第173話(99/07/23 ON AIR) | ||
---|---|---|
『レインボーサックランチな午後』 | 作:花田 明子 |
|
午後11時を過ぎた電車の車内。 ゴトンゴトンという列車の音。 二人は向き合って座っている。 外は夏本番の明るい日差し。 けれど、えっちゃんは窓の外を見ている。 |
|
---|---|
宏之 | えっちゃん。えっちゃん。 |
恵津子 | え? |
宏之 | もう……また? |
恵津子 | いや……。 |
宏之 | もう一回電話してみたら? |
恵津子 | うん……。 |
宏之 | 森本君だっけ?後輩。 |
恵津子 | いいよ。 |
宏之 | でも気になるんだろ? |
恵津子 | でもさっきしたし……。 |
宏之 | 1時間以上前じゃない。もしかしたら契約書出てきたかもしれないし。 |
恵津子 | でもあんまりしつこいとあれだし……。 |
宏之 | ああ。 |
恵津子 | それに見つかったら電話くれるって言ってたから。 |
宏之 | うん……。 |
間 | |
えっちゃんのせいじゃないよ。 | |
恵津子 | いや、 |
宏之 | だってえっちゃんはその、 |
恵津子 | 森本君。 |
宏之 | そう森本君にちゃんと契約書を作って渡したんだから。 |
恵津子 | でもこれはもともと私が行くはずだったのよ。 |
宏之 | それはそうだけど…。 |
恵津子 | 自分でやってればこんなことにならなかったのに。 |
宏之 | いくつ? |
恵津子 | え? |
宏之 | 森本君。 |
恵津子 | ああ。25。 |
宏之 | えっちゃんと変わらないじゃない。 |
恵津子 | でも私は上司だから。 |
宏之 | 上司だったら何もかも責任あるわけ? |
恵津子 | そりゃそうでしょう。 |
宏之 | そんな大事なものなくすなんて森本君は……森本君は、 |
恵津子 | 何? |
宏之 | どうかしてる。 |
恵津子 | 何よそれ。 |
宏之 | それもよりによって今日なんて。 |
恵津子 | いつなくそうとなくしちゃ駄目なものは駄目なの! |
宏之 | 僕にあたらないでよ。 |
恵津子 | あたってないわよ。 |
宏之 | …だってこういうの久々なのに。 |
恵津子 | あ、ごめん。 |
宏之 | あ、いやそういうつもりじゃ…。 |
恵津子 | でもこんなことならひろくんに先に行ってもらって後か ら追い掛ければよかった。 |
宏之 | え、どういうこと? |
恵津子 | だから今日の仕事済ませてから、ひろくんちに行ってもよかった かなって。 |
宏之 | 何言ってんの。えっちゃん一人じゃ危ないでしょ。 |
恵津子 | だってまだ5か月だよ。 |
宏之 | お医者さんも言ってたでしょ。そのくらいのときが一番危ないって。 |
恵津子 | でも…。 |
宏之 | それにそんなにいらいらしてたら子供によくないよ。 母はもっと大きな心で。 |
恵津子 | そうしたいんだけどさぁ、 |
宏之 | 森本のやつがなぁ。 |
恵津子 | 森本のやつがですよ。 |
二人 | はぁー。(溜息) |
間 | |
宏之 | 引き返すか。 |
恵津子 | え? |
宏之 | 何時だっけ契約。 |
恵津子 | え、いいよ。 |
宏之 | 何時? |
恵津子 | 4時半。 |
宏之 | だったら次の駅で降りて引き返せば間に合うよ。 |
恵津子 | いいわよ。 |
宏之 | いやいいよ。引き返そう。 |
恵津子 | どうして? |
宏之 | このままうちに来てもえっちゃん気になるだろ? |
恵津子 | え、いいって。 |
宏之 | いいって。 |
恵津子 | いやいいって。 |
宏之 | いや、いいってって。 |
恵津子 | いいってって? |
