
…………………生きていけないよ………」