- 電車、走行音。 「車内、混み合いましてまことに申し訳ありません。窓側のお客様は窓に絶対手をーーー」 急に停車する音。
- 女
- きゃっ!
- 車内のざわめき。
- 男
- あれ?どうなっちゃってるんだよ。
- 車内アナウンス。
「お急ぎのところ、まことに恐れ入ります。ただいま、三宮駅手前の踏切で事故が発生しました。復旧にはしばらく時間がかかる模様です。ご迷惑をおかけしますがはましばらくお待ち下さい」
車内ざわめきが広がる。
- 男
- 参ったなあ・・・遅刻だよ。
- 女
- あなた、何するんですか?
- 男
- は?
- 女
- (恥ずかしそうに少し小さな声で。しかし強く。)あなた・・・痴漢!
- 男
- え?僕が?
- 女
- じゃあ、その手、なんですか!
- 男
- 手?
- 女
- ほら、私の・・・身体に触れてる、その手!
- 男
- この手?
- 女
- きゃっ!・・・動かさないで下さい!
- 男
- あ・・・これ、あなたのお尻ですか。すみません、すみません。すぐにどけます・・けと゜・・混み合ってるから・・・うーん、結構、動かすのは難しい・・・と、・・・よいしょ。
- 女
- あ!
- 男
- え?
- 女
- 駄目です!動かさないで下さい!
- 男
- でも、こうやって、こう動かさないと。
- 女
- やめて下さい!
- 男
- いや、だから、こうしか動けないから・・・
- 女
- (少し大きな声で)痴漢!
- 男
- よ、止して下さいよ、痴漢じゃないって!
- 女
- だったらやめて下さい、指を動かすのは。
- 男
- でもこうしないと・・・
- 女
- やめて!
- 間。
- 男
- あの・・・いいんですか、このままで。
- 女
- いいです、もう。
- 男
- ほんとに?
- 女
- いいです!いいですから・・・もう動かさないで下さい。
- 間。
- 男
- う、動かさない方がつらいんだけど・・・
- 女
- 我慢して下さい!私も我慢してるんだから。
- 間。
- 女
- あの。
- 男
- はい?
- 女
- 別のところに・・・何か、当たってるんですけど。
- 男
- あ!・・・あ、いやー・・・
- 女
- なんとかしてもらえませんか。
- 男
- そういわれても・・・
- 女
- 何とかして下さい!
- 男
- ・・・ど、努力します。
- 間。
- 男
- 話・・・しませんか。
- 女
- どうして見ず知らずのあなたと電車の中で立ち話なんかしなきゃならないんですか?
- 男
- 僕も努力します。だから協力して下さい。
- 女
- 話する、ということとあなたの努力とどう関係するんです?
- 男
- それで何とかなるんです。
- 女
- 何が、ですか?
- 男
- だから・・・当たっているものが・・・
- 女
- 話してそれで解決できるんですか。
- 男
- 今、確かにそれは存在はしている。でも多少なりとも目立たなくさせることは出来る。僕がそれを意識しなければ、あなたにとってそれは存在しなくなる。そのためにさりげない会話をする。
- 女
- なぞなぞみたいな事、言わないで下さい。
- 男
- そういうものなんです、これは。
- 女
- そういうものって・・・何?
- 男
- だから僕の、なんといえばいいのかな、身体の一部です。
- 女
- 身体の一部?こんなところにある身体の一部というのは・・・あ。
- 男
- 判りましたか、これが何か。
- 女
- ・・・はい。
- 男
- でも誤解しないで下さいね。今は、あなたの身体にぴったりとくっついているというこの状況から遺憾ながら僕としてはどうしてもそういう状態になってしまうんです。わかりますね。それをやめるためには僕の意識をどこか別のところにおけばいいんです。重ねて言いますが僕は痴漢ではありません。ですから是非ともこの僕の提案に協力していただきたいんです。
- 女
- わ、判りました。協力します。
- 男
- 理解していただいてありがとうございます。
- 間。
- 女
- どうぞ。
- 男
- え、ええ。
- 間。
- 女
- どうぞ。
- 男
- あ、はい。
- 女
- どうしたんですか。お話、するんでしょ?
- 男
- ええ。でもなんだか、いざさりげない話をするとなると、なんか、思いつかなくって。そうだ。あなたから話しかけてくれませんか。
- 女
- 私?私、口べただから・・・。
- 男
- どうして?僕とはこうしてちゃんと話せるじゃないですか。
- 女
- これってちゃんと話してる、っていえるんですか。
- 男
- ちゃんとじゃないけど・・ともかく普通に話してるじゃないですか。全然口べたって感じじゃない。
- 女
- それは多分・・顔、向き合っていないからだと思います。顔見て話、してないから。
- 男
- そんなものかな。
- 女
- 私、臆病なんです。
- 男
- 臆病?
