第168話(99/06/18 ON AIR) | ||
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『2時のタクシー』 | 作:花田 明子 |
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ラジオが2時を告げる。 続いてかかるご機嫌な音楽とDJの声がかすかに聞こえる。 |
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サラリーマン | ふーぅっ。 |
運転手 | すいません。 |
サラリーマン | あ、いや……。 |
間 | |
運転手 | お仕事ですか |
サラリーマン | あ、いや。 |
運転手 | あと15分はかかります。 |
サラリーマン | ああいやもういいです。 |
運転手 | はぁ…すいませんねぇ。 |
サラリーマン | いえ、もともと会社を出たのがあの時間ですからね。 |
間 | |
サラリーマン | いや仕事じゃないんですよ。 |
運転手 | ええ。 |
サラリーマン | 仕事は午前中で早退して、いや早退するつもりが、何だ かんだやってたらこんな時間になっちゃって、 |
運転手 | なかなかきりがつかないですもんねぇ。 |
サラリーマン | そうなんですよ。 |
運転手 | ええ。 |
サラリーマン | ……いや来月、結婚するんですよ。 |
運転手 | ああ、それは…おめでとうございます。 |
サラリーマン | いやいやありがとうございます。いやそれがね、今にな って彼女がウエディングドレスを着たいと言い出して、 |
運転手 | ええ。 |
サラリーマン | 実は僕の実家の父が神社の宮司をしてまして、父の長年 の夢だったんですよ。そのー僕の結婚式は父の神社で、 神前結婚をっていうのが、 |
運転手 | ええ。 |
サラリーマン | それなのに急に私はあの神前結婚の髪型が似あわないだの、 十二単衣を着ると哀しいとかなんとか言い出して、 |
運転手 | 私だったら喜んできますけどねぇ。 |
サラリーマン | そうですか? |
運転手 | だってそうそう着れるもんじゃないですよ、十二単衣なんて。 |
サラリーマン | いや彼女も最初そう言ってたんですけどね、それが急にで すよ。 |
運転手 | ああ。 |
間 | |
運転手 | けど別に着たらいいんじゃないですか。ウエディングドレスも。 |
サラリーマン | いやそれが着れないんです。 |
運転手 | 立ち入ったことお聞きしますけど、披露宴は… |
サラリーマン | それが披露宴をしない予定だったもんですから。 |
運転手 | ああ、そうなんですか。 |
サラリーマン | だからもう本当に…。 |
運転手 | 困りましたね。 |
サラリーマン | ええ……いや彼女の言うことも分かるんですが。 |
運転手 | ええ。 |
サラリーマン | そうしょっちゅうやるんじゃないんだからってわけですよ。 |
運転手 | 何がですか? |
サラリーマン | だから式ですよ。結婚式。 |
運転手 | それはまあそうでしょうね。 |
サラリーマン | 一応一生に一度のつもりなんだからとこうですよ。 |
運転手 | ああ。 |
サラリーマン | いやもちろん分からないわけじゃないんですけど、 |
運転手 | どうして披露宴をなさらないんですか? |
サラリーマン | え? |
運転手 | あ、すいません。かなり立ち入ったことですよね。 |
サラリーマン | いや、 |
運転手 | いやすいません。いいですよ。 |
サラリーマン | いや、別にそんな大した理由じゃないんですが…運転手さん、 失礼ですけどご結婚は……? |
運転手 | ええ、してます。子供も二人。 |
サラリーマン | え?そうなんですか。お若いですね。 |
運転手 | ええ。結婚したのが19でしたから。だからかれこれ8年になりますね。 |
サラリーマン | へーえ。 |
運転手 | うらやましい話ですよ。 |
サラリーマン | え? |
運転手 | いや私はね結婚式も披露宴も何もしなかったんですよ。 |
サラリーマン | ああ。 |
運転手 | よくある話ですよ。親に反対されましてね。若すぎるって。ほとんど 飛び出すみたいにして一緒に籍を入れて、住み始めて、 |
サラリーマン | ああ。 |
運転手 | 結婚式もいいもんだと思いますよ。 |
