- 登場人物
- 1. 竹山 恵子
2. 沢本 慎司
- ―ある大学のキャンパス。新入生歓迎の出店もまばらになった五月。学生たちがゆきかう夕方近く。「現代社会研究会」の出店で、ひとりの女子大生が退屈そうに頬づえをついていた。新入生の沢本が通りかかる。
- 慎司
- 「あの…。」
- 恵子
- 「…はい…。」
- 慎司
- 「…現代社会研究会ですか…。」
- 恵子
- 「そうやけど…。」
- 慎司
- 「そうですか…。…。ええ…と…。」
- 恵子
- 「なに?」
- 慎司
- 「え、あ、いや…。」
- 恵子
- 「…もしかして…新入生?」
- 慎司
- 「ええ…。」
- 恵子
- あ、そう。話、聞きに来たん?」
- 慎司
- 「はあ…。」
- 恵子
- 「え、あ、そうなん?じゃ、ちょっとすわって」
- 慎司
- 「はあ…」(とすわる)
- 恵子
- 「誰かに紹介されたん?」
- 慎司
- 「いえ。」
- 恵子
- 「そう。…自分から?」
- 慎司
- 「はい…。」
- 恵子
- 「現代社会に興味があんの?」
- 慎司
- 「ええ、まあ、ちょっと…」
- 恵子
- 「へー。今どき、めずらしいやん。」
- 慎司
- 「そうでしょうか…。」
- 恵子
- 「そうよ。だって、うちなんか今年まだ新入生ゼロなんやから。いや、でもよかったわほんまに…はいいてくれて。」
- 慎司
- 「いや、入るとは決めてませんから。」
- 恵子
- ま、そやけど…。…ここに住所と名前、学部と学科名を書いてくれる。」
- 慎司
- 「はあ…」
- 恵子
- 「ああ、ええの、ええの、気にせんで。これは、ただちょっと書いてもらうだけやから、ここに来てもろうた人にはそうしてもらうことになってんねん。…はい、これ、ペン。」
- 慎司
- 「はい…」(と書く)
- 恵子
- 「…。きれいな字、書くんやね…。」
- 慎司
- 「え、あ、そうですか…」
- 恵子
- 「…文学部」
- 慎司
- 「ええ…」
- 恵子
- 「私は法学部なんよ…。」
- 慎司
- 「…そうですか…。」
- 恵子
- 「ところで、君、ボスニアについてどう思う?」
- 慎司
- 「は?」
- 恵子
- 「このあいだまで、バルカン半島で何があったが知ってるよね。」
- 慎司
- 「え?ああ…。戦争ですか?」
- 恵子
- 「ま、そうやけど。君、どう思てんの…ユーゴの内戦。」
- 慎司
- 「さあ…」
- 恵子
- 「さあって…何で、内戦がおきてしまったのかは、わかってるよね。」
- 慎司
- 「いやぁ…。何でなんですか?」
- 恵子
- 「君、ひやかしで、ここに来たんか?」
- 慎司
- 「いえ、そんなつもりじゃないんですけど…。」
- 恵子
- 「じゃ、なんのつもりなん。ボスニアの悲劇について語れん人が何で、現代社会についてかたれるのん?」
- 慎司
- 「はあ…。」
- 恵子
- 「はあ、やないやろ。君、ユーゴスラビアっちゅう国が何で、生まれたんか知ってるんか?」
- 慎司
- 「ええと…。」
- 恵子
- 「ユーゴは第一次世界大戦後、オスマントルコとオーストリアから、セルビア人とクロアチア人がそれぞれ独立して作った国なんよ。二つの民族が力を合わせて、一つの、南スラブ語を話す国を作ろうと思って建国したわけ。…わかる?」
- 慎司
- 「…はあ…」
- 恵子
- 「旧ユーゴスラビアに、セルビアとクロアチアという二つの民族がいたのはわかるよね。」
- 慎司
- 「…ああ、そうなんですか…。」
- 恵子
- 「じゃ、チトーぐらい知ってるよね。」
- 慎司
- 「チトー?」
- 恵子
- 「…あんた、高校で何やってたん。」
- 慎司
- 「ああ、まあ…いろいろと…」
- 恵子
- 「いろいろと、何やってあそんでたかは知らんけど、君がそうやって高校時代、アホなことにうつつをぬかしてる間に海の向こうでは、人々が殺し合いをしてたんやで、それも一つの国の中で。我々、日本国民かて平和の中にいるようでホンマはそれらの民族紛争に加担してるんや。わかってんの?」
- 慎司
- 「わかりません。」
- 恵子
- 「何でわからんの!」
- 慎司
- 「いや、何でって…。」
- 恵子
- 「君は、沖縄に米軍基地があるのは知ってるやろ」
- 慎司
- 「ええ、それぐらいは。」
- 恵子
- 「どう思う?」
- 慎司
- 「え?…どう思うって…ハハハハ」
- 恵子
- 「笑いごとやないんやで。」
- 慎司
- 「…すいません」
- 恵子
- 「君、安保条約をどう思てんの。」
- 慎司
- 「…さあ…」
- 恵子
- 「…ホンマ…あんた、何しに来たん。」
- 慎司
- 「はあ…」
- 恵子
- 「現代社会に興味あるんやろ。さっき、そう言うてたやん。」
- 慎司
- 「ええ…。」
- 恵子
- 「ボスニアのことも、沖縄も知らんで、どうやって研究すんの。」
- 慎司
- 「…毎日、ぼく、ここを通るんですけど…。あなたが、あ、いや、先輩がそうやってそこにすわって誰も入りそうもない新入生を辛抱強く待っているという、このいわゆる現代日本社会のですねぇ…。不思議といいますか…それを研究してみたくなって…。」
- 恵子
- 「あんた、おちょくってんの。」
- 慎司
- 「いえいえ。…好きになってしもうて…あなたのことが…あ、いや、先輩のことが…。先輩、名前、何て言うんですか?」
- 恵子
- 「…。アホか、お前…。」
- 慎司
- 「はあ…。」
- ―恵子、拡声機を持って立ち上がり、アジ演説を始める。
- 恵子
- えー。学生会館前をご通行中のすべての学友諸君。我々は現代社会研究会です。現在の日本社会をとりまく状況は日々悪化していると言わざるを得ません。政府は先ごろ消費税率をあげるという強硬な手段をとりましたが、このことは我々学生にとっても…」
- ―その間、慎司はビラまきを弱々しく始めていた。
- 慎司
- 「こんにちは…現代社会研究会です。…あ、どうも。現社研です。よろしく…。」
- 恵子
- 「ちょっと、あんた、何してんの。…。勝手にそんなもんまかんといて…。」
- ―慎司はビラをまきつづけている。恵子、あきらめて…。
- 恵子
- 「学生会館前をご通行中のすべての学友諸君。我々は現代社会研究会です。沖縄の米軍基地縮小問題に関して、政府の政策に対して、我々は断固として反対の意を表したいと思うのであります。
- ―恵子のアジる声の中、慎司のやさし気なビラ配りの声も聞こえている。やがて学生たちのにぎやかな声に二人の声はのまれてゆく。