- 男
- 雨が降っている。あいつ、まだ泣いてるんだ。
しょぼ濡れて、さらしくじらみたいに、
きしきし、泣いてるんだ。
- 女
- どこかで電話がなっている。遠いような近いような、かすかな音。
夢の中から手をのばすが、届かない。
今、何時?。
- 男
- 昨日と今日の間で、身動き取れなくなっている俺。
止まった時間。止まった約束。ネジを巻さえすれば動き出すのに。
- 女
- やっとのことで、受話器をはずす。
ぼんやりと開けた目に、モジリアニの女が、首を傾けている。
今夜はもうだめ。私、飲みすぎてしまった。
- 男
- 前に、何かの本で、読んだことがある。
どこかの星に行くと、そこは、雨の惑星で、最初から最後まで雨がふっているんだ。
- 女
- モジリアニの女は、さびしそうに笑っている。
このだだっぴろい宇宙に、独りぼっち。
今、私は宇宙というお湯のなかで、皮の剥けたトマトみたいにつるんつるんの素っ裸になって、漂っている。
- 男
- 時間の闇をカンガルーが走っている。
あれは、そうだ、あいつと行った動物園だ。
カンガルーの柵の前で、まぬけなキスをしたっけ。
- 女
- 初めてのキスは3年前。雨の動物園。白いレインコートを着た私…。
どうして?受話器の向こうから、足音が聞こえる。
- 男
- 雨の中を、俺のカンガルーが走る。
タキシードに蝶ネクタイをした俺のカンガルー。
- 女
- あ、走り出した。だんだん、近づいてくる。
- 男
- 後ろを向いて待っているのは、あれは、白いレインコートを着た、あの日のあいつだ。
いや、ちがう。あれもカンガルーだ。
カンガルーの花嫁が、白いウェディングドレスを来て、俺を待っている。
- 女
- ばかなことでけんかをしてしまった。
どちらかが折れればよかったのに。どちらも強情で謝るということを知らないのだ。
電話を待って、待ちつかれて眠ってしまった。
あ、また、空耳だ。電話が鳴っている。
- 男
- 駅前に終電まで開いている花屋があったな。
- 女
- あの時、あの人が、カバンに隠した花。あれは赤い薔薇の花だった。
私に渡そうとして、恥ずかしくて、やめてしまったという贈り物だ。
何日かたって、あの人が見せてくれた時には、花は、惨めな形でかばんの中で枯れてしまっていた。
あの人は、また買ってやるからって、捨ててしまってそれっきり。
- 男
- 今度こそ渡すぞ。俺はカンガルーの花婿として、
未来の花嫁に花束を贈るんだ。
- 女
- 電話が鳴っている。永遠にも近い、長い間。
夢の中で、何度も受話器を外しては戻す。
雨の音が大きくなってきた。
- 男
- 今度は一本ではない。あいつの歳の数だけ買う。今日はあいつの誕生日だったんだ。
いや、、もう昨日になってしまった。恋人の誕生日を忘れる男なんて最低だ。
仕事が忙しかったとか、疲れていたとか、言い訳をする前に謝るべきだった。
- 女
- たいしたことなかったのに。別に責めるつもりはなかったのに。
泣いたふりをしていたら、何だか本当に泣きたくなってきた、
ぴいぴい泣いてしまった。
- 男
- もう少しだ。もう少しであいつの家につく。
- 女
- 誰だろう。あれは。モジリアニの女かと思ったら、カンガルーだ。白いウエディングドレスを着て、柱時計のネジを巻いている。
いつからか止まったままの時計。
カチ、コチ、カチ、コチ…
- 女の声がそのまま時計の音になり、時計の音が、そのまま電話のベルの音に替わっていく
- 女
- (受話器を上げる)もしもし…
- 男
- 俺、寝てた?