- 女
- 顔見るとね、きっといろいろなこと一度に考え てしまう。それで臆病になるんだと思う。でもこうして、声だけだと相手のピュアな部分だけを感じ取れて。今は・・そう、あなたの声ってどこか安心させてくれるところ、あるから。
- 男
- なんだか裸にされるみたいで恥ずかしいような、怖いような。
- 女
- もし向かい合っていれば私、あなたの顔や服からあなたがどんな人か、いろんな事を想像してしまう。顔や服なんてあなたの人格とは関係ないわ。ということは結局その人の本質を見失わせることになるんじゃないかな。
- 男
- でいろんな事考えて、見失うから臆病になる?
- 女
- こんな風に純粋に声だけを聞いていたほうがあなたという人間が判るような・・。あなたという人間をちゃんと見つめることが出来るからだからおびえない。
- 男
- はは。僕の方が臆病になってしまいそうだな。
- 女
- あなたはいつもこんな風に見ず知らずの人間とちゃんと話が出来るんですか。
- 男
- そうだな。僕も初対面の人は苦手だな。特に若い女の人は苦手かもしれない。そう考えると君の言うとおりかな。
- 女
- あ!
- 男
- 危ない、倒れる!
- 女
- あー、助かったありがとう。
- 車内アナウンス「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ただいまより運転を再開いたします。次は三宮、三宮」
- 男
- ほんとに、急に動き出すんだから。
- 女
- あの・・・
- 男
- あ、ごめん、手を握ったままだった。
- 女
- あ、離さないで。
- 男
- え?
- 女
- 握ったままでいいから。
- 男
- いや、しかし・・・このままではまた・・・
- 女
- あなた、とってもいい手してるのね。
- 男
- どういう意味ですか?
- 女
- へえー、手相も変わってるんだ。
- 男
- あの、指、はわせないで下さい。
- 女
- なぜ?
- 男
- それはまずいよ。そんなことされたらちょっと変な気になっちゃって・・せっかく、意識、なくせたのに。
- 女
- ごめんなさい。でも、もう少し。私、手相占いにこってるの。
- 男
- しかし。
- 女
- あなたの手相、とても気になるの。
- 男
- まあ、あっちの方は気にならない、と君がいうなら。あ!だからそんな風に指を動かすと・・
- 女
- へえ。あなた、結構堅い人なんだ。
- 男
- え!
- 女
- まじめでしょ?。
- 男
- あ、そういうことか・・・。
- 女
- 何が?
- 男
- 何でもありません。ええ、ええ。それはよく人に言われます。
- 女
- でも、大きいのね。
- 男
- え!な、何がですかあ!
- 女
- 人間としての器、というか・・・
- 男
- あ、ああ、そういうことですか。そんなことないですよ。
- 女
- 優しいだけじゃなくって包容力があるひとなんだ。
- 男
- そうかなあ。
- 女
- あなたみたいな人の彼女は幸せね。
- 男
- そんなこと判るんですか?
- 女
- 手相って結構、雄弁なんですよ。
- 男
- 彼女かあ・・はは。はずれ。
- 女
- はずれ。
- 男
- 僕、彼女なんか、いないですよ。
- 女
- 出会ったばかりの恋人。
- 男
- いないって。
- 女
- 嘘。
- 男
- ほんと。
- 女
- うーん。私、手相占いで恋愛に関しては外したことないんだけどな。
- 男
- でも今回ははずれ。
- 電車アナウンス。「まもなく三宮。三宮。踏切事故により電車到着が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。終点、三宮、三宮。ご乗車ありがとうございました」
- 男
- これであなたにちゃんと会えますね。
- 女
- でも。
- 男
- でも?
- 女
- このまま、今は顔を見ずにお別れしません?
- 男
- どうして?
- 女
- なんか、また会えるような気がするんですよ。
- 男
- でもまた会えたとしてもお互い誰か判らない。
- 女
- きっと判ると思う。
- 男
- なぜ?
- 女
- きっとあなたの声、覚えていると思う。この街のどこかで出会って、こんにちはって言って握手したらきっと判ると思う。
- 男
- 僕は自信、ないな。
- 女
- 大丈夫。そんな風に手相に出てる。
- 男
- まさか。
- 女
- 信じられない?
- 男
- さっき外したから。
- 女
- 外してないかもしれない。
- 男
- え?
- 女
- 試してみませんか。
- 男
- 何を?
- 女
- 私の占い。
- 電車が停車する。ぶしゅうとドアが開く。
- 男
- あ!
- どやどやと人のおりる音。男、どんと突き飛ばされてたたらをふむ。
- 男
- いててて・・・
- 駅の雑踏。足早に去るたくさんの足音。
- 男
- 誰だったんだろう・・・あの人。
- 人が少しまばらになっていく。
- 男
- ふふ。出会ったばかりの恋人・・か。あ!いけね!遅刻だ!
- 構内を走り階段をあわてて下る男の靴音が次第に遠ざかる・・・。