第184話(99/10/08 ON AIR) | ||
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『病院の長い夜』 | 作:四夜原 茂 |
夜の病院の喫煙コーナーである。
誰かが、カシャンとオイルライターでタバコに火をつける。 遠くから松葉づえで近づいてくる人がいる。 「ハーハー」と荒い息づかい。 |
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女 |
こんばんわ。
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男 |
こんばんわ。(息が上がってる)
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女 |
かなり苦労してるようね。
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男 |
ええ、僕の部屋、東の端なんですよ。
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女 |
そう。東の端っていうと、個室?
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男 |
はい。
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女 |
そこからここまで来ると、100メートルは歩かなきゃならないわね。
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男 |
ええ、速い人だと10秒でしょ。それが、3回転んで、えー、
7分くらいかかりました。 |
女 |
御苦労さん。座ったら?
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男 |
はい。よっ。ほっ。とーっと。(すわる)
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女 |
まだそのツエに慣れてないからよ。もう少ししたらもっと
ちゃんと歩けるようになるわ。 |
男 |
はあ、早くそうなりたいもんです。あれ?
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女 |
どうしたの?
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男 |
わすれて来ちゃってるみたいです。ライター。
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女 |
タバコは持ってるの?
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男 |
はい。タバコだけ持って来ちゃったみたいです。
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女 |
私が居なかったらあなたどうするつもりだったの?
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カシャンとライターの音。
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男 |
あ。どうも。………。ハァー。あなたが居てくれなかったら、
きっと部屋までライターをとりにもどってたでしょうね。14分かけて。 |
女 |
たいへんだけど、その方がリハビリになってよかったんじゃないの?
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男 |
何回も転んでちゃリハビリにはならないでしょ。
こっちの足もギプスになったりしたらどうするんですか。 |
女 |
事故?
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男 |
はい。
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女 |
バイク?
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男 |
いや。滑落です。岩の壁を20メートルくらい落ちちゃって。
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女 |
20メートル?けっこう危険な高さじゃない?
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男 |
ええ、練習用の壁をもう少しで登りきるところだったんですが、 |
女 |
落っこっちゃった。
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男 |
はい。もちろんザイルで身体は確保してたんですが、
かんじんのボトルがぬけちゃって、わーっと下まで…。 |
女 |
そう。こわいことしてるのね?
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男 |
いや。そんなにこわくはないんですよ。今日もスイスイ登って、
もうあと一歩ってところであいつが…。 |
女 |
あいつ?
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男 |
いや。最後にちょっと集中力がなくなってたみたいで…
まだまだ未熟なんですよ。 |
女 |
そう。ひとりで落っこちたんだ。
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男 |
はい。
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女 |
よかったわね。
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男 |
え?よかったって?
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女 |
ああ、ごめんなさい。そりゃ、不幸な事故だったわけでしょうけど、
バイクなんかで事故るとひとりじゃすまない時があるでしょう? |
男 |
ああ、二人乗りとかしてて…。
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女 |
ええ、ケガですんでたらいいんだけど…。
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男 |
…死んじゃったり?
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女 |
そう。いっそのこと、二人ともあの世へ行った方がよかったんじゃ
ないか、なんて考えたり…ね。 |
男 |
いやあ、死んじゃダメですよ。死んじゃ終わりですから。
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女 |
…そうね。
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どこかでナースコールが鳴る。ピンポンピンポンピンポン。
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男 |
何ですか?
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女 |
今、何時?
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男 |
……10時です。ちょうど。
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女 |
8号室の山田君がナースコールを押したの。眠れないらしいのよ。
だから毎日、当直の医者に睡眠薬をねだってる。 |
男 |
どこかが痛くて眠れないんですか?
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女 |
いいえ、もっと精神的なものらしいわ。
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男 |
精神的なもの…?
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女 |
見えちゃいけないものが見えるらしいの。
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男 |
…幻覚ですね。
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女 |
まあ、事故のあとには誰だって、何か見えたりするものらしいわよ。
それを「出た」って表現する人もいるけど。 |
男 |
「出た」…。居るはずのない人が病室にあらわれたりするって
ことですか? |
女 |
ええ。毎晩それがつづいても、なかなか慣れなくて、
毎回ギョッとするの。 |
男 |
はあ。
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むこうからストレッチャーをあわただしく押してくる人(数人)がいる。
小走りに二人の前をとおりすぎる。 |
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女 |
まあ、病院で死ぬ人は多いから、変なうわさになりやすいわね。
消灯後のうす暗い廊下 に誰かがぼんやり立っていたとか。その人は、昨日救急車で 運ばれてきた手おくれの高校生に似ていたとか…。 |
男 |
夜の喫煙室に、髪の長い女の人が居て、
青白い顔でタバコをすっていたとか…。 |
女 |
そう。その女は、意識がもどらないまま、人工呼吸器の
お世話になっている3階の患者に似ていたとか…ね。 |
女、カシャとタバコに火をつける。
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男 |
…変わったライターですね。
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女 |
そうかしら…。
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男 |
それ、あなたのじゃないでしょう。
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女 |
…ええ。
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男 |
男の人、それも、かなりワイルドな感じのする人の持ち物。
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女 |
…。
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男 |
さてと。気合いを入れて立ち上がろうかな。
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女 |
帰るの?
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男 |
はい。ありがとうございました。
助かりましたよ。あなたが居てくれて。 |
女 |
これ。もらってくれない?
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男 |
え?
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女 |
もう必要ないと思うの。
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男 |
困るんじゃないですか?
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女 |
いいのよ。ふだん、私、タバコすわないから。
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男 |
でも…。
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女 |
捨ててくれてもいいの。
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男 |
…じゃ、いただいときます。
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女 |
はい(わたす)。
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男 |
どうも。さあてと、よっ、ほっ、とーっ。あ!
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男、立ち上がろうとして、よろめき、松葉ツエを落としてしまう。
女が男を抱きとめる。 |
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男 |
すみません。
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女 |
だいじょうぶ?
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男 |
はい。だいじょうぶです。
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女 |
もう一度、座ったら?
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男 |
……あの。さっきの幻覚の話なんだけど。
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女 |
なに?
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男 |
出るのは、人間だけなんですか?
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女 |
どういうこと?
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男 |
岩の壁につけられた最後の手がかりに、左手を置いた時に、
つぶしちゃったみたいなんです。虫を。 |
女 |
虫?
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男 |
コオロギみたいなやつ。そいつが出てくるんです。今そこに。
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女 |
そこって…。
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男 |
あなたの左手に…。
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女 |
…。
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男 |
それから、ソファの上に2匹。廊下に点々とずっとむこうまで。
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女 |
コオロギが?
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男 |
似てるやつ。長い触覚をさかんにふり回してるんですけど。
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女 |
待ってて、ナースコール押してあげるから。
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男 |
はい。(ナースコール、ピンポン、ピンポン、ピンポン)だんだん
増えてきてるみたいです。 ギブスの上に3匹、それから、あなたにもらったライターに、 大きいやつが一匹、はりついてて…。 |
ピンポン、ピンポン……
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(おわり) |