宏之 | あ、間違えた。 |
恵津子 | 間違えた? |
宏之 | だっておふくろもおやじもえっちゃんが来るのを楽しみに してるんだ。 |
恵津子 | うん、だから引き返さなくていいよ。 |
宏之 | いやだから引き返すんだよ。 |
恵津子 | どうして。 |
宏之 | えっちゃんが会社のこと気にしてたら、おふくろやおやじが 心配するからだよ。 |
恵津子 | 私、ちゃんとするわよ。 |
宏之 | 甘いなー、えっちゃん。 |
恵津子 | 何? |
宏之 | 僕に分かるくらいだよ。僕を産んだおふくろや僕よりはげてる おやじにえっちゃんの様子がおかしいことがわからないわけ ないじゃないか。 |
恵津子 | ……でも……。 |
宏之 | とにかく、おっとうそろそろ次ぎの駅か。 |
恵津子 | え? |
宏之 | 次ぎの駅で降りて、えっちゃんは会社へ行くんだよ。 |
恵津子 | ……うん……。 |
宏之 | あ、と言ってる間に…えっちゃん、降りるよ。 |
恵津子 | え、ちょっと待ってよ、ひろくん。 |
電車の開く「プシュ」と言う音。 あわてて降りる二人の足音。 電車の閉まる音。 ホームのアナウンスの声、遠く。 列車は走り去って行く。 |
|
恵津子 | ごめんね。 |
宏之 | いいって。 |
恵津子 | ……。 |
宏之 | ああ、そうそう。これ。 |
恵津子 | え? |
宏之 | 会社着いたら昼過ぎでしょ。食べてよ。 |
恵津子 | ああ。 |
宏之 | 宏之特製レインボーサックランチ。 |
恵津子 | え、何? |
宏之 | おかかにうめぼし。いり玉。しそ。肉そぼろにツナに刻んだたく あんを虹に見立ててお弁当にしてみました。 |
恵津子 | 何か手込んでるのか手抜いてるのか分からんお弁当だな。 |
宏之 | よく言うよ。えっちゃんが朝から契約書が、会社が、って騒いで 僕がお弁当を作るのを邪魔したからじゃないか。 |
恵津子 | 私じゃないわよ、それもこれも、 |
宏之 | 森本君が。 |
と、携帯電話の呼び出し音。 | |
宏之 | まさか。 |
恵津子 | うん。 |
一瞬の間 | |
宏之 | 早く出て出て。 |
恵津子 | うん。もしもし……ああ、もりも……え、あった!? |
宏之 | ったく……人騒がせな男だな。 |
恵津子 | どこに!?なくさないように昨日、大川さんに預かって もらってたのを忘れて……!? |
宏之 | 子供か、森本君は。 |
恵津子 | じゃあ何で今まで大川さんは気付かなかったのよ……え? 大川さんも忘れないように井上さんに預かってもらって たのを忘れて…。 |
宏之 | どういうとこに勤めてたんだ、えっちゃんは。 |
恵津子 | あ、分かった分かった。じゃあいいのね。あったのね。 はい。はい。はーい。じゃあよろしく。 |
携帯電話の切る音。「ピ」 | |
恵津子 | ひろくん。 |
宏之 | えっちゃん、どうやらあなどれないのは森本君だけじゃない ようだね。 |
恵津子 | いやいやひろくん。森本君、大川さん、井上さんはうちでは 優秀な方なのよ。もっと恐ろしい子たちで一杯なのよ。 |
宏之 | うーん。えっちゃんは大変だなあ。 |
恵津子 | 私が会社を気にするわけばれちゃったわね。 |
宏之 | ……。とりあえず気を取りなおして行きますか。 |
恵津子 | うん。でも何かお腹もすいたなぁ。 |
宏之 | ああ、じゃあひとまずここでお昼にするか。 |
恵津子 | ああ、そうだね。 |
宏之 | レインボーサックランチで。 |
恵津子 | 名前はドリーミーなんだがなぁ。 |
宏之 | 文句言うなら食べなくていいよ。 |
恵津子 | 何でよ。 |
そして二人は駅のベンチで、レインボーサックランチを広げる。 | |
おしまい |