サラリーマン | そうですか?僕は恥ずかしくて、 |
運転手 | 何がですか? |
サラリーマン | だって……その……何か……。 |
運転手 | いやおっしゃってる意味はわかりますけどね、 |
サラリーマン | ええ。 |
運転手 | でも最近になって思うんですけど、いろんなことって次から次に忘れ ちゃうんですよ。 |
サラリーマン | ええ。 |
運転手 | 何を覚えていて何を忘れてるのかさえ分からないくらい、次から次に 記憶が曖昧になっていて……曖昧になっているだけならいいけど勝手 に再生して、本当に何があったのかさえよく分からない。 |
サラリーマン | ああ。 |
運転手 | だからね、結婚にしろ、その時のためにやると思うと面倒くさかった り、どっちだっていいやと思うかもしれないですけど、この先の為に 形にしておくっていう考え方もできるんじゃないかなーとか思ったり するんですよ。 |
サラリーマン | そうかなぁ。 |
運転手 | だってこの日に結婚したって日を祝ったっていいじゃないですか。 |
サラリーマン | そうですかね……。 |
運転手 | 形にすることが陳腐だって思ってるのは若い間だけです。理由がないと なかなかやれないままになって………後悔は多いもんですよ。 |
サラリーマン | そんな、運転手さん、若いじゃないですか。きっと僕より若い。 |
運転手 | おいくつですか? |
サラリーマン | 32です。 |
運転手 | じゃあうちの旦那より二つ上です。 |
サラリーマン | ほら。 |
運転手 | まぁ、生きてたらの話ですけど、 |
サラリーマン | え?……えっと……。 |
運転手 | 5年になります。亡くなって。だから余計思うんでしょうね。もっと 形になるものがあったら忘れないのになぁ……とかね。 |
サラリーマン | ……ああ。 |
運転手 | やっぱりやれ保育園だ給食費だ。どんどんどんどんどこかにおいやら れていってしまうようで……。 |
間 | |
運転手 | すいません。こんな話して、 |
サラリーマン | いえ……いや……。 |
運転手 | いやでもね、私もまた結婚しようかなぁーと思ってる人がいるんですよ。 |
サラリーマン | おう、それは、おめでとうございます。 |
運転手 | いやまだわからないんですけど。下の子の保育園の保父さんなんですけ どね、 |
サラリーマン | ええ。 |
運転手 | いい人で。 |
サラリーマン | へーえ。 |
運転手 | 今度は式をしてみようかと思ってるんですけどね、 |
サラリーマン | いいじゃないですか。 |
運転手 | もどうも…前の旦那に悪い気がして、 |
サラリーマン | ………ああ。 |
間 | |
サラリーマン | でも運転手さんはやりたいんですよね。 |
運転手 | え? |
サラリーマン | 結婚式。今度は挙げてみたいんですよね。 |
運転手 | ええ…多分。 |
サラリーマン | だったらいいじゃないですか。挙げましょうよ。 |
運転手 | 何ですか、それ。 |
サラリーマン | いや僕が披露宴をしない理由はそれだったんですよ。 |
運転手 | それ? |
サラリーマン | 僕ね、どうも披露宴にどんな顔して座ってていいのか分からない。 友人や会社の人間の前でどうも気恥ずかしい。そればっかり先に たっちゃって、 |
運転手 | いやそんなもんですよ。 |
サラリーマン | でもまぁ僕だけの理由でやらないのもなぁ……。 |
運転手 | ああ……。 |
間 | |
サラリーマン | いやうるさいんですよ。 |
運転手 | え? |
サラリーマン | 一つ一つ納得いくまで聞いてくる。 |
運転手 | 彼女。 |
サラリーマン | とにかく頑固で恨みがましいとこもちょっとあって、 |
運転手 | (笑いながら)何ですか、それ。 |
サラリーマン | いや女はあとが怖いですからね。聞ける範囲は全部言うことを 聞いとかないとあとが大変だから。 |
運転手 | よく言いますよ。 |
サラリーマン | よし、そうしよう。もう全部従おう。 |
運転手 | ええ? |
サラリーマン | 白いのも赤いのも着れるだけ着せてやりますよ。 |
運転手 | (笑う) |
サラリーマン | あとどれくらいですか? |
運転手 | そうですね……あと(10分ほど)……。 |
ラジオからCMに入るジングルが聞こえ始めた。 | |
おわり |