- 男
- 今日はどうしたの?
- 女
- 彼が病状を尋ねた時、空は曇り空だった。
回転椅子に座って、彼は窓に背を向けている。後ろに広がるにじ色の空。
- 女
- 見てもらいたいの。
- 男
- ふむ。顔色は悪くない。ほっぺたが赤いね。
- 女
- 走ってきたからよ。
- 男
- 哀しそうな目をしている。恋人に振られたのかな。
- 女
- 誰も好きになれないの。
- 男
- そりゃ、いけないね。
- 女
- カルテには、なんて書くの?
- 男
- 恋愛欠乏症。
- 女
- 窓から見覚えのある家が見える。あれは、私が子供の頃住んでいた家。窓に金色の色紙で、おひさまを張りつけたのは私。あの頃、私の空は、いつも晴れていた。
- 男
- じゃ、ここに座って。
- 女
- もうじき、私が学校から帰ってくる時間だ。ランドセルを置いて、窓を開ける。窓からは公園の楠木が見える。100年はたつだろう大きな木。
ねえ、あの楠きはどうしたのかしら。
- 男
- さあね。さ、胸を開けて。
- 女
- ええ。
私は、子どものように、ぎこちなくブラウスのボタンを外す。
- 女
- あの公園で、よく遊んだわ。私、楠木に耳を寄せて、楠木の声を聞くのが好きだった。
ふぞろいな私の胸に、彼の指が落ちてくる。
- 女
- ふふ・・・ピアノでも弾いているみたい。
- 男
- いい音がする。
- 女
- 調律したせいかな。おんぼろピアノでもまだまだいい曲が弾けるのよ。
- 男
- おんぼろじゃないさ。上等だよ。
- 女
- ありがとう。
- 男
- 次は足をみようか。
- 女
- 私の、ストッキングに包まれたねじれた足を、彼は注意ぶかく、真っすぐにのばしいく。
- 男
- 長さがちがうね。
- 女
- 同じ長さにしてくれる?
- 男
- いや、違っても気にすることはないよ。一方が、もう一方のことを、時々、気をつけてやりさえすればいいんだ。無理にそろえる必要はない。
- 女
- 自然のままがいいのね。
- 男
- そうさ。無理に合わせることはない。
- 女
- なんだか気が楽になってきたわ。
- 男
- そのために、ここに来たんだろう?
- 女
- ええ。私が、ふぞろいも、ねじれかげんも、気にならなくなる頃、目の前の回転椅子が回って、彼が消える。テーブルの上の白いカルテは、一枚のレシートに変わる。恋愛欠乏症と書かれたはずの場所に、ブラジルサントスと書かれた文字。レシートを取り上て、私は店の外に出る。 冬の午後。空は少しだけ晴れに変わっている。