第190話(99/11/19 ON AIR)
『彗星』 作:久野 那美


 

ひっきりなしに風が吹いている。
携帯電話からの電話。
呼び出し音が何度も何度も続いて、やっと相手が出る。
風の音と電波の具合で、会話は時々聞き取りにくくなる。
…はい。
あ。
こんばんは。
あれ……どうして?
え?
家に居たの?
居なかったら出ないよ。
何で?
え?
だって、部屋から見えないって。
うん。見えない。西側に窓ないから。
じゃあ、どうして?
屋上にいると思った?
…うん。
ふふん。(笑っている)
何だよ。
いいえ。
だって、あんなに…
「楽しみにしてたのに。」?
うん。
1999年、11月19日。11時に西の空。
…。
あの彗星、今度見られるのは千年後だって。
千年後に見るの?
まさか。
何してんの?今…。
別に。
そう…。
何してんの?
いや………。
明日、だよね。
…あ、うん。
いよいよだね。
元気でね。
…。
晴れるよきっと。明日は。星出てるから。
見てない癖に。
見てなくてもわかるよ。今夜は。
…今、何してるの?
明日。晴れるよ。きっと。晴れるといいね。
…今から出てこない?
え?
…千年に1回…てことは、今日逃したら一生見れないんだよ。
後悔するよ。
後悔するかな?
え?
どっちにしろ今夜しか見れないのに。
今夜見なかったら後悔するかな。
…。
…と思って。
…?
綺麗だね。きっと。黒い空に、長い長い光のしっぽ。
…。
見に行って。記憶の中に大事に大事に焼き付けて。
「思い出」に追加して。…それでおしまい。
…。
いろんなことが、そうだったみたいに。
…。
特別な日。大事な日。最初で最後の機会。
たくさんあった。これまでもあったし。これからもきっとある。
特別なことはたくさんあって、新しく追加するたんびに
みんなその中に埋もれて
見えなくなった。
…。
いつも。
…。
もし、「見に行かなかったら」どうなるんだろうと思ってみた。
何も、大事に焼き付けておかなかったら…。
え?
実験。
実験?
私は今夜ここにいて。彗星を見ないで。
「西の空はどんなだろ」って考える。
あんなに楽しみにしてたのに。もう絶対見られないのに。
見に行かなかったらきっ
と後悔するぞ、取り返しがつかないぞ、って思いながら。
男…
そしたらずっと覚えてるかもしれない。
「どんなだろ。」って思った今夜の空を、私はずっと覚えてる
かもしれない。
そういう、実験。
風が吹いている。
結果はいつ出るの?…実験の…。
いつだろ。ずうっと、先かな。
ふうん。
何?
気の長い実験…。
うん。
電波が大きく乱れる。聞き取れない。
******************
え?何?
*****************
***********
****************
*****************
***********明日、晴れるのか。
…ああ明日?…だって、星出てるでしょ。
…。
何してるの?男いや…
もうすぐ11時だよ。
うん。
明日、早いの?
いや…。
ふうん。
何?
晴れるけど。寒いよ。きっと。
なんで?
星が綺麗に見えてるから。
見てない癖に。
見てなくても分かるよ。今夜は。
風が吹いている。
電波の調子、悪いね。
うん。
風のせいかな?
関係有るのかな?
あるんじゃない?
風が吹いている。
…じゃあ。
うん。
じゃあ。
はい。
プツッ。
携帯電話の切れる音。
吹きっさらしの屋上に、冷たい風がひっきりなしに吹いている。
下には人だかりができている。
夜更けが近づいている。彗星が、もうすぐここを通過する…。