第180話(99/09/10 ON AIR)
『海まつり』 作:久野 那美


ラジオをかけ、海沿いの道をのろのろ走っているタクシーの中。
窓の外は雨。ワイパーがリズミカルに雨露を拭っている。
強い風と雨の中。
バス停の屋根の下にいる女をみつけ、思わず車を止める…
運転手 (窓を開け)お客さん、どこまで?
え?
運転手 バス待ってるんですか?
え?はい。
運転手 待ってても来ませんよ。
え???
運転手 雨も当分、止みません。
え?
運転手 これからどんどんひどくなります。
…あ…(困っている)。
運転手 (ドアを開ける)どこまで行かれますかー?
よかったら乗りませんか?
タクシー?あ…。はい。
     女、なんとなく、車に乗り込んでしまう。
     車、走り出す。
バス…、来ないんですか?(少し怪訝な様子)
運転手 ええ。
でも、時刻表に…。
運転手 観光ですか?
…ええ。まあ…。
運転手 ここは、初めて?
…。
運転手 海祭りの日は、バスは走りません。
海祭り?
運転手 ご存じない?…そうですか。
すみません。
運転手 いえ。いえ。
     カーブを曲がる。
…大きなお祭りなんですか?
運転手 海祭りは大きな祭りなんです。町ではいちばん大きな祭りです。
へえ。
運転手 だけど、地味な祭りです。
え?
運転手 ほんとうに地味な祭りです。あなたが知らないのも無理はない。
町の人間もほとんど忘れてるくらいですから。
忘れて…るんですか。
運転手 地味な祭りですからね。
海祭り展。町の人は…何をするんですか?
運転手 町の人間は何もしません。(笑う)
何も?
運転手 ええ。何も。
じゃあ、なにが?
運転手 雨が降るんです。
雨?
運転手 海に雨が降るんです。一日中、雨が降り続けるんです。
そんなお祭りなんて、聞いたことありません。
運転手 地味なお祭りです。でも大きな祭りです。
バスも…お休みするんですか。
運転手 こんな雨の日に、外に出る人間はいませんから。
    雨の中。車は走っている。
運転手 宿はどちらですか?
…その…。海祭りを…。見に行くことはできるんですか?
運転手 もちろんです。海へ寄りますか?
…ええ。おねがいします。
運転手 いいんですか?このまま行って。
特に予定がある訳じゃないから。
運転手 わかりました。(海へ向かう)おひとりですか?
はい。
運転手 誰かに会いに?
…いえ。
運転手 海へはよく行かれるんですか?
昔は、よくいきましたけど。
運転手 泳ぎに?
いえ…写真を撮りに。
運転手 写真…。写真を撮られるんですか。
今は撮りません。ずうっと昔。
運転手 どんな写真ですか?
どこでとったのかわからない写真だって言われました。
運転手 へえ。風景の写真ですか?
ええ。
運転手 今は?もう撮られないんですか?
辞めたんです。撮った写真も、持ってた写真も全部、
燃やしてしまいました。
運転手 燃やした?それはまた。1枚も、残ってないんですか?
……いえ………1枚。
運転手 え?
1枚だけ…残ってるかもしれません…。
運転手 どこに?
今でも残ってるのかどうかわからないけど。
運転手 え?
部屋を出ていくとき。そこの部屋に張り付けてきました。
運転手 窓に?どうして?
そのひとの部屋から、その、海が見られるように。
運転手 どうして…?
よくわからないんです。 「これはもうおしまいになりました。
でも、最初にちゃんとここにありました。」って、
確認したかったのかもしれません。
運転手 …………あなたが?
…きっと。わたしも。
運転手 どんな写真ですか?
どんな写真だったんでしょう。
運転手 海の写真だったんですか…。
ええ。…どうして?
運転手 こんな風な海でしたか?
え?
運転手 いえ。この町を走ってますとね、お客さんがよく、
海の話をしてくれます。だから…。
海の話?
運転手 「知ってる海に、なんだかよく似ているから。」って
ここが?
運転手 海の他に何もない町でしょう。ほら、海辺の町の風景は、
どこもよく似ていますから。
…。
運転手 この町の向こうに、きっとその海が見えるんでしょうね。
        車が止まる。
        波の音が高い。雨が降り続いている。
運転手 さて、着きました。降りてみますか?
        バタン、ドアを開ける音。すごい風と雨と波。
…海祭りって…何のお祭りなんでしょう?
運転手 海祭りは、海の祭りです。
どっちの海?
運転手 え?
…すごい雨ですね。
運転手 風も。波も…。
町が主催する祭りとはスケールが違います。
どこが主催してるんですか?
運転手 海祭りは、海の祭りです。
       風の音。波の音。雨の音。しばらく…。
似てるのかも知れません。私の知ってる海に…。
運転手 え?なんですか?(音がうるさくて聞き取れない)
ずいぶん、昔のことだったのに。
運転手 え?え?なんですか?
あ。
(と気付いて)バスを待ちながら…私はあの海を見てたんですね。
運転手 え?
 (一瞬、風が止む)
雨が降っててよかった。もし、お天気のいい海だったら…。
運転手 お天気の日は、海祭りは行われないんです。雨の日だけです。
海に、雨が降る日だけです。
…しばらく、ここで海を見ててもいいですか?
運転手 ゆっくり見てってください。海祭りは夜更けまでやってますから。
        雨の音。波の音。いつまでも。
   (終わり)