- 汽笛。単調な列車の音
- 私(N)
- 父が死んだ。山合いの小さな養老院。そこが父の死に場所だった。危篤の知らせを聞き、駆けつけてみると、父はもう死んでいた。父の体はやけに小さく、人は死ぬと小さくなるのだと思った。山の上の火葬場の煙突。風になびく白いけむり。父は空にのぼっていった。母が死に、父が死に…。私はもう、本当にひとりっきりになったのだった。各駅停車の汽車に乗り、とりあえず東京行きの新幹線の通っている駅へと行くことにした。明日から、また、いつもの生活が始まる。
- 汽車の止まる音。
- 私(N)
- …ある無人駅で、汽車は停車した。男がひとり乗り込んで来た。
- 男
- 「あの、ここあいてますか。」
- 私
- 「ええ…。…どうぞ。」
男、座席に座る。
- 私
- (心の中で)他にも席、たくさんあいてるのに、いったいどういう つもりなんだろう…。
- 汽車、発進する。単調な列車の音、ふたたび…。
- 私(N)
- 夕方の光も消え去り、外には真っ暗な夜が広がっていた。窓に、私の顔が映っている。…いつもと同じような顔。父が死んでも私は泣かなかった。…いつか、こんな日がやって来ると覚悟していた。…明日からの仕事のことを思えば泣いている場合ではなかった。
男は本を読んでいた。しばらくすると、うとうとと居眠りをし始めた。真っ暗な夜の中、一軒の家のあかりが、ずーっと流れていった。(間)私は少しがっかりした。何を期待していたのだろう。たとえば、男が、こう話しかけてくることだろうか。
- 男
- 「どこまで行くんですか?」
- 私
- 「…東京まで…」
- 私(N)
- …男はやがて、こんなことを言う。
- 男
- 「よかったら、次の駅で、私と一緒に降りてもらえませんか。」
- 私
- 「は?」
- 男
- 「その町で、あなたと二人で一緒に暮らしていきたいんです。」
- 私(N)
- …私は、何だか、そのようにかたっている男が父におもえてならなかった。そして、それを聞いている私は、実は母なのではないか…。母はきっと、このように父にくどかれ、その町で父と結ばれ私を産んだのではないだろうか。そして、真っ暗な夜の平原にともる一軒の家の灯を、守り続けたのではなかったか…。
- 汽車の止まる音。
- 私
- 「…はっ…?」(と目を覚ます)
- 男
- 「…あ。…目、覚めました?」
- 私(N)
- いつの間にか眠ってしまっていた。…汽車はまた、どこかの無人駅に停まっていた。
- 男
- 「下り列車との待ち合わせですよ。」
- 私
- 「…。ここ…どこですか?」
- 男
- 「さあ…。どこなんでしょう…。」
- 闇の中、遠く、虫の声、カエルの声、…かすかに…。
- 私(N)
- 「…あたりには、ただ、闇が広がっていた。…かろうじて客車の電灯が窓枠の分だけ、石のプラットホームを照らしている。この世界に、私にとこの男だけしかいないのではないかと思った。
- 男
- 「…これ、食べません?」(と差し出す)
- 私
- 「え、…あ、(と受け取る)…ありがとう。」
- 私(N)
- 掌の上に、みかんがひとつ。それを、ゆっくりにぎりしめた。(間)
- 男
- 「あの…。どうかしました?」
- 私
- 「はい?」(と自分でも驚いて)
- 私(N)
- みかんにボトボトと、涙がこぼれ落ちていた。
- ガタンとゆれて、汽車が発進する。汽笛、遠ざかる。