- 僕の目の前には、広いアスファルト。大きなスクランブル交差点。
交差点は、一固まりの車の発進音と一固まりの人の靴音を、
きちんと交互に繰り返す。
- 彼女
- 「あーあ、走って損したね。」
彼女だ。ビルから駆け出してきたけど信号には間に合わなかった。
- 彼女
- 「さて、何食べよ。」
同僚と一緒に昼飯か…。そば。
- 彼女
- 「うどんにしよか。よし、決まり。あ、青や。」
外れたか。
僕の仕事は90cm四方の箱の中。鉄の骨組みの外に深緑色の
ビニールテントをかぶせてある。地上から20cm程のところに
床。左右には小さな窓があって、「靴修理します。」の札が
かけてある。中には色んなものがぶらさがってる。靴墨、
靴ヒモ、靴の底、タオル、ホウキ。床にも、くぎ、金槌、やすり、
ブラシ、修理中の靴。その中に僕は座って、日がな一日仕事をするんだ。
- 修理男
- 「あ、あー、すぐ、すぐ済むから。」
客が手元を見ている。裏から見てもひどく横に広がっているのがわかる黒い革靴。
- 修理男
- 「はいよ、600円。」その点、彼女はいい。きちんと靴を履いている。
スウェードにはブラシをかけ、革靴には磨きがかかっている。うん、いい。いい。
僕は沢山の靴をなおし、沢山の人としゃべる。道を尋ねられたり、
時間を聞かれたりもする。近くの幼稚園の子供は行列で、全員挨拶をする。
「さよなら」「はいさよなら」「さよなら」「はいさよなら」
「さよなら」「さよなら」…
延々続く。30人位続く。
- 交差点のノイズと作業の音
- 彼女
- 「あの。」
- 修理男
- 「はい…!」
- 彼女が立っている
- 彼女
- 「ヒールのここのところが取れちゃって…そういうの出来ます?」
- 修理男
- 「ああ…そりゃ。」
- 彼女
- 「あの。」
- 修理男
- 「とりあえずぬいで、そこのツッカケ履いといて。」
- 彼女
- 「あ、はい。…どれくらいかかります。」
- 修理男
- 「あー、これ済んだら次やるから。そっちもぬいどいてな、
両方やるから。すぐ出来るから。」
- 彼女
- 「あ、はい。」
- 修理男
- 「…。」
- 道を聞かれる
- 修理男
- 「え?あー、その角曲がって左。」
- 彼女
- 「…かかとが取れるとこんなに歩きにくいもんなんですね。」
- また道を聞かれる
- 修理男
- 「通り渡って坂降りたら右手。…僕は、かかと取れたまま歩いたことないからなぁ。」
- 彼女
- 「あー…。…よく道きかれるんですか。」
- 修理男
- 「あーまぁ。」
- 彼女
- 「…これから暑くなると大変ですよね。」
- 修理男
- 「あーまぁ。(また道をきかれる)あー、この道まっすぐいったら看板が見えてくるから。」
- 彼女
- 「…。」
- 作業の音と交差点のノイズ
- 修理男
- 「はい。」
- 彼女
- 「あ、ありがとう。」
- 修理男
- 「…きれいに靴履いてんな。」
- 彼女
- 「え?…そうですか。」
僕はいつもより、ちょっと丁寧にくぎを打ち、いつもよりちょっと
余計に磨き上げた靴を差し出す。
- 彼女
- 「ありがとう。」
彼女は、少しかがんで靴を履くと、嬉しそうに靴のかかとでアスファルトを鳴らした。
交差点は、あいかわらず同じことを繰り返す。
今日はいい天気